紅瞳の秘預言31 出航

 ユリアシティの港で、ルークたち一同は出航を見送りに来たテオドーロと顔を合わせていた。ティアは深く頭を垂れると、姿勢を正して義祖父をまっすぐ見つめる。

「それではお祖父様。行って参ります」
「うむ。ヴァンに会ったら、くれぐれもよろしく伝えてくれ」
「……分かりました。お祖父様も、お身体をお大事に」

 今のテオドーロがどう言った心境であるのか、ジェイドには分からない。だが、今後の世界を見て行けばきっと、自分たちの行動を理解してくれるだろうと、それだけを信じる。
 と、まるでジェイドの心の声が聞こえたかのようにテオドーロが、彼に視線を向けた。ぴくり、と僅かに震えた肩を意志の力で押し止め、ジェイドは真紅の視線を返す。

「ジェイド殿」
「はい」

 名を呼んだ声には、険は無い。少なくとも敵意を持たれている訳では無いことを悟り、心の中だけでほうと息をつく。そうしてジェイドは、続く言葉を待った。

「オールドラントは……世界は、何処へ向かおうとしているのでしょうか」
「もちろん、未来へです。違いますか?」

 老人の問いに答える言葉は、明瞭に発せられた。端正な顔に浮かべられた穏やかな笑みは、彼が『死霊使い』の二つ名を持つ男であることを忘れそうになる。一瞬テオドーロも流されかけて、軽く頭を振った。

「いや。だが……我々は、ユリアの詠んだ未来へと向かおうとしているのでは無いのか? それともそれは、ただの思い違いなのか?」

 テオドーロの問いに、ジェイドはゆっくりと首を振る。胸元に手を当てて、自身の考えを柔らかな言葉で口にした。

「今のままではただ、誰かから与えられる未来へ進んで行くだけです。他に道があることも知らずに」

 ヴァンが動かなければ、ユリアが詠んだ第七譜石の預言に沿って世界は動く。即ち、2大国が相次いで滅び最後には障気によって惑星が破壊されると言う、滅亡の未来へ。
 誰もヴァンを止められなければ、彼の企んでいる世界へと進んで行く。即ち、本来の大地は生きとし生ける者全てを巻き込んで滅ぼされ、代わって複製の大地と生命が惑星の支配者となる。

「では、それ以外の道が存在すると?」
「少なくとも私は、別の道を1つ知っています。けれど、その道に進む気は毛頭ありません」

 ジェイドは目を閉じ、『戻って』来る前の世界を『思い出す』。
 ユリアの詠んだ預言には、オールドラントの終焉が記されていた。それを変え、更に世界を複製へとすり替えようとしたヴァンの陰謀を止めるために世界中を駆け巡り、多くの生命を散らした。
 そうして世界は救われたけれど、その裏で朱赤の焔は消滅した。心を壊し、身体を壊し、そして全てをオリジナルへと明け渡して。
 2年の後に帰還した焔はあくまで真紅の焔であり、それはつまり朱赤が二度と戻らないことを示していた。
 だからジェイドは、自分の知る全ての未来とは違う道を進むために時を戻って来た。今度こそはルークとアッシュ、2人の焔が共に生きられる世界にするために。
 『記憶』と異なりローレライが何かと協力してくれるのも、己の同位体たる朱赤の焔が消えることを厭うているためだろう。
 それでも、結局世界の運命を握るのは人間だから。

「未来は与えられるものでは無い。自分たちの力で造り出すものなんですよ。テオドーロ市長」

 真紅の瞳を色濃く染めて、ジェイドはそう言い切った。預言遵守を旨とするユリアシティの住民たちにその言葉がどう響いたのかは、彼の理解の外にある。


 程無く、タルタロスはゆっくりと魔界の海を滑り出した。既に目的地の座標は航行プログラムに登録済みであり、故に舵はユリアシティへ向かった時同様タルロウが握っている。やはり微調整には人の手が必要だが、今は暫しの休息を取るために全員が食堂へと集まっていた。

「なあなあ。打ち上げの時に使うセフィロト、どこの使うんだ?」

 ミュウとリンゴの取り合いをしていたルークが、ふと思いついたように声を上げた。視線の向かう先は、並んで茶を口にしているジェイドとガイの2人。さらにその横に座っているアッシュが、訝るような表情で言葉を発する。

「どこって……アクゼリュスじゃねえのか?」
「いや、あそこは使わないよ。と言うか、使えない」

 ジェイドに代わり、ガイが答える。その答えを聞き、ティアが「あ」と声を上げた。

「アクゼリュスは、崩落はしたけれど街自体はセフィロトの上にまだそのまま残ってるわ。それじゃあ、打ち上げには使えないんじゃ無いかしら」

 彼女の指摘が、ガイの答えの理由を示していることはルークにもすぐに分かった。ナタリアとアニスが顔を見合わせて、なるほどと頷き合う。

「そうですわ。アクゼリュスのセフィロトを使おうとしたら、また街ごと持ち上げなくてはいけないんですもの……無理ですわよね」
「さすがに、街ぶっ壊しちゃうわけにもいかないもんねえ」
「故郷無くなったら、可哀想」

 アリエッタが、ぎゅっと人形を抱きしめながら呟く。彼女はホド崩落の折に故郷を失った本人だから、今外殻大地にいるアクゼリュスの住民の気持ちも理解出来るのだろう。もっとも、ホドの住人だった人物は他にもガイ、そして自身は魔界生まれであるもののティアが存在するのだが。
 脳内の思考を切り替えて、ジェイドは微笑んだ。皿に載っていたリンゴを一切れ差し出してやると、青いチーグルが「ありがとうですのー」と喜んでかぶりつく。

「ええ。ですから、別のセフィロトを使います」
「別の?」

 ジェイドの言葉に、アッシュが一瞬眉をひそめる。だが、すぐに該当する地名を思い出して顔を上げた。現在ツリーを構築していないセフィロトは、もうひとつ存在する。

「そうか、ホドだな」
「ええ。ホドセフィロトは街の崩落以降、機能を停止してはいます。ですが、星のフォンスロットとしての機能自体は未だ稼働していますから、音機関で操作してやることでツリーの構築自体は可能と考えています」

 目の前でしゃくしゃくと良い音を立ててリンゴを食べるミュウの頭を撫でてやりながら、ジェイドは『今回』の状況を説明する。
 『記憶』ではアクゼリュスは街ごと崩壊してしまっていたため、そのセフィロトを利用しての帰還が可能だった。だが、今回はせっかく街が保存されたまま落着している。だから、わざわざ残された街を破壊することは無い……とジェイドは結論づけたのだ。打ち上げ地点が異なるために着水点もやはり異なるのだろうが、そこはとりあえず考えないことにした。

「なるほど。それで、場所は分かるんですか?」
「ホドも、アクゼリュスみたいに落っこっちゃったんでしょ? だったら、ホドがあったとこの外殻大地にも穴が開いてるんじゃ無いかなぁ。ユリアシティは外殻大地に上がらなかったから、上から水が降って来てるみたいだしぃ」

 説明を受けて頷いたイオンの疑問には、アニスが自身の推測を答えとして口にした。それからフォークでリンゴを一切れ取り上げ、しゃくりと口にする。エンゲーブ産の赤く熟したリンゴは、とても甘い。

「そういうことです。さすがアニスですね」

 にこにこ笑いながら頷くジェイドの表情は、どこからどう見ても保護者のそれにしか見えない。紅茶を一口飲みながら彼の表情を伺っていたナタリアだったが、ふと訝しげな表情を浮かべた。

「それでは……ホドは、崩落した後沈んでしまったのですか?」
「ええ。ホドは崩落してから1か月ほどで、完全に沈んでしまったそうよ」

 テオドーロやヴァンから話を聞かされていたのだろう、ティアがナタリアの疑問に答える。その言葉を聞き、ルークがどこか悲しそうに俯いた。

「そしたらさぁ、アクゼリュスもその内沈んじゃうのか? せっかくちゃんと降りて来られたのに」
「ああ、ルーク。心配しなくても、それは大丈夫です。ローレライが守ってくれるそうですから」
「は?」

 イオンの、異様に明るい返答の声。それを耳にしてきょとんと目を見張ったルークの表情は、どこかミュウにそっくりだ。「……可愛い」と見とれたティアを他所に、仲間たちがよってたかって説明してくれた。


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