紅瞳の秘預言31 出航

 アクゼリュスが無事魔界に落着した、その時。
 ティアとジェイドの譜歌に導かれるように、第七音素意識集合体の声が記憶粒子に乗せられて降り注いだ。同時にパッセージリングが再起動し、穏やかな光を放つ。

 譜眼の主よ、我が分身たる焔よ。そして、愛しきユリアの血を引く者よ。
 鉱山の街は、今しばらく我が庇護の元に置こう。
 世界を、頼む。

 その言葉をイオンがルークに伝えると、「へぇ」と感心したように少年は目を見開いた。そうして、言葉の中に含まれた単語に首を捻る。

「何だ、ローレライって結構親切なんだなー。けど、分身って何だ?」
「焔と言っていますし、貴方とアッシュのことですね。ルーク」

 古代イスパニア語で『聖なる焔の光』と言う名を付けられたルーク、そして元々そう命名されたアッシュ。彼らの顔を見比べ、イオンはルークの問いに答えた。アッシュががりと赤い髪を掻き、以前耳にしていた単語を口にする。

「完全同位体って奴か」
「え、何それ」

 が、その単語を知らぬルークは目を丸くしたまま、リンゴを食べ終わったミュウと同じようにかくんと首を傾げた。そう言えば説明はしていなかったか、とジェイドが気づくよりも早く、ティアが説明口調になる。

「この世界に存在するものには全て、固有の振動数と言うものが存在するの。普通、その振動数が他の何かと全く同じになることは無い」
「ですが、ごく稀に『全く同じ振動数を持つ存在』が同時に現れることがあります。それらを、完全同位体と言うんですよ。本来ならば、オリジナルとレプリカでもそう言ったことはあり得ないのですがね」
「俺とこいつ、そしてローレライはその完全同位体って奴らしい。ディストが言っていた」

 ティアとジェイドの説明、そして付け足されたアッシュの言葉に、ルークはこくこく頷いた。要するに自分たちが理由があって『ローレライの分身』と呼ばれる存在であることは、ちゃんと理解出来たようだ。

「貴方がたがそれぞれ単独で超振動を使えるのも、本当は単独では無くローレライと力を合わせて使っていると言うことになるんでしょうね」

 ジェイドが2人を見比べながらそう言うと、アッシュは軽く頷いて言葉を繋いだ。

「本来は第七音譜術士が2人掛かりで発動、だそうだからな。相方をローレライが担当してくれているわけか」
「あー、ジェイドが前に言ってたっけ」

 キャツベルトの甲板で彼に教わったことを思い出しながら、ルークがまた頷く。いずれにしろ、自分やアッシュが『特別』な存在であることに変わりは無いようだと納得しながら。

「ねえねえ、そーするとさぁ」

 はい、と右手を挙げてアニスが口を挟んで来た。全員の視線が集中する中、アニスはずっと考えていた疑問を声に出す。いくら考えても、彼女には答えが思い当たることは無いから。

「ルークとアッシュはローレライの分身でぇ、ティアはユリアの子孫。だから、ローレライが呼びかけるのも分かるんだよね。でも……譜眼の主って大佐でしょ。大佐は何で?」
「さあ? 私の方が知りたいですよ。私にはローレライの声は聞こえませんしね」

 少しだけ首を傾げ、ジェイドはそう答える。
 この世界で自分がローレライと関わりがあると言えば、大譜歌を歌えると言うその一点のみ。だが、所詮は第七音素を使うことの出来ない自身の歌には限界がある。そう、ジェイドは思い込んでいる。だから、彼自身アニスの疑問に答えることは出来ないのだ。
 彼の言う通り、ローレライの声が第七音譜術士で無い者の耳に届くことは無かった。故にジェイドは、アッシュからの伝言と言う形で彼の言葉を知ることとなった。

「僕はレプリカのせいか、ちゃんと聞くことが出来たんですが……何だかローレライは、貴方に声が届かないことを残念がっていたように思います」

 イオンはどこか心配そうな表情を浮かべながら、ジェイドの顔を覗き込むように伺う。記憶粒子の奔流の中で彼もまた何かを目にしたのか、と首を傾げながら譜眼の主はうっすらと眼を細めた。

「機会がありましたら、済みませんとお伝えください。素養が無いと、こう言うときは不便ですね」


 何度目かの食事を済ませた直後、伝声管から呼び出し音が鳴った。ジェイドが立ち上がってスイッチを入れると、僅かな間の後に艦橋にいるタルロウの声が流れ出して来る。

『ジェイド様〜。ホドセフィロトに着いたズラよ』
「分かりました。すぐに浮上の準備に掛かってください、我々も向かいます」
『了解ズラ〜』

 譜業人形の返答を待ってスイッチを切り、ジェイドは全員を振り返った。ルークとアッシュが同時に顔をしかめたのには気づかず、そのまま言葉を口にする。

「お聞きの通りです。ガイ、ティア、アッシュ、艦橋で手伝ってください。イオン様とナタリア、ルーク、ミュウ、アニス、アリエッタはお部屋に戻って、おとなしく待っていてください」
「了解」
「分かりました」
「俺か? 分かった」

 名を呼ばれた3人がそれぞれ頷き、立ち上がる。と、それにつられるようにルークもテーブルに手を突きながら立ち上がった。

「俺も行きたい。駄目か?」

 真剣に、ジェイドの目を見つめながら少年が言う。軽く目を瞬かせて、ジェイドは眼鏡の位置を直した。ミュウも同じようにぱちくりと大きな眼を瞬かせ、テーブルの上から主をじっと見上げる。

「みゅ? ご主人様、お手伝いしたいですの?」
「そ、そうだよ……邪魔なら、良いけどさ」

 口ごもってしまった少年の表情をじっと見つめていた真紅の眼が、ふっとその色を和らげた。「そうですね」と口の中だけで呟く。

「では、ルークには私のサポートをお願いします。ミュウは預けて来てくださいね?」

 ジェイドがそう答えると、途端にルークの顔がぱっと晴れた。イオンが楽しそうに笑っているのが視界の端に見えたが、ジェイドは意図的にそれを無視する。どうせまた、父と子のようだとからかわれるのがオチなのだ。
 『あの時』は、打ち上げられるタルタロスの艦内にルークの姿は無かった。ずっと眠りに就いていた彼を見捨て、ユリアシティのティアの家に置き去りにして来たのだから、至極当然のことだったが。
 その後合流したルークは既に心を壊してしまっており、エルドラントで別れるまで回復することは無かった。その原因が自身にあったことを理解していたから、『この世界』では何としてもそうならないようにジェイドは心を配るよう努めている。
 もっとも、これを甘やかしていると言われればそうなのかも知れない。だが、元々感情の薄いジェイドにはその辺りの案配が上手く掴めなかった。まあ、自身がやり過ぎたとしても周囲には保護者が他にもいる。だから大丈夫だろう、と彼は無理矢理自分を納得させていた。

「そうそう。ティア、出来ればローレライにコンタクトを取れませんか?」

 どうせ甘やかすのであれば、盛大にやってやろう。そう心のどこかで考えつつ、ジェイドは少女に問うた。「ローレライに、ですか?」と不思議そうに問い返してくるティアに、勘の良いガイが口添えをしてくれる。

「セフィロトツリーの再構築だからか? 旦那」
「ええ。彼の協力があった方が、スムーズに進むでしょうから」

 こくりと頷いて、笑って見せる。『前の世界』では結局、ろくに協力をしてくれなかった第七音素意識集合体だが、今回はちょくちょくちょっかいを出して来ていた。せっかくなのだから、せいぜいその力を借りることにしよう……最悪、大爆発問題にも手を貸して貰おうかなどとジェイドは胸の内だけで考えている。それらを解決しなければ、例えヴァンを倒せたとしてもルークの生命が危ういのだ。
 そんなジェイドの心境を知ること無く、ティアは力強く頷いてくれた。

「やってみます。……メッセージを受けるのはアッシュかルークだと思いますけど」
「メッセージ? 俺そんなの受けたことねーぞ?」
「いや、ほらお前、屋敷で時々幻聴してただろ。多分あれ、ローレライだ」

 眼を丸くしているルークに、ガイがその肩を叩きながら教える。途端、少年の顔がどこか疲れたように顔色を変えた。

「げ。俺あれ食らったら倒れるんだよな〜」
「慣れろ。恐らくこれから機会が増える、頭痛で収まればどうにかなる」

 小さく溜息をついて、アッシュがルークをたしなめた。2人がオリジナルとレプリカであることを知らなければ、彼らはごく当たり前の兄弟に見える。この関係が破壊されること無く続くよう、ジェイドはそっと祈った。誰に……かは、分からない。

「んな、アッシュ他人事だからって……あれ、頭痛ってもしかして」
「俺も完全同位体だからな。時々何か抜かしてやがったぞ」

 がしがしとやや乱暴に自分の髪を掻き回しながら、うんざりした顔でアッシュはルークに答えてやる。それはつまり、アッシュにもルークと同じように幻聴が時折聞こえていたわけだ。異なるのは、恐らく幻聴の主をアッシュは把握していたらしい、と言うこと。だからこそ彼は、パッセージリング停止直後に聞こえて来た声を即座にローレライのものだと把握して、譜歌を歌えと言うメッセージをティアに伝えることが出来たのだろう。
 自分の症状が真紅の焔にも現れていたらしいと言うことを知り、朱赤の焔ははあと大きく溜息をついた。

「んだ、お前もかよ……こっちの迷惑も考えろ、こんちくしょー」

 がっくりと肩を落としつつ、ぼそりと呟く。どうせ分身なのならば、こちらから文句の1つも言ってやりたいものだ。

「では、その辺も含めてティアに伝えて貰いましょう。さあ、これから一仕事ですよ?」

 ぱんと手を打って、ジェイドは話をまとめた。あれこれ考えるのは、青い空の下に戻ってからでも出来るのだから。


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