紅瞳の秘預言32 道行

「うはあ、ほんとに戻って来たぁ! 空が青いっ!」

 再構築されたセフィロトツリーに噴き上げられる形で、外殻大地へと帰還したタルタロス。ジェイドの横に並び立ち、外の景色を確認したルークの第一声がこれであった。苦笑を浮かべているジェイドの視界の中で、座席から振り返ったガイが同じように苦笑しながら肩をすくめる。

「はしゃぐなよ、ルーク。気持ちは分かるけどな」
「えー、良いじゃんかよー」

 ぷうと膨れるルークを「はいはい」と片手でいなし、ガイは再び前方を向く。ティアはくすりと微笑みながらも、計器のチェックに余念が無い。

「けど……そんなに魔界にいた訳じゃ無いのに、何だか懐かしいなあ」
「確かにな」

 ガイの独り言に、座席に座ったままのアッシュが小さく息をつきながら頷いた。彼の表情はジェイドからは伺えなかったが、さほど嫌な顔はしていないだろうと言うことがその口調から分かる。
 ふと、真紅の髪が僅かに揺れた。彼が視線を向けた先は、かつて師と呼んだ人の妹である少女。

「……ティア、だったか。ローレライに繋ぎを取ってくれて助かった」
「気にしないでね、アッシュ。ルークも、頭痛は大丈夫?」
「あ、うん平気平気。家にいた時より、だいぶ楽だったから」

 小さく頭を振って答えたティアの問いに、ルークは上機嫌な笑顔で答えて見せる。そうして少年は、ジェイドに視線を移した。

「でもさ。ローレライ、ジェイドに声聞いて欲しい理由は教えてくれなかったな。何でだろ」
「さあ。私にも分からないことですしねえ」

 ルークの疑問に、ジェイドは苦笑でしか答えることは出来なかった。


 セフィロトツリー再構築の折、ジェイドから依頼を受けてティアは譜歌を奏でた。新しく手にした譜歌をも奏でる内に、その脳裏に声が届く。

 焔よ、ユリアの血を引く者よ。空の上へ戻るか。

「……っ」
「ルーク!」

 瞬間、ルークがこめかみを押さえて膝を崩しかけた。とっさに伸ばされたジェイドの腕にしがみつくことで難を逃れることは出来たが、中途半端な姿勢のまま立つことも座ることも出来ずにいる。ジェイド自身、タルタロスの操縦に意識の大半を奪われているために彼を支え直してやることも出来ない。

「……ええいローレライ、てめえもう少し穏便に繋げられないのか!? こう毎回頭痛に悩まされちゃ、こっちも面倒なんだよ!」

 ルーク同様にこめかみを押さえ、アッシュが虚空に向かって怒鳴り立てる。ジェイドには相手の声は聞こえなかったが、真紅の焔がしばらくして鼻を鳴らしながら計器に向かい直したところを見ると、向こうが謝罪でもしたのだろう。
 今のうちに、こちらで出来ることは済ませておかなければならない。ジェイドは気を取り直し、指示を出す。ルークへと伸ばした手を動かすこと無く、しっかりと少年の身体を支えたまま。

「タルロウ。譜陣の起動状態を随時確認、エラーが出たら教えてください。予備の譜陣を立ち上げます」
「アイアイサー、ズラ」
「ガイは記憶粒子の発生量をチェック、艦の位置取りの微調整をお願いします。アッシュは艦体全体のバランスをチェックして、ガイと連携を取ってください。ティアは防御フィールドの状態を監視、タルロウと連携をお願いします。譜歌で補正が利きそうなら、手伝ってください」
『了解』

 1機と3人の返答を受け、青い手が素早く操作盤の上を走った。
 第七音譜術士では無い自身とガイ、そして譜業人形であるタルロウが音機関の操作を中心に担当する。アッシュとティア、そして席に着いていないルークには、操作の補佐とローレライとの接触を任せる。そして、『前の世界』では何もしてくれなかった第七音素意識集合体の力を借り、なるべくキムラスカや神託の盾を刺激しないようにタルタロスを着水させる。
 それが、ジェイドの組んだ『今回』の帰還計画。アクゼリュスの残留やローレライの干渉など、『前回』には存在しなかった事情を鑑みて組み直した計画だが、少なくとも音機関により再構築したセフィロトツリーを利用しての浮上と言う点だけはそのままだった。ローレライの協力も『可能ならば』と言うレベルであり、故にジェイドの懸念はただ1つ……外殻大地に出た後の着水地点のみ。

「……ローレライ、手伝ってくれよ。俺たち、みんなを助けたい。お前の声届かないけど、ジェイドもそれを望んでる」

 ジェイドの腕にしがみついたままのルークが、祈るように呟いた。それは、ローレライに自分の声が届くことは無いと信じ切っているジェイドの祈りでもある。
 そして、かの存在はその祈りに答えて見せた。

 理解している。そなたらの思いも、譜眼の主の考えも。
 力を貸そう。そなたらの前途のために。
 ──声が届かぬのが残念だ、譜眼の主よ。

「ありがとうございます、ローレライ」

 奏でられる歌の中、ティアが安心したように笑みを浮かべる。
 譜陣の効果により泥の底から湧き上がり始めた記憶粒子の光がゆっくりと、だが確実にタルタロスの巨体を包み込んだ。陸艦は光に導かれてふわりと浮かび上がり、音も無く空へと舞い上がって行く。
 そうして数時間の後に、青い空へ伸び上がる光の柱の中から滑り降りてきたタルタロスは、空を映したような水面へと無事着水したのだった。その勢いは、駆動音機関を作動させていない巨艦にしばらくの間海上を滑るだけの速度を持たせていた。


 やがて、やっとのことで凪いだ海上にタルタロスはぴたりと停止した。ここまでキムラスカや神託の盾の警備艇に発見されなかったのが不思議なくらい、長い距離をこの艦は滑走していたはずだ。
 本来ホドが存在した場所からは遠く離れた海上。陸地は肉眼でどうにか確認出来るものの、その大地がどこの大陸か一目では判断出来ない。

「タルロウ、現在位置は分かりますか?」

 ジェイドがメイン操縦士に声を掛けると、頭の天辺からぷしゅーと蒸気を噴き出しながら彼は素早く機器を操作し、計算して答えを探り当てた。くるくると頭部だけを器用に回転させながら、返答を音声として流し出す。

「大丈夫ズラ〜。えーと……フォンスロットとの位置関係から推定すると、ここはダアトの南東辺りズラよ」
「すると、シェリダンの北になりますね。教団自治区とキムラスカ領の間ですか」

 脳裏にオールドラントの地図を広げ、タルロウの報告から現在の位置を推定しながらジェイドは頷いた。ホドがあった位置の傍に着水出来ていればそこはマルクトの領内であり、グランコクマに向かうのは容易であったはずだ。それがわざわざこの場所まで流されたとなると、その意味合いは1つしかジェイドには思いつかない。

 ローレライ、これは貴方の意図するところですか?
 グランコクマに戻るより前に、キムラスカ国内で行くべきところがあると。
 そう、貴方は言いたいのですか?

 『記憶』では、タルタロスを伴っての外殻大地帰還はアッシュの意図するところであり、故に彼の指示するままベルケンドやワイヨン鏡窟を巡っていた。だとすれば『今回』は、同じような場所を回るようローレライがそれと無く自分たちに伝えたいのでは無いだろうか?

「ダアトとキムラスカの間なら、逆に穴だろう」

 思考を巡らせているジェイドの耳に、彼の方を振り向いたアッシュの声が届く。はっと上げられた真紅の瞳が、それと近い色を宿している髪を持つ青年の顔を映し出した。

「神託の盾とキムラスカは、マルクトを倒すために連合軍を組むだろう。国境警備の目はマルクトとの境に集中するはずだから、こちら側は手薄になる」
「なるほど。盲点ですかね」

 冷静なアッシュの指摘に、ジェイドは納得したように軽く目を伏せた。連合軍を組織する相手との境を気にするより前に、まずは敵国との境に警戒の目を向けるはずだから。
 と、自分を下から見上げて来る碧の瞳と視線が合った。先ほどまでの楽しそうだった光は消えて、ルークはどこか心配そうに青の軍人を見つめている。

「ジェイド、大丈夫か?」
「何が、です?」

 彼に案じられるような失態は犯していないはずだ、と自身の行動を省みながら問い返す。レンズを通してジェイドの目を覗き込むように見上げていたルークは、ほんの少しだけ間を置いて小さく首を振った。

「ごめん、何でもねぇ。大丈夫なら良いんだ」
「はぁ……」

 ルークの言葉の意味が分からずに、ジェイドは僅かに首を傾げた。この少年から謝罪を受けるようなことがあったのか、彼には理解出来ない。

 ずぅん……ずずん、どす。ずどどどど。
 突然、鈍い衝撃音が続けざまに聞こえた。と同時にタルタロスの艦体がぐらぐらと激しく揺れる。

「……っ!」
「きゃ!?」
「なっ……?」

 座席に着いていた者たちは椅子にしがみつくことで衝撃に耐えることが出来たが、意識を別の方向に逸らしてしまっていたジェイドはバランスを崩し、倒れそうになる。

「危ねっ!」

 が、すぐ傍に立っていたルークが支えるようにしがみついた。反射的に抱きしめ返したおかげで、ジェイドも転倒を免れる。すぐに足の位置をずらし、バランスを取っているうちに揺れは収まって来たようだ。


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