紅瞳の秘預言32 道行

「では、そう言うことでお願いします。それでアッシュ……さきほど貴方が言っていた、寄りたいところと言うのはどちらですか?」

 落ち着いたところでジェイドは話を切り替えた。話を振られたアッシュは、腕を組んで難しい顔をしつつもその問いに素直に答える。

「ベルケンドだ。あの街にある、第一音機関研究所に行きたい」
「キムラスカの? ……理由は何です?」

 知っている癖に。

 心の中で自身に対し言葉を吐き出してから、ジェイドはアッシュに向き直った。全員の視線が己に集中していることに気づきながらも、真紅の焔は平然と答えを返す。

「ヴァンがあの研究所を良く利用していてな。奴の目的を知るためにも、情報を収集したい」
「師匠が?」

 かの男の名が出て来たことに、ルークが訝しげに眉をひそめる。彼の疑問に答えたのは、2人の幼馴染みでもあるナタリア。

「ルーク。ベルケンドはファブレ公爵の領地ですわ。グランツ謡将は公爵夫妻にも物覚えがよろしかったようですから、領地内の研究所を優先的に使用させて貰っていたのでは無くて?」
「そう言うことだ。それともうひとつ……あそこにいるスピノザって奴が、俺の誘拐に一枚噛んでいた。こいつがレプリカだとバレなかったのも、恐らく奴の手回しだろう」

 金の髪の少女に頷き、それからくいと顎でルークを示しつつアッシュはもうひとつの理由を語った。それは、ジェイドが持っている『記憶』の一場面とも符合する。
 あの時はスピノザに指摘されるまで、ジェイドがフォミクリーの開発者であることを同行者たちは知らずにいた。だが現在において既に彼らはそのことを知り、それでいて自身のことを受け入れてくれている。自身の罪を糾弾されることは免れないだろうが、それも今のジェイドには覚悟は出来ていた。

「……グランツ謡将への内通者でしたか」

 だが、それには知らぬふりを通しながらジェイドは頷く。この時点で、自分がキムラスカや神託の盾の内情をそこまで深く知るわけが無い。サフィールに理由を押し付ければ良いことではあるが、そうで無くとも様々に負担を掛けているあの友人にそれ以上責任を押し付けるわけにはいかない。

「ああ。今後もヴァンに協力する可能性があるからな、抑えておきたい」
「なるほどな。それで、俺たちが生きてることがばれる前に、か」

 アッシュの言葉に、ガイが頷く。彼にしてみればアッシュは『親の仇の本当の息子』であるはずだが、現在のところ特に彼らの仲に問題があるようには思えない。シンクがカースロットでも掛ければまた違って来るのだろうが、いずれにしろガイ本人が真実を語るまで彼らを見守っていたい、とジェイドは考えていた。

「ベルケンドのスピノザ。話には聞いたことがありますよ。物理学専門で、その道では随一とも言われている研究者ですね。フォミクリーにまで手を伸ばしているとは知りませんでしたが」

 私も、こんな時だけは嘘をつくのが上手くなりましたね。

「ならば、早めに彼を抑えておくのが得策でしょう。皆さん、異論はありますか?」

 自嘲を交えながらジェイドは全員に尋ねる。同行者たちが顔を見合わせたり頷いたりする中、代表して意見を述べたのはやはりと言うかジェイド自身の次に年長であるガイだった。

「いや、特には無いな。ヴァン謡将はこっちが死んだと思って無い可能性もあるけど、モースやインゴベルト陛下は多分死んでると思ってる。その間に、こっちに有利なようにことを運んでおくのは悪くない」
「……お父様……」
「心配するな、ナタリア。必ず会わせてやる」

 父王の名を聞き顔を伏せてしまったナタリアに、アッシュは当たり前のように声を掛ける。
 いや、当たり前なのだろう。
 アッシュがずっと彼自身であり続けたのは、ナタリアの存在があったから。
 そのナタリアの力になるために、きっと今彼は彼女の横にいるのだろうから。

 こちらに有利なようにことを運んでおく。

 一方、ガイのその言葉にジェイドは素早く計算を走らせた。ベルケンドに向かうのならば、その対岸にあるもうひとつの音機関都市に足を伸ばしてもそう所要時間は変わるまい。

「時間は惜しいのですが、急がば回れと言いますからね。もう少し、キムラスカ領内でやることをやっておきましょうか」

 考えをまとめ、ジェイドが口を開いた。全員が視線を自身に向けてくれたのを確認し、うっすらと笑みを浮かべる。代表してルークが、単純な言葉で問いを放った。

「やること? まだ何かあるのか?」
「ええ。ホドとアクゼリュス、2つのセフィロトツリーが無くなったことでルグニカ平野の付近は不安定になっているはずです。ですが、ユリアの預言によるとマルクトとキムラスカの戦はそのルグニカ平野で行われるんですよ」

 しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。

 ルークを生け贄に捧げる根拠となった預言の後半部分に、その文章は存在している。これは第六譜石に刻まれた預言だから、モースやインゴベルトたちは既に知っているはずだ。

「そしたら、もし戦闘の最中に崩落が始まったりしたら……」

 『記憶』の世界では、ルークの外殻大地帰還に重なるようにマルクト領域の崩落が始まっている。被害は甚大なものであり、それは帝国領で戦闘を行っていたキムラスカや神託の盾軍にも影響を及ぼしていた。
 救える生命なら、少しでも救いたい。心を壊したルークは、必死にそれを願っていた。

「両軍とも巻き込まれるな。その前に、エンゲーブやセントビナーも落ちる」

 ぞっと背筋を震わせたルークに応えるように、アッシュが言葉を紡ぐ。ティアが形の整った眉を歪め、続くように口を開いた。

「マルクトは領土のほとんどを失うことになるわね。だけど、それでキムラスカが手放しに喜んではいられるわけじゃ無い」
「はい。ですから、少しでも戦争被害を防ぐために我々は動かねばなりません。ですが、タルタロスはどうしても目立ちますし、アリエッタのご友人はあまり無理をさせると疲れてしまいます。そこで、もうひとつくらいは足を抑えておきたいんです」

 『記憶』の中ではセントビナーの崩落後に向かった都市。だが、先んじて話を通していれば、サフィールの妨害が無いこの世界でならもっと被害は軽減出来る。

「ですが、その条件を鑑みますと……目立たず、かつ速い足と言うことになりますわね。そのような条件を満たすことの出来るものが、存在するのですか?」

 ナタリアが出した条件は、この世界ではとてつも無く難易度の高い問題である。だが、その条件に思い当たる節があったのか導師の少年が声を張り上げた。

「……あ。そうか、シェリダンで浮遊機関の実験が始まっていましたね!」
「そうです」

 イオンの出した答えに、ジェイドは眼を細め頷く。視界の端で、ガイが身を乗り出したのも想定内だ。音機関に目のない金髪の青年が乗り気になることを計算に入れれば、一行の行動をジェイドの意図した方向へ誘導することはさほど困難では無い。

「浮遊機関っ!? しかもシェリダンでか!」
「わちゃー、始まったぁ」

 今までの重い空気は何処へやら、あっという間に上機嫌になったガイ。その様に頭を抱えるアニスの髪を柔らかく撫でながら、ナタリアは顔色を明るくした幼馴染みの青年を見上げた。

「浮遊って……空を飛ぶ音機関ですの?」
「そうそう。ディストの椅子みたいな、あんな感じ……ってあれ、ナタリアは見たこと無いっけ」
「ありませんわ。けれど、そんな夢のようなものが実在するんですの?」

 ナタリアが合流した頃には既にサフィールはヴァンの元を離反しており、ルークたち一行を襲撃することは無かった。ジェイド自身はアクゼリュスで会ってはいるが、その場にナタリアは居合わせてはいない。つまり彼女は、空にぷかりと浮かぶ1人用の豪奢な椅子などと言うとんでもない光景を目にしたことは無いのだ。

「はい。以前、創世暦時代の飛行譜石が発掘されたことがあるんです。それで、シェリダンで浮遊機関の開発をすると言うことで、技術協力するための提携書に判を捺した記憶があります」

 ナタリアに答えるために、にこにこ笑いながらイオンが事情を説明する。それらを『記憶』と突き合わせながら、ジェイドは少しだけ思考を巡らせた。


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