紅瞳の秘預言32 道行

 『前回』、アルビオールの1号機は試験飛行においてメジオラ突風に煽られ、墜落してしまった。そのため、メジオラ高原まで飛行譜石とパイロットであったギンジを救出しに行かなければ2号機を借りることは出来なかった。
 だが、1号機の墜落事故を防ぐことが出来れば……2号機の完成を待たずして、空飛ぶ翼を手に入れることが出来る。『記憶』の世界では後に完成した3号機をアッシュが使い、自分たちはノエル操縦の2号機を駆ってオールドラントの空を駆け巡った。2機のアルビオールが『記憶』よりも早く使えるようになれば、それだけこちらの行動も迅速なものになる。
 そうすればきっと、後手に回りすぎることも無くなる。シェリダンを襲った神託の盾により、あの元気な老人たちが生命を落とす前に手を打つことも出来るだろう。そう、ジェイドは確信していた。

「そいつを借り出すってことか。よし、そこら辺は俺に任せとけ」
「お前のことだから、シェリダンの音機関に塗れたいだけだろうが」

 ぱしりと掌に拳を打ち付けながら申し出たガイに対し、アッシュは苦笑を浮かべつつ肩をすくめた。どうやらアッシュとルークが入れ替わる以前から、ガイは音機関好きだったようだ。

「ありゃ、ばれた?」
「お前は昔からそうだったからな。……変わっていないのは、良いことだ」

 参ったな、と短い金の髪を掻き回すガイから僅かに視線を逸らし、真紅の焔は薄い唇の端を少しだけ上げる。それが嫌味でも何でも無い心の底からの笑みであることを理解出来るのは、恐らく両親とナタリアくらいのものであろう。

「ただ、問題はありますわ。ベルケンドもシェリダンもキムラスカ領ですから、万が一六神将のどなたかやグランツ謡将と鉢合わせする可能性も無くはありません」

 だが、そのナタリアは深刻な表情で問題点を口にした。彼女の表情を伺い、アッシュも端正な顔から笑みを消すと難しい表情で腕を組む。

「……さっきナタリアも言ったように、ベルケンドは父上の領地だ。ヴァンが来る可能性は高いか」
「シンクはバチカル、ラルゴはダアトだったっけ。残るリグレットはヴァン謡将の補佐で、あちこち飛び回っているだろうな。見つかるとしたら彼女か、ヴァン謡将本人」

 ガイはアクゼリュスで会ったカンタビレの言葉を辿り、そこから推測を発展させた。鉱山の街の崩落から時間はそれほど経ってはいないから、彼らの動きもそう変化してはいないだろう。少なくとも、ヴァン側に残った六神将は自分たちの部下に加え離反したサフィールやアリエッタ、そしてアッシュの部下の面倒まで見なければならないのだから。
 ジェイドはくるりと全員の顔を見渡し、穏やかに微笑んだ。アクゼリュス崩落前よりも柔らかく、優しくなったその笑みは、だが一瞬だけルークとアッシュの表情を曇らせた。ジェイド自身は、それには気づかなかったけれど。

「会ってしまった場合は、各自ご自身の生命を最優先に逃げてください。特にルーク、アッシュ、ナタリア、そしてイオン様は何としても守り抜かなければなりません」
「旦那もな。あんたの頭脳を持って行かれたら、それこそ八方塞がりになる」

 軍人の言葉尻を捉えるように、ガイがきっぱりと言ってのけた。ナタリアがはっと目を見開き、少し怒ったように声を張り上げる。

「まあ! それを言うならばガイ、貴方の音機関の知識も重要ですわ!」
「ティアだって大事だぞ! ティアの歌ってすげぇし、ヴァン師匠、アクゼリュスでもティア連れて行こうとしたんだってな!」

 拳を握り、ルークも力説する。名を連呼された少女は白い頬を僅かに赤く染め、慌てて一歩踏み出した。

「わ、私は……それよりも、アニスだって大切よ! 最年少導師守護役の実力は伊達じゃ無いもの! ……それにその、トクナガも可愛いし……」
「そりゃーアニスちゃんは可愛いから、主席総長だって放っては置かないと思いますけど。それを言うなら、アリエッタだって六神将だよ? 強いし可愛いし、何たってライガやフレスたちと仲良しなのはちょー重要だと思うんだ」

 ティアの言葉に乗りながら、アニスもまたぐっと拳を握りしめる。ぬいぐるみを抱きしめたまま、アリエッタは少しはにかんだ笑みを浮かべた。

「……ありがと、アニス。ミュウも、可愛いから、大事」
「みゅみゅみゅ〜! 結局、皆さんぜ〜んぶ大事ですのー!」

 難しい話にはついて行けないためにじっと黙っていた高い声が、室内に響き渡った。発言者は、くるりと小さな身体をテーブルの上で回転させたチーグルの仔。その頭にぽんと軽く手を置いて落ち着いた笑みを浮かべたのはルークでは無く、珍しくアッシュの方だった。どうやら、ミュウの言葉を素直に受け取る気になったらしい。

「結論としてはそうなるな。重要さに、優劣など存在しない」
「最低限、グランコクマに辿り着くまで誰が欠けても駄目ってことか。これはなかなか難易度が高いぜ?」

 ガイが肩をすくめた。青い視線は、自然とジェイドに向けられる。誰かが欠けてしまうとすれば、その確率が一番高いのはこの軍人なのだと青年は考えていたからだろう。

 ……旦那。自分が囮になろうなんて考えるんじゃ無いぞ。
 ルークがずっと、気にしてるんだから。

 誰にも聞こえぬよう、声にせずに呟いてから彼は、ふと記憶の隅にあった知識を思い出した。

「……なあ、旦那。グランコクマって確か、有事の際には要塞都市になるんじゃなかったか。だからだろ、預言にも要塞の都市ってなってるのは」
「ええ、そうですよ」

 青年の問いに、軍人は当たり前のように頷いて答える。ジェイドは既に、ガイの素性を知っていることを当人に伝えている。だから、変に勘ぐるような言動を敢えてすることはしない。意味が無いからだ。

「ですけれど、まだ戦争は始まっていませんわよね?」
「だが、アクゼリュスの崩落と親善大使の消息不明で事態が逼迫しているだろう。いつキムラスカ側から宣戦布告されてもおかしくは無い」

 状況を再確認するナタリアの言葉に、アッシュが首を振った。ジェイドはその言葉を引き取り、推定される状況を説明する。

「アッシュの言う通りですね。既に海路は封鎖してしまっている、と考えて間違い無いでしょう。防衛の意味合いもありますが、何よりも陛下は住民の安全を願っていますから」
「じゃあ、どこかから上陸して陸路か……」

 ルークが腕を組んで呟いた言葉に、ティアがふと考え込む仕草をする。ややあって少女は顔を上げ、ジェイドに言葉を投げかけた。

「大佐。ローテルロー橋はまだ修復中でしたよね? あそこからなら、陸路で行けるんじゃ無いでしょうか」
「なるほど。では、そちらへ向かいましょうか」

 これもまた、ジェイドの『覚えて』いるまま。あの世界よりも早い帰還故に、橋の修復はまだ進んでいないはずだ。ならば、『当時』と同じように桟橋代わりに利用させて貰うのに問題は無いだろう。

「あれ、ティア、ローテルロー橋って確か」
「私たちが大佐と会う直前に渡った橋よ。ほら、漆黒の翼が落としちゃったでしょう」

 ルークの旅の最初、初めて見た巨大陸艦が逃走する馬車を追ったあの橋。今話題に出ている橋がそれであることをティアの言葉で確認して、少年は自分の中で考えを組み立てる。そして、組み上がった意見をおずおずと口にした。

「グランコクマとじゃ、結構距離あるよな。じゃあさ、タルタロス降りたらグランコクマの近くまでアリエッタの友達に送って貰うってのはどうかな。徒歩や馬車で行くより、ずっと早く行けるんじゃないか?」
「……確かにそうですね」

 一所懸命ルークが考えた意見を、ジェイドは素直に受け入れた。確かにアリエッタの友達の協力を得ることが出来れば、ローテルロー橋からグランコクマまでの時間を短縮することは可能だ。しかも魔物の護衛を受けることにもなるため、道中の安全性もかなり高くなる。
 ただ、当然問題もそこには存在している。魔物たちは、さすがに都まで入ることは出来ない。開戦直前である現在、住民たちの感情も高ぶっている部分があるだろう。そこに魔物と言う要らぬ刺激を与えるわけにはいかない。だが、その辺りのフォローはジェイドの得意とするところだ。

「この状況です、時間は惜しいですからね。陸路で入る場合はテオルの森を通ることになりますから、その手前まで送っていただければ結構です。よろしいですか? アリエッタ」
「うん! 任せて!」

 少女の満面の笑みを得て、ルークの意見は採用された。「やった!」と明るく笑う少年の表情に、何とは無しに場の空気も温かいものになる。
 ぱんと掌を打ち合わせ、ジェイドは全員の顔を見回した。

「それでは、行動予定はこれで決まりですね。まずはベルケンドへ、その後シェリダンに寄ってからグランコクマへ向かいます」

 ──多分、その前にケテルブルクに寄ることになると思いますがね。覚悟は、決めておきましょう。

 いずれにせよ、既に死んでいると思われていても仕方の無い自分の身の証を立てるためにも、あの冬の街には行く必要があるだろう。ジェイドは、この世界でも久しぶりの再会になるはずの妹の顔を思い浮かべ、ほんの僅かだけ眼を細めた。


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