紅瞳の秘預言33 説得

 タルタロスの巨体が、ベルケンドの港に碇を降ろしていた。ここまでは未だアクゼリュス崩落の詳細な情報が届いておらず、遠い鉱山の街に何が起きたのか分からないまま街全体が騒然としている。重大な情報はどうしても王都バチカルを経由して届くため、時間が掛かるのだ。
 もっとも、ベルケンドやシェリダンと言った音機関都市にはその性格上マルクトの船が寄港することもあり、そのせいかタルタロスの存在もそれほど浮いているとは言えない。これがバチカルであれば即座に臨検対象ともなるだろうが、現在のところその心配は要らないようだ。
 詳細不明の情報のせいでどこかざわめき立っている街中とは違い、艦内は妙に和やかな雰囲気が漂っていた。ベルケンドに到着したと言うことで上陸するために姿を現したジェイドを見て、女性陣が一斉に黄色い声を上げたからだ。

「まあ。カーティス大佐、そう言った服もとてもお似合いですわ」

 両手の指を組んで、ナタリアがにこにこ笑っている。

「髪の毛も、違う。ライガの尻尾みたい」

 アリエッタは手を伸ばし、つま先立ちになって彼の髪に触れた。

「……大佐、可愛い……あ、でもどうせなら綺麗な色のリボンも……」
「みゅみゅみゅ〜」

 赤く染まった頬に手を当てて、ティアはほんわりと見とれている。その足元ではミュウが、ずっと上にあるジェイドの顔を見上げている。

「あたしは久しぶりに見たなあ。やっぱ良いんじゃない?」

 アニスは普段通りの笑みを浮かべて、いつものように穏やかに微笑んでいるイオンと顔を見合わせた。

「ダアトの川で、僕を待っていてくれた時の衣装ですね」

 少年の言葉の通り、現在のジェイドは見慣れた青い軍服を着用してはいない。地味な色の私服を纏い、長い髪を後頭部の高い位置で結い上げている。こうやって見ると、この人物が死霊使いの二つ名を持つ軍人であるとはその顔を知らぬ者には分かるまい。

「さすがにキムラスカも、そろそろぴりぴりして来ているはずですからね。厄介ごとを抱え込まないためにも、マルクトの軍服で歩く訳にはいきません」
「まあなー。あの色でこの身長だから旦那悪目立ちするし、色だけでも地味になってくれて正直助かったよ」

 苦笑を浮かべながら言い訳とも言える言葉を紡ぐジェイドに、ガイは肩をすくめる。
 『記憶』の中で軍服を纏ったままキムラスカやダアトの領内を平然と歩いていた自分に、今更ながらジェイドは呆れていた。まだマルクト領内やケセドニアであればともかく、既に敵国となっていたキムラスカのしかも王都までそのまま闊歩していたのだから、向こう側を挑発しているようなものでは無いか。

「それはそうだな……ん、てめえも支度は出来たか」

 ガイの言葉に1人平然と頷いたアッシュが、ふとジェイドの背後に視線を向けた。そこからひょこっと顔を出したのは、大きめの帽子で赤い髪をカバーし薄い色のレンズが入った眼鏡を付けているルーク。アッシュと瓜二つの顔立ちと独特の朱赤の髪を隠すために、ジェイドが『あらかじめ』用意していた小物たちだ。『記憶』を知らぬ彼らには、潜入任務の際に使用するのだと説明してある。

「うん、一応。でもこんなんで良いのかな?」
「……ルーク、貴方も可愛い……似合ってるわぁ……」

 量の多いルークの髪をしまい込むための、大きめのふわりとした帽子。その下で、眼鏡をずらしながらルークが首を傾げる仕草が、どうやらティアの可愛い物好きの部分を刺激したらしい。うっとりと見とれている彼女の足元で、ミュウが小さな手を精一杯伸ばしながら嬉しそうに声を上げた。

「みゅみゅ。ご主人様、かっこいいですのー」
「そ、そうか? へへ、ありがとな」

 空色の小さい身体を抱き上げながら、少し照れたようにルークは笑った。その表情がまたティアには愛らしく思えたようで、上機嫌になった彼女の視線が1人と1匹に固定されている。
 そんなティアの肩をぽんと軽く叩いて意識を引き戻させると、ジェイドは同行者たちの顔を見渡した。そして、隅っこにちゃっかりと顔を出している譜業人形の姿を認めふわりと笑みを浮かべる。

「さ、では行きましょうか。皆さんは打ち合わせ通りに。タルロウ、留守は頼みましたよ」
『はーい』
「任せるズラ〜!」
「フレス、グリフ、お兄ちゃん。お留守番お願い」
「がるる」

 タルロウが張り切って両腕を振り上げる横で、アリエッタの『兄』がぱたりと一度尾を振った。相変わらず留守番役と言うことになる彼らも、さすがに慣れたようだ。
 彼らを残しタラップを降りた一行は、港湾事務所で所定の書類に目を通した。艦の責任者として名を記すのはジェイドでは無く、アッシュと言うことになっている。

 さて、上手く行けばいいんですけどね。
 ここまで行動をずらすと、後々の反動が心配ですよ。

 書類にさらさらとサインを入れるアッシュを見つめながら、ジェイドは胸の内だけで呟いた。


「提案なのですが……キムラスカの国内では、我々はローレライ教団の一行として動きませんか?」

 港に到着する、少し前。全員が食堂で茶を楽しんでいたその時に、その案は提示された。

「ほへ?」

 ジェイドの提案に、一番に目を丸くしたのはアニスだった。ぽかんと目を見張っている一同の中にあって、この少女はちらりと森の色の髪を持つ導師に視線を向けてからはあとお手上げの仕草をする。

「まあ……確かにイオン様もいるし、アッシュやアリエッタもいるもんね。それが一番自然かあ」
「そう言えば、ティアもそうだけど教団の関係者は多いよな。それ以外だとルーク、ナタリア、俺がキムラスカで、旦那がマルクト」

 ガイがくるりと室内を見回して頷く。厳密に言えばガイはマルクト出身だが、未だそのことを彼は幼馴染みたちに明かせずにいた。ジェイドの『記憶』に従えばもう間も無く明かされる時が来るのだが、ガイ自身はそんなことは知らないでいる。第一、そのきっかけとなるカースロットが未だ彼には掛けられていないのだから。
 きょときょとと人間たちを見比べていたミュウが、やがて青の軍人に視線を止めた。大きな瞳が自分を見上げて来るのに、ジェイドは「どうしたんですか?」とその毛並みを撫でてやる。

「みゅう。マルクトの人、ジェイドさんだけですの。ジェイドさん、ひとりぼっちだと寂しいですの」

 ぺたりと大きな耳が垂れるのは、この小さな聖獣がしょげていることの証。彼の頭を撫でていた手がそれに気づいて一瞬止まり、すっと引き戻される。
 みゅう、ともうひとつ声がした次の瞬間、ミュウの身体はふわりとジェイドの腕に抱き上げられていた。

「大丈夫ですよ。それを言うなら、貴方の棲んでいた森もマルクト領になりますからね。ひとりぼっちじゃありません、ミュウと一緒です」
「みゅみゅ!」

 ふわふわと空色の毛並みを撫でつけながら発せられる明るい彼の声に、筒状の耳がぴんと立った、
 『前の』ルークも、そうだった。自身が見捨て、幼馴染みが離れ、友が去って行った後もこのチーグルだけは彼の元に残り、その心の救いとなった。
 この世界でミュウは、ジェイドを気に掛けることが多い。聖獣のその気遣いを、彼は表には出さないけれど嬉しく思っている。自分には、到底無理なことだったから。

「そうですの、ボクと一緒ですのー」

 すりすりと胸元に頭をすり寄せてからミュウは、「お洋服がいつもと違うですの、だからすりすりの感じも違うですの」と面白そうにジェイドの顔を見上げた。苦笑しながら彼の頭を撫でてやり、ジェイドは改めて仲間たちに視線を戻した。すっかり話がずれてしまったこともあり、軌道修正をしなくてはなるまい。

「まあ、それはともかく他にも理由はあるんですよ」

 ミュウをルークの前に戻してやると、ジェイドは残っていたコーヒーを一口すすった。軽く一息を入れて、再び口を開く。

「タルタロスはマルクト船籍ですから、いくら領域内とは言ってもキムラスカの人間が利用するのはおかしいんです。だからと言ってマルクト……と言いますか、この私が堂々と動かしているとなると、この時期ですから国際問題となる可能性もありますよね」
「そうですわね。私やルーク共々、アクゼリュスで亡くなったことになっている可能性もありますし」

 ナタリアが、考える表情になりながら頷いた。実際、『前の世界』ではグランコクマ帰還までジェイドの生存を信じていたのはピオニーただ1人であったとネフリーから聞いている。今回はアスランも『知って』はいるはずだが、彼ら以外の者は地の底に消えた鉱山の街と共にジェイドが死んだと考えているのが普通だろう。それはキムラスカ、そしてダアトにおいても同じことだ。
 その死んだはずの『死霊使い』が実は生きており、しかもキムラスカの国内でマルクトの陸艦を指揮しているなどと言うことになれば、これはマルクト軍もしくは皇帝より命じられた極秘の任務を負って動いていると取られるのが当然だ。この時期においてそれは、キムラスカに対する敵対行動と受け取られてもおかしくは無い。
 『前回の世界』では、よく平気で動き回れたものだと思う。恐らくは、神託の盾の幹部であるイオンやアッシュが同行していたからだろう。

「ですから、ローレライ教団が接収して使用していると言うことにするのが一番丸く収まるんです。……イオン様には責任を押し付けてしまうことになりますが」
「いえ、僕は構いませんよ。モースが歯がみしているところを見られないのが残念です」

 ジェイドの説明に、イオンはゆったりと頷いた。少し考えるように顎に手を当ててから、真剣な眼差しをアッシュに向ける。

「そうですね……アッシュが責任者になっていただけますか?」
「俺か。確かに隠密任務も多いからな……分かった、受けよう」

 この場に師団長はもう1人アリエッタがいるが、獣を操り戦闘に出ることの多い彼女よりは人知れず隠密活動を行うことの多いアッシュの方が適任である。その人選に納得し、真紅の焔は承諾の返答を口にした。

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