紅瞳の秘預言33 説得
その間、ティアはじっと口を閉ざしていた。が、話が一段落したところでおずおずと言葉を紡ぐ。
「あの……大佐は、教団にはあまり良い思いを持っておられないようですが……大丈夫ですか?」
そう指摘されてジェイドは、「ああ」と眼を細めた。確かに、これまでの教団上層部に関する言動を見ていればそんな風に思われても致し方の無いところがある。
「良い思いをしないのは、大詠師やグランツ謡将と言った人の信仰にかこつけてこそこそと悪巧みを行う連中に対してだけですよ。イオン様を尊敬しているのは事実ですし、元々カーティスの家は敬虔な信者ですから」
「まあ、そうでしたの?」
「私は養子ですし、こう言う性格ですからあまり深く信仰している訳では無いのですがね」
言い訳とも取れる言葉を返すと、ナタリアが驚いたように目を見張った。もっとも、その言い訳の中にはもうひとつの理由は含まれていないのだが。
『記憶』の世界で、ローレライ教団が……正確には大詠師派やヴァン一派が行った、言動の数々。それは世界を破滅に導くためのものでしか無かった。最終的には星と世界は護られたけれど、その代償として朱赤の焔は消え去り二度と戻らなかった。
故に今のジェイドは、ローレライの助力を受けることはあっても教団の信仰に何ら興味を持つことは無い。
何かを信じることを否定はしないが、信じすぎることによりかけがえの無い何かを失ってしまうだろうから。
「んまあ、それは良いとしてぇ……イオン様、ダアトに戻らなくて良いんですかぁ?」
砂糖とミルクのたっぷり入った紅茶を飲み終わったアニスが、イオンの顔を覗き込むように上体を乗り出して来た。確かに、この状況ではローレライ教団も混乱の極みにあるだろう。ならば一度、最高位である導師が総本山に戻ることで状況の収拾に努めるのが本来ではある。
イオンにもそれは分かっているのだが、それとは別の問題がそこには存在している。
「多分今のダアトは、モースが混乱を利用して教団を掌握しているでしょう。僕が戻っても、モースとヴァンに利用されるだけでしょうね。いずれは戻って、内側から引き締めなくてはいけないと思いますが」
アクゼリュスとルークを滅ぼすことで、ユリアの預言に記された戦争を引き起こしたいモース。
その混乱に乗じ、自らの計画を進めて行くつもりのヴァン。
いずれにしろ、彼らに取り導師イオンと言う存在は最大限に利用すべき『道具』である。そのイオンが今のこのことダアトの街に戻ったりすれば、囚われて自由を失うことは目に見えている。実際、『記憶』の世界でもアッシュによってダアトに送られたイオンはナタリアと共に軟禁され、ルークとガイの援護を求めたジェイドとアニスによりようやっと救出されたのだから。
「そう……だよなあ。セフィロトのダアト式封咒を解除出来るのはイオンだけなんだろ? だったら、きっと師匠は……」
しゅんと顔を俯けて、手の中にある空のマグカップに視線を落とすルーク。その言葉の1つに、同じ顔を持つ青年が呆れたような反応を見せた。
「ふん。まだ師匠などと呼んでいるのか、てめえ」
「だ、だって師匠は師匠なんだから、しょうがねえじゃんか」
「良い加減あれから離れろ。てめえはヴァンに利用されて捨てられて死にかけたんだぞ、分かってんのか!」
「分かってるけど! でも、やっぱり何にも知らなかった俺にとっては、ガイと並んでいろいろ教えてくれた人だし……」
強い口調で叱咤するアッシュと、反論しようとするが迫力に圧倒されてしまっているルーク。2人の口論をそろそろ止めようか、とジェイドが動く前に空色の小さな身体がちょこちょこと、彼らの間に割り込んだ。
「みゅー! ご主人様、アッシュさん、喧嘩は駄目ですの! ご主人様もアッシュさんみたいに、おでこのしわが増えるですの!」
「んだ何言いやがったこのブタザルっ!」
ミュウに対し、勢いに任せてアッシュが怒鳴りつける。と、彼自身とルークを除いた全員が目を見張った。その視線は、たった今叫んだばかりのアッシュに集中している。
「……ほほう、なるほど」
「あれま」
「な、何だ?」
腕を組み悪戯っ子のように眼を細めるジェイド、髪を掻きながら苦笑するガイ。眉をひそめながらアッシュが視線を彷徨わせていると、導師守護役の少女と目が合った。次の瞬間、にぃと彼女の大きな目が細められる。
「アッシュもミュウのこと、ブタザルって呼ぶんだぁ。ルークと一緒だね」
「この辺の感覚は、やっぱり良く似ているのね」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら、アニスが身を乗り出して来た。彼女の横でティアが感心したように頷き、イオンがくすくすと肩を揺らして笑っている。アリエッタはきょとんと2人を見比べていたが、やがて納得したように顔を綻ばせた。
「うん。ルークとアッシュ、兄弟みたい」
彼女の言葉がとどめになったかのように、2人の焔は気まずそうに顔を見合わせた。そして、何の合図も無く同時に視線を別々の方向へ逸らせる。
「……」
「……」
「まあ、その辺にしておきましょうか。基礎人格を構築するために重要な最初の数年を育った環境が同じなんですから、言動が似通っていてもおかしくは無いんですよ」
ぽんと2色の赤に手を置いて、ジェイドはくしゃくしゃと質は似ている髪を両手で掻き回してやった。『記憶』の世界では叶わなかった、2人の焔が仲良く並び立つ姿。
その姿を、ジェイドと同じような眼差しで見つめていたイオン。彼は朗らかに笑むと、手の中で冷めた紅茶に口を付ける。こくりと飲み下し、笑みを消さないままその瞳は真紅の焔に向けられた。
「ふふ。では、アッシュは僕を連れて極秘任務にでも就いていると言うことにしてください。キムラスカは教団寄りですから、僕やアッシュが上手く話を通せば何とかなりますよね」
「そのくらいなら、俺がどうにかしてやる。てめえらは適当に話を合わせろ」
掻き乱された髪を手櫛で整えながら、アッシュは小さく溜息をついた。
何の妨害も無くベルケンドの街に到着した一行は、アッシュの先導で音機関研究所を訪れた。最奥の部屋で音機関を睨み付けていたスピノザは、唐突に湧いた来客の中に真紅の髪を認めて目を見張る。
「む……? お前さんはルーク……いや、アッシュか!」
「ああ、そうだ。てめえの言う『ルーク』はこいつだろう?」
ふんと鼻を鳴らし、アッシュは自身の背後にいたルークを押し出した。帽子と眼鏡を取ると、見慣れた者以外にはほとんど区別が付かないほどアッシュと酷似した容姿がそこに現れる。
「は、はじめまして。えっと、レプリカのルークです」
「う、うむ。わしはスピノザじゃ」
ぺこっと頭を下げたルークに、思わず老研究者も軽く目礼を返した。それからやっと気がついて、眼鏡の位置を直す。ジェイドの癖とも似通っているその動作を待って、自らレプリカと名乗った少年は再び口を開いた。
「……ええと、あの。聞きたいことあるんだけど、良いかな?」
「ルーク?」
「む、何じゃ?」
ナタリアの声を抑えるように掌を向け、そして少年はスピノザに向き直った。碧の瞳には純粋な光が宿っており、彼に対する負の感情はそこには浮かんでいない。
「あんた、俺のことレプリカだって最初から知ってたんだよな?」
「まあ、それはな」
「それで、父上や母上にそのこと黙ってたから、みんなは俺のことレプリカだって知らなかったんだよな?」
「う、うむ……そう言われれば、そうなるが」
ルークの質問に、スピノザはこくこくと頷くしか無かった。実際、アッシュの代替としてファブレ家に放り込まれたルークがレプリカであることをスピノザ自身は知っており、ファブレ公爵夫妻にそれが漏れることが無いよう身体データなどを改ざんしたのだから。
それを知っていて、この少年は一体自分に何を言いたいのかとスピノザは改めてルークの顔を見返す。と、彼の顔がにこにこと無邪気な笑みを浮かべていることに気がついた。
そうして、朱赤の焔は研究者の両手を取った。
「ありがとう!」
「は?」
「おい?」
「……」
言われたスピノザ自身も、少年と並んでいるアッシュも、そしてジェイドを初めとした仲間たち全員もがルークに視線を集中させる。一身に向けられた眼差しの中で、ルークは笑顔のまま言葉を続けた。
「だって、俺がレプリカだってことをあんたが隠していてくれたから俺、父上や母上に普通に育てて貰ったんだもんな。最初から俺がレプリカだって分かってたら、今ここにいられてるかどうかも分からなかったんだもん。だから、ありがとう」
「いや、ルークお前、そこか?」
「うん、そこ」
ガイのツッコミに少し済まなそうに眉尻を下げながら、それでもルークは笑って見せる。そうして、今は軍服を纏っていない軍人に視線を向けた。
「なあ、ジェイド」
「可能性はありますね。まあ、貴方がそれで良いのでしたら」
さすがのジェイドも、このルークがそこまで前向きな思考を持てることには気づかなかった。だが、少なくとも彼自身にとっては良い傾向なのだと自分を納得させる。
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