紅瞳の秘預言33 説得

 が、彼の名を聞いたことで今度はスピノザが顔色を変えた。

「ジェイド……! 死霊使いジェイドか!」
「はい」

 フォミクリーを研究している科学者に、ジェイドの名を知らぬ者はいない。根本となった譜術技術を生み出した人物の名であり、その研究が元で『死霊使い』の二つ名を冠されることとなった男の名であるからだ。

「……まあ、当人がこう言っていますので、ルークのことについては不問にします。それより、何故貴方はグランツ謡将に協力しているんです? フォミクリーが禁忌として封印された技術であることは、貴方もご存じでしょう?」
「……フォミクリーに興味を持ったからじゃよ。研究者であれば誰しも、この複製技術を生体応用することに興味を持たんはずが無い」

 そのジェイドからの、言葉こそ柔らかいながらも強い問いにスピノザは、視線を彼から逸らしながらもぽつりぽつりと答えた。そして、真紅の目に負けること無く視線を向ける。

「あんたからしてそうじゃろう? ジェイド・カーティス……いや、ジェイド・バルフォア博士」
「……いえ」

 普通ならば、スピノザの言う通りなのだろう。だが、彼は。

「私が生体レプリカについて研究していたのは、失った日々を取り戻したかったからですよ。けれど、それは適わないことだと知ったからやめたんです。レプリカは同じ姿をしているだけで、オリジナル本人ではない別の人間なんですから」

 ジェイドは、ずっと心の中にしまい込んできた本音を言葉にして吐き出した。
 己の過ちで失った人を、蘇らせたかった。
 自分の力だけでは無理だったその願いを、国家や軍の手を借りてまで叶えようとした。
 けれどそれは叶わぬことだと思い知らされ、自身は道を断った。
 そんな彼を見ていられなかった幼馴染みは出奔し、更に多くの罪を背負ってまでその願いを叶えようとした。
 幼馴染みをやっと止めることが出来たのは、一度通り過ぎた時間の記憶を背負って戻って来たから。
 その『記憶』の中で、ジェイド自身さらに罪を重ねてしまったのだけれど。

「私は、軍のバックアップがあったとは言え己のわがままで多くの生体レプリカを生み出し、殺しました。自分の罪は、ちゃんと自覚していますよ」

 『前の世界』では、事実上ルークに命じて1万のレプリカを殺害させた。そのルークも音素乖離と大爆発から救うことは出来ず、アッシュに食い潰させて殺してしまった。
 この世界では未だ負うことの無い罪ではあるが、ジェイドの中にはその『記憶』がはっきりと残っている。
 例え今後再びあの罪が生まれずとも、ジェイド・カーティスはずっとその罪を負って行くのだ。

「ですが、罪を敢えて被ろうとする方と馴れ合うつもりはありません。貴方も研究者であれば、最初の生体レプリカがどんな末路を迎えたのかはご存じのはずですよね」

 冷たくスピノザに突きつけた言葉は、同時に自分自身にも突きつけたものだった。
 瀕死のネビリム先生から生み出した複製体は、精神のバランスが崩壊していた。幼いジェイドはその複製体を失敗作と見なし処分した……はず、だった。少なくとも『この時点』で知られている情報は、そこまでのはずだとジェイドは『記憶』している。
 その後、数多くの譜術士を殺しその亡骸を辱めた凶悪犯が、逃げ延びた『彼女』だったと知った。それは、『記憶』の世界でももう少し後のことだったように思う。
 この世界では、『彼女』は今も冷え切った山の中で眠りに就いているのだろうか。

「……わ、わしはただ、ヴァン様のおっしゃった保管計画に従っただけじゃ! レプリカ情報を保管するだけなら、今でも問題は無いじゃろうと……」
「抜き出すだけでも危険が生じる場合があります。それも知っているでしょう」

 ジェイドが突きつけた言葉に、思わずスピノザは『記憶』と同じように自身の事情をぶちまけた。ここに来てやっと、『レプリカ計画』の一角が顔を見せることになる。
 その一角を表した言葉に、ナタリアが敏感に反応した。数歩足を踏み出し、胸元でぐっと手を握りしめる。

「保管計画? 何ですの、それは」
「そこらの人間から、片っ端からレプリカ情報を抜いてくんだよ。教会で待ち受けてりゃ、市民なんざ向こうからいくらでもやって来るからな。預言詠んでくれって」

 露骨に顔を歪めながら、アッシュが説明の言葉を吐き捨てる。恐らくはサフィールから伝えられたであろうその言葉を聞いて、ルークがどこか怯えたように目を見開いた。

「なんで? だって、前ジェイド言ってたけど、たまに死んじゃう人とか出るんだろ? アッシュは大丈夫みたいだけど、危ないじゃ無いか」

 ふたつめは、オリジナルから情報を抜き取る際に発生する問題です。

 カイツール軍港の宿で、初めて彼らにフォミクリーに関する説明をしたときにジェイドが口にした問題点。ルークはそれをしっかりと覚えていて、ちゃんと自分の知識にしていた。
 そんなルークにジェイドは、僅かに眼を細めて笑った。やはり、大人が犯した愚かな行為を口にするのは自分の役割なのだと、覚悟を決めて。

「簡単ですよ。あらかじめレプリカ情報を抜いて保存しておけば、いつでもレプリカを作成することが出来ますからね。もちろん、作成するにはフォミクリーの音機関が必要にはなりますが」
「それで、ヴァン総長、みんなレプリカに変えちゃうの?」
「……!?」

 唐突に上がった声は、人形をぎゅっと抱きしめているアリエッタのもの。振り返ったジェイドの目に映った彼女の表情は、いつもと変わらぬ泣きそうな顔で。

 サフィール……貴方、アリエッタにも教えたんですね。

「……ディストから聞いたのか」

 ジェイドと同じ結論に辿り着いたらしく低い声で問うた真紅の焔に、桜色の髪の少女は小さく頷いて答えた。アリエッタ自身をレプリカと入れ替えると言う話を以前に聞いていたアニスも、さすがに顔色を変える。

「レプリカに入れ替えるの、アリエッタだけじゃ無かったの!?」
「うん。ディスト、言ってた。ヴァン総長、みんなレプリカにしちゃうんだって。アリエッタの故郷もレプリカで作って、そこにはレプリカのアリエッタが住むんだって」

 彼女の言葉からすると、今の時点では未だフェレス島のレプリカは作成されていないらしい。それを確認し、ジェイドはレンズの下の目を細めた。
 もっとも、あのような巨大なレプリカを作成すればそれは、第七音素の大量集積と言う形で容易に検出出来るのだが。

「故郷って……地面も作れるのですか?」
「ある意味、生体よりも簡単に作れますよ。私が研究していた頃でも、理論上は小さな島程度なら作れました。あれからサフィールが改良を加えましたから……何度かフォミクリーを繰り返せば、星の表層全てを複製することも出来るでしょう」

 ティアの問いにさらりと答え、更にジェイドはその中にヴァンの企みを放り込んだ。
 『記憶』の中に存在したフォミクリー装置の最大作成範囲は、3000平方キロメートルに及んでいた。オールドラント表面積の10分の1に当たるだけのエリアを一度に複製し、元の大地を瓦解させて入れ替える。オリジナルの人類が消え失せた複製大地に、あらかじめ抜き取っておいたレプリカ情報を使用して生み出した生体レプリカの人々を解き放つ……と言うのがヴァンの構想するレプリカ計画であろう、とジェイドは推測している。

「にしても、入れ替えか……ルークとアッシュのように、と言う訳では無さそうだな」
「ヴァ、ヴァン様は一体何を考えておられるのじゃ……?」
「さあ。オールドラントを根こそぎレプリカの星にでもする気じゃ無いですか?」

 ガイが眼を細め、冷徹な表情で溜息をつく。さすがのスピノザも、ヴァンの真意までは知らなかったらしい。頭を抱え込む彼に、ジェイドは冗談めかして真実を叩きつけた。
 『記憶』の中、外殻大地の降下が成し遂げられた世界。
 暗躍するヴァンの手駒であったレプリカ部隊に殺されたアスラン、ヴァンの手に掛かったイエモンは情報を抜き取られ、レプリカとして再生された。
 それは、ヴァンの計画により生まれ変わった世界の住民にするため。
 全てを複製に書き換えた世界には、オリジナルの人間など必要無いから。

 ピオニーが止めてくれなければ、今頃自分はその計画に乗り世界を滅亡に導いていたかも知れない。

 ──ありがとう。

 太陽の色の髪を持つ朋友に感謝の念を捧げ、ジェイドはスピノザに向き直った。
 彼も、自分のように止めてくれる存在がいれば、きっと悲劇は起きないから。

「私には、突き進む自分を力ずくででも止めてくれる友人がいます。昔の私はその友人の言葉を聞き入れることもせずに、多くのものを失いました」

 そのジェイドをピオニーは、思いを込めて殴り飛ばすことで止めた。
 ジェイドの必死の言葉は、サフィールに届いた。
 それなら、彼にも。

「スピノザ。貴方にも、友人はいるでしょう。ベルケンドのい組……でしたか」
「え、い組?」
「……あ、あやつらとは……」

 『ベルケンドのい組』の名に反応したガイを、意図的に意識から外す。他の仲間たちにはその名を知らぬ者もいるだろうが、それはきっと後で金の髪の音機関好きな青年が説明してくれるはずだ。きっと、ルークが聞きたがるだろうから。
 小刻みに肩を震わせているスピノザの正面に、ジェイドが立つ。彼の気配に気づき顔を上げた研究者の瞳に映ったその表情は、温かく穏やかな笑みを浮かべていた。


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