紅瞳の秘預言34 交渉

 ベルケンドの港を離れたタルタロスは、程なく対岸にあるシェリダン港に接岸していた。ベルケンド同様、アッシュを責任者として立て問題無く上陸した彼らは、職人たちの暮らすシェリダンの街へと足を踏み入れる。
 職人の街とも称されるだけあり、通りの両側には無骨で素朴な建物が並んでいた。その端々に様々な音機関が風景に溶け込むように設置され、街の生活を支えている様子が良く分かる。

「飛行譜石♪ 浮遊機関♪」
「お空飛ぶですのー、ふわふわですのー」
「ガイ、ガイ、浮かれすぎだって。後ブタザル、お前も付き合うな」
「相変わらずですわね」
「こいつは全く……」

 うきうきと街並みを見回している金の髪の青年とその真似をする聖獣に、普段なら初めて来た街を興味津々の表情で眺めているはずの少年もさすがに呆れていた。ガイの音機関好きはルークがファブレ家に引き取られた頃から……いや、アッシュがルークとしてファブレにいた頃からのものだったらしく、苦笑を浮かべるナタリアの横でアッシュは露骨に顔をしかめている。
 そんな彼らの心境を知ってか知らずか、ガイは上機嫌な顔のまま同行者たちを振り返った。

「いや、これが浮かれずにいられるかっての! ああ、あれは音素式冷暖房譜業機だ。説明してやるから見に行こうぜ、ルーク」

 民家の軒先に置かれた音機関を指差し、足を踏み鳴らすガイの落ち着かない様子に、アニスは大げさに肩を落とした。元々世間知らずな両親のせいで苦労を重ねている彼女は、年齢の割に保護者然としたところがある。自分より10歳近くも年長の青年の無邪気な言動に、思わずその両親を重ねてしまったのかも知れない。

「派手な行動は慎んだ方が良いんじゃ無いかなー。変に見つかったら困るよ?」
「それに、冷暖房を扱う譜業でしたらファブレ邸にもありましてよ?」

 ナタリアの言葉に、ガイははたと足を止めた。少し考えて、ぽんと手を打つ。

「ああ、そうだったそうだった。じゃあ、落ち着いたらファブレの屋敷で説明した方が良いか」
「……あったんだ?」

 ルークが目を丸くした。屋敷に軟禁されていた7年間、ルークはファブレ邸の敷地内をくまなく走り回ったはずだったが、特に譜業らしきものを目にしたことはほとんど無い。せいぜいガイが弄っている小さな音機関くらいが関の山だった。

「そりゃあるだろう、母上のお身体のことがあるからな。屋敷の中の温度を安定させた方が、容態も落ち着かれるはずだ」
「ああ。ただ、あまり大っぴらに出すものじゃ無いって言う旦那様のお考えでさ、カムフラージュが行き届いてるんだ。ルーク、お前の部屋も譜業で温度調整してたんだぜ?」
「え……あ、そうなのか?」

 顎に手を当てながら答えるアッシュと、彼に頷きつつ自分に説明をしてくれるガイの顔を見比べて、ルークはぽかんと目を見開いたままの間抜けな顔を晒す。彼にしてみれば屋根が付いている屋敷の中は四六時中温暖な気候であるのが当たり前であり、タタル渓谷に飛ばされてからの長い旅はその意味でも初めての経験だった。

「ずっと、家に閉じこめられてたんですものね。他所と比較することが無ければ気づかないわ」

 ティアが思考を巡らせつつ、ルークのフォローに入る。同行者たちの中では唯一魔界で育った彼女にしてみれば、薄暗く障気に満ちている空と液状化した泥の海が当たり前の光景だった。こうやって外殻大地と比較しなければ、そのおぞましい自然がオールドラントの全てだと思い込んでいてもおかしくは無い。

「ルークんちみたいにお金持ちならまだしも、普通の家はそうでも無いんだよ。冬の夜は毛布沢山かぶらないと寒いし、夏は暑いし雨降ったらじめじめするのが当たり前なんだから。ダアトの家は大概そんな感じだよ」
「そ、そうだったんだ……」

 腰に手を当てながらアニスが人差し指を立て、ちっちっちと振りながら説明するとルークは、何かに衝撃を受けたように固まった。自身の無知を、今更ながらに思い知らされたのだろうか。
 そのルークの横から一歩踏み出して、しょんぼりした顔のイオンが頭を下げる。例に出されたのがダアトであるために、最高権力者としては責任を感じたようだ。

「済みません、アニス。僕の方からも生活環境の改善を提案しているんですが、どうしても経費の関係でなかなか上手く進まなくて」
「い、良いんですよイオン様は気にしなくて! 一般信徒は質素な生活が当たり前なんですしぃ! ほら、アリエッタも何か言って〜!」

 導師の言葉に、アニスは大慌てで両手を振り回す。別に彼女はイオンの力不足を指摘したかった訳では無いから、そう言った反応は予想外だったのだ。そうしてつい、同僚である少女の方に話を振ってしまった。
 が。

「おうちだと雨が掛からないし、酷い風も入らないから、アリエッタは嬉しい。それじゃ駄目なの?」

 ヴァンに引き取られるまで自然の中で生活していた少女は、不思議そうに同行者たちを見つめながらそう答える。その言葉に、一同は思わず黙り込んでしまった。

「木の洞の中は、結構じめじめするですの。人間さんのおうちは窓があって、風が入って涼しいですのー」

 元から魔物であるミュウの言葉が、そこに拍車を掛ける。
 確かに彼らの言う通りなのだろう。人間、上を見ればきりが無いのだ。

 そんな彼らを、相変わらず私服のままのジェイドは最後尾から穏やかに見つめていた。だが、その脳裏では思考がめまぐるしく走り回っている。
 『記憶』の中で自分たちがこの街を訪れた時は既にセントビナーが崩落を開始した後であり、一刻の猶予も無かった。だが『この世界』ではルークも含めた全員の魔界からの帰還が『記憶』よりもずっと早かったために、まだその兆候もほとんど見られていない。数日中に起きるはずの南ルグニカ地方が崩落したと言う話も、まだここまでは届いていなかった。
 だが、アクゼリュスのセフィロトツリーが消滅していることは事実であり、いずれは各地の崩落が始まる。その前にアルビオールを完全な状態に仕上げて貰い、自分たちはグランコクマのピオニーに謁見してマルクトのバックアップを受けなければならない。その上で各地を回り、全面戦争の回避とセフィロトの操作に努めなければ、世界は滅ぶ。
 ルークとナタリアが死んだと思い込んでいるキムラスカはダアトを掌握しているはずのモースと謀り、マルクトに対して戦を仕掛けるための大義をその手にするだろう。出来れば開戦前に回避するのが最良ではあるが、恐らくそれには間に合うまい。少なくとも、カイツールのアルマンダイン伯爵は既に戦のための準備を進めていると見て良い。カイツールはアクゼリュスから近く、その異常は救援部隊として派遣されていたキムラスカ軍や逃れたアクゼリュス住民から伝わっているだろうから。
 さらに、親善大使として選ばれた2人の出生問題も関わって来ることになる。ルークがレプリカであることは既知であろうし、ナタリアをアクゼリュスに送り込んだと言うことは彼女がインゴベルト王の血を引かない娘であることも既に知られているはずだ。2人の存命を知れば、モースに焚き付けられたインゴベルト王はその処刑を命じる可能性が高い。『記憶』と同じように、キムラスカの繁栄という預言を成就させるために。

 いっそ、インゴベルト陛下の前に第七譜石を引っ張り出してやりましょうかねえ。

 陸艦の倉庫に安置してある『お土産』に思いを馳せ、ジェイドは小さく溜息をついた。さほど大きくない、『オールドラントの最期』を刻んだ部分ならば手荷物の中に放り込み、持ち歩くことは可能である。いっそのことそれを公衆の面前で、国家最高権力者の前に突き出せば。

 モースが強硬手段に出なければ、良いんですがね。

 そこまで考えて、ふとジェイドの脳裏に1つの光景が『蘇った』。
 ザレッホ火山の最奥部。
 アニスの両親を人質に取られ、ユリアの預言を詠まされたイオンはその力に耐えきれず、最期を迎えた。
 セフィロトのユリア式封咒を解くたびに体内に大量の障気を取り込んでいたティアから、その障気を全て引き受けて。
 最期に彼がルークのために詠んだ預言は、星を救うための道標だった。
 そうして、少年の身体は解け、空に消えた。

 モースが第七譜石を本物だと断じる可能性は低い。あの大詠師には第七音素を操る素質は無く、自らが預言を詠むことは出来ない。それはつまり、目の前に存在する譜石の真贋を己が確認することが出来ないと言うことにもなる。
 故に恐らく、モースはタルタロスの中に安置されている第七譜石が本物であることを認識出来ない。そして、イオンに強制的に預言を詠み直させるだろう。自身が刻まれていると信じる、『キムラスカの未曾有の繁栄』の預言が出現するまで。
 それでは『記憶』の世界と同じく、身体の弱いイオンを死に至らしめるだけだ。

 ローレライの力を借りることが出来れば、説得は出来ますかね?
 いえ、不確定要素はこの際除外しておきましょう。
 第七譜石を公開するのは、最終手段だ。

 自分の中だけで結論付け、ジェイドは誰にも気取られぬよう息を吐きながら自身の細い顎を撫でた。
 自身が願えば第七音素意識集合体が答えてくれるであろうと言う意識は、彼の中には無い。


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