紅瞳の秘預言34 交渉

「おや。話が早いね。大佐ってことは軍人さんかい」
「ええ、まあ。あまり時間が無いものですから」

 タマラの年齢を重ねた鋭い視線にも、彼がたじろぐことは無い。小さく頷いた後胸に手を当て、真剣な眼差しで言葉を続ける。

「その代わり、完成したアルビオール及び操縦士の運用をこちらにお任せ願いたい。キムラスカ所属と言うことになるでしょうから、マルクト側への越境は皇帝陛下に掛け合って特別許可を出させます」
「何じゃ、お前さんマルクトの偉いさんなんか? 教団の譜術士か何かだと思っとったぞ」

 私服を纏っているこの優男がマルクト軍人であることは、本当に気づかれなかったらしい。目を瞬かせたアストンに、アッシュが小さく溜息をつく。

「開戦直前の状況だ。マルクト軍人が制服着て歩いてりゃ、それだけで尋問対象だろうが」
「ま、そりゃ確かにの」

 頷いたアストンの横で、イエモンがにいと歯を剥き出して笑った。年齢の割には綺麗に揃った白い歯が、彼らの精神年齢の若さを表に映し出しているようにも見える。

「うむ、分かった。わしらのアルビオールも、どうせ空を飛ぶのなら戦争に使われるより平和に使われた方がきっと喜ぶからの」
「ありがとうございます!」
「済まない、恩に着る」
「本当に、ありがとうございます」

 イオン、アッシュ、ナタリア。それぞれがそれぞれの言葉で、老技術者たちに礼を言う。

『ぃやったぁ!』

 ぱん、と手を打ち合わせたのはアニスとルーク。アリエッタもにこにこ笑っており、ガイなどは両の手を握りしめて感動していた。まだ先になるとは言え、空を飛ぶ音機関を自身の目で見ることが出来るのだから。
 その中でジェイドは、ふと『思い出した』ことを口の端に乗せた。『前回』はそのせいで、アルビオールの運用にはかなり時間が掛かった事柄を。

「ああ、試験飛行の時はメジオラ突風に気をつけてくださいね。運用限界の確認とか言って、そちらに飛んで行きそうですから」
「……そうじゃの。ギンジにはよーく言って聞かせとこう」
「あんたの孫だもんねえ、イエモン」

 飛晃艇の操縦士である青年の名を呼んだイエモンに、タマラが面白そうに表情を崩しながら肘を押し当てる。そう言えば彼と、その妹であるノエルはイエモンの孫たちだ。この場には顔を見せていない2人とは、ジェイドたちがアルビオールを運用するようになれば会うことになる。それをジェイドは、先の楽しみとして取っておくことにした。
 ひとしきりイエモンを弄り終わって満足したのか、タマラがテーブルを回り込んでジェイドたちの傍に歩み寄って来た。アストンとイエモンも腰を上げ、軽く腕を回して準備運動を行う。

「それじゃ、まずは貰うもん貰いに行きましょうかねえ。港かい?」
「ええ。良ければ我々で持って来ますが。若者も沢山いますし」
「ジェイド、自分は計算に入れて無いだろ」

 ルークのしかめっ面を視界の端で確認して、真紅の瞳は楽しそうに細められた。が、彼の提案にはアストンが「いや」と首を振る。

「そこまでお任せって訳にも行かんじゃろ。運搬用の台車が港にあるから、そこに積み込んでくれりゃ後はこちらで運ぶ。若い衆はシェリダンにもいるからの」
「分かりました。リストを差し上げますので、確認してください」

 アストンの提案を素直に受け入れてジェイドは頷いた。そうして、彼らを案内するために先頭に立ち集会所を後にする。その背後で、アニスが呆れたように声を張り上げた。

「ほらー、ガイ、行くよー!」
「え〜、もうかよー」

 不満の声を上げるのは、やはりと言うか金の髪の青年だった。ルークの肩の上にちょこんと座っているミュウが、そこからぶんぶんと小さな腕を振る。

「みゅみゅ! ジェイドさんが言ってたですの、時間が無いですの! だから、ガイさんもさっさと行くですの〜!」
「ま、そう言う訳だから。急ぐぞ、ガイ〜」

 ルークが楽しそうに彼の背後に回り、その背を両手で押し出す。ぐいぐいと部屋から追い立てられて行きながら、それでもガイはギリギリまで音機関まみれの空間を堪能していた。そうして部屋を出た途端。

「うぅ……平和になったら入り浸りたいーっ!」
「そのためにも頑張らなきゃ駄目だろー!」
「平和になったら、か」

 未練たらたらの表情で遠ざかって行くガイと彼を押し続けるルークを見送るように、アッシュは碧の眼を細める。そうして、口元に笑みを浮かべた。

「アッシュ、行きますわよ」
「ああ」

 ナタリアに名を呼ばれ、青年は真紅の髪をなびかせて彼女と肩を並べる。そこは、7年の時を経てやっとアッシュが取り戻した、彼のための場所だった。


 その後彼らはアストンを初めとした技術者たちを連れて港に戻り、陸艦用の予備部品をイエモンたちに引き渡した。リストをチェックした3人は、その品揃えの完璧さに目を丸くする。
 それは、彼らを送り出した後で引き渡しリストを目にしたガイも同じこと。港から去って行く技術者の一団を見送りながら、彼はひゅうと口笛を吹いて軍人に視線を向けた。

「旦那、相変わらず預言士クラスのお手並みだねえ」
「キムラスカとマルクトが戦争状態に入った場合、陸艦の補修をこちらに頼むわけにはいきませんからね。それなりに予備部品を押さえておかないと」

 本来の事情を口にすること無く、ジェイドはくすりと肩を揺らせる。だが、彼の言葉もまた事実だ。
 自国内に音機関都市を2個所構え、譜業兵器の製作と整備には完璧を期しているキムラスカとは違い、マルクトは国内に大型ドックは存在するものの基本的に譜業兵器のノウハウはシェリダン任せだ。こう言った戦争状態になるとその点で、マルクトはキムラスカより不利になる。譜術士の質、及び量ではマルクトの方が上だが、譜業兵器は譜術を操れない者にも同等、もしくはより強力な戦闘能力を与える。辺境での小競り合いでならまだしも大々的な戦……それも長期戦になると、大きな差になるだろう。
 その戦力差を打ち消し、あわよくば逆転させるために、マルクトの先帝はフォミクリーの軍事転用を図ったのだと推測される。帝位を継いだピオニーが方針転換を行わなければ今頃、2つの国は泥沼の戦争状態に陥っていたかも知れない。
 もっともそれは、ユリアの預言には詠まれていない。故にローレライ教団は両国のバランスを取り、仲介をして冷戦状態に持ち込んだ。
 預言を遵守するために。

「そうですわね。……本当ならば、戦争など無い方がよろしいのでしょうけれど」
「うー、早くモースしばきたい……キムラスカの人たち、きっと今頃モースに丸め込まれてるよう」

 ナタリアの溜息混じりの呟きに重なるように、アニスが両腕を振り上げながら文句を吐き出す。その彼女の視線が、ふっと上空に移った。太陽の光を遮るように、大きな翼がそこには広がっている。

「あー、やっと見つけたよ。アッシュ」

 イオンと良く似た、少年の声。翼を持つ魔物の背中から聞こえた声に、全員が身構えた。名を呼ばれた青年が一歩前に踏み出しながら、少年の名を呼ばわる。

「シンクか……!」
「あれ? なに、みんな生きてたの? へー、案外しぶといねぇ」
「てめえ、俺を捜していたのか?」
「そりゃねー。ヴァン総長は、あんたの超振動を殊の外ご所望だからさ」

 アッシュと言葉を交わしつつ、仮面で顔を隠した少年はふわりと魔物の背から飛び降りた。半身に構え、口の端を軽く引き上げる。

「アッシュ、導師。ヴァン総長がお待ちだよ、さっさとダアトに戻りな」
「断る」

 余裕のある表情を浮かべているシンクに対し、アッシュはぎりと歯を噛みしめながら剣を抜こうと柄に手を添える。が、その手の上にジェイドの手が重ねられた。はっと視線を上げると、いつの間にか彼の背がアッシュの目前にある。

「死霊使い?」
「アッシュ。ここは任せてください」
「だな。シンクの狙いがあんたなら、前に出すわけにはいかないさ」
「はいはい、ここは大人しく守られてね〜」
「そうね。ナタリアを悲しませたくは無いもの」

 ジェイドと同じようにアッシュの前に出て、ガイが愛用の刀を抜き放つ。彼らの背後を守るように巨大化したトクナガがのっそりと歩み出し、ティアがユリアシティで習得した第三の譜歌を奏で始めた。

「イオン様とルーク、アッシュ、ナタリアは先にタルタロスへ戻ってください。彼を足止めしておきますので、出航準備を」
「……ち。分かったよ」

 シンクに向き直ったジェイドが、肩越しに低く囁きかけて来た。アッシュは一瞬反論を口にしようとしたが、すぐに思い直す。今はここで時間を食っている場合では無い、と言うことは彼にも分かっているのだ。

「アリエッタ。イオン様と一緒に先行ってフレスとグリフ呼んで来て」
「うん、分かった」

 アニスの言葉に、アリエッタも頷く。それから、イオンとナタリアの手を同時に掴んで引っ張った。

「イオン様、ナタリア、行こう」
「……は、はい」
「わ、分かりましたわ」

 少年と少女が頷くのを確認して、アリエッタは2人を先に行かせて自分も走り出した。アッシュは剣から手を離すと、肩の上のミュウを庇っていたルークの腕を取る。

「行くぞ」
「あ、うん。ごめん、みんな」
「気にすんな。お茶の準備でもして待っていてくれよ、ルーク」
「おっけ」

 ガイの軽口に少しだけ表情を緩めて、ルークはアッシュに引かれるように走り出した。それを確認することも無く、ジェイドは右の手に槍を実体化させる。


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