紅瞳の秘預言35 雪国

「こ、これは大変失礼を致しました! し、しかしながらカーティス大佐は、アクゼリュスに向かわれて……」
「それについては極秘事項となっている。任務遂行中、船の機関部の故障によりこちらに立ち寄った」

 ジェイドの口は澱み無く、『記憶』に残る同じ言葉を紡ぎ出す。それから少し考えるように言葉を切って、ちらりとアリエッタの顔を見た。大きめのコートに埋もれるような少女の表情は、どこか不安げに曇っている。

「事情説明は知事のオズボーン子爵へ行う。艦内の臨検は自由にしてくれて構わないが、艦橋には譜業人形が待機しているため気をつけて欲しい。それと、協力者の使役している魔物を収容している部屋がある。彼らには不要に害を及ぼさぬよう協力者より言い含めてあるが、そちらも気をつけて貰いたい」
「は、了解しました」

 彼の依頼と兵士の返答に、桜色の髪の少女はほっと一息をついた。
 臨検が行われる可能性、そして艦の修理を行うと言う関係でこの港の兵士たちがタルタロス艦内に入ることは分かっている。故にジェイドは、アリエッタの協力を得て魔物たちを広い一室に収容した。タルロウにも状況を説明し、修理には協力するよう指示してある。
 そう言った内情を知らないまま、兵士は少し考えた後言葉を口にした。

「よろしければ、街まで案内役を付けますが」
「いや、結構だ。自分はここの出身故、地理は熟知している」
「分かりました。では、失礼いたします」

 ジェイドの答えに、兵士はもう一度敬礼するとすぐさま走り去って行く。多分、この港を預かる責任者にジェイドのことを報告に行くのだろう。その後ろ姿を見送ってからジェイドは仲間たちを振り返り、ウインクして見せた。

「……とまあ、こんな感じですかね」
「へえ、さっすが。ジェイドってここの生まれ?」

 防寒用マントの前を合わせながら、ルークが問う。「ええ」とジェイドが頷いて答えると、イオンが興味深げに周囲を見回した。ここまで雪深い地にある都市は他には無く、特にルークなどは積もった雪の中を歩くと言うことは初めての経験だろう。バチカルでは雪がちらほら舞うことはあっても、ここまで積もることは無いと『前のルーク』が言っていたことをジェイドは『覚えて』いる。

「と言うことは、ディストもですよね。……ピオニー陛下はどうなんでしょう?」
「陛下は違いますよ。幼い頃から立太子の礼を受けるまで、こちらで過ごされていましたが」

 イオンの疑問にも、隠さずに答える。皇帝ピオニーのケテルブルク滞在は皇位継承権を巡る争いから預言で詠まれた後継者を守るためのものだったのだが、わざわざそのようなことまでは説明する必要もあるまい。
 預言があるにせよ無いにせよ、ピオニーは上手く争いを乗り切った後に至高の座に着いていただろうから。

「大佐、タルタロスの修理はどうなさいますか?」
「知事に事情説明するついでに依頼しますよ。さあ、行きましょう」

 気温の低さから、息が白く染まる。ティアが寒さの影響からか頬を赤く染めながら尋ねた言葉に応え、ジェイドは同行者たちを促した。このまま港でぼうっとしていても、話は進展しない。

「そだな。うーさむさむ」
「みゅみゅ。ご主人様は、ボクがあっためるですのー」

 マントの中からひょっこりと顔を出したミュウが、ルークにすりと頬をすり寄せる。それでも身を震わせる少年に、アッシュが呆れたように声を上げた。

「腹なんぞ出してるからだ。馬鹿が」
「う、うっせーやい」

 反論しようとするルークの声に力は無い。代わりに彼は、マントを抱え込むようにして冷える自分の腹をカバーしようとしている。わざわざ白いコートの下に着用するシャツをショート丈のものにしてまで腹を見せる意味があるのだろうか、とはルーク当人を除く全員がずっと持っている疑問だ。
 ひとしきりルーク弄りが終わったところで、アリエッタがぽつりと呟いた。

「お兄ちゃんたち、大丈夫かな……」
「大丈夫だと思いますよ。ライガやフレスベルグがいると分かっている室内に、わざわざ足を踏み入れる人はいないでしょうしね」
「ついでに第七譜石の存在も隠蔽出来る……と」

 ジェイドの言葉を引き取り、呆れたようにガイが肩をすくめた。ぺろ、と軽く舌を出して見せた軍人の表情に、小さく笑みをこぼす。
 アリエッタの『友達』が収容されている部屋の奥。備え付けられた大型ロッカーの中に、第七譜石がしまい込まれている。餌では無いけれど大事なものだから触らないように、と言うアリエッタのお願いを聞き届けた魔物たちは、今頃ロッカーの前でごろんと寝転がっているはずだ。可愛い『妹』の言う、大事なものを守るために。

「本当なら街まで連れて行ってあげた方が良いのかも知れないけれど。でも、普通の方々にしてみればいくらアリエッタのお兄さんやお友達とは言え、恐ろしい魔物だもの。驚かせるわけにもいかないわね」

 ティアが、恐らく彼女は初めて見るであろうひらりと舞い落ちる雪を手に取りながら呟く。ガイはぶるりと身を震わせて、襟元を手で閉じながら彼女に頷いた。

「人間側から攻撃したりすれば、つい反撃に出ちまって問題になるかも知れないもんな。ま、暖房はちゃんと効かせて来たから、寒がる心配は無いと思うぞ」
「毛皮着てても寒いもんは寒いよねえ」

 ガイの言葉に納得したように、アニスはアリエッタと視線を合わせる。イオンを挟むように歩いている2人は、視線が重なるとどちらからとも無く楽しそうに笑った。

「大丈夫だよ、アリエッタ。出航するとき、お土産買っていこ?」
「うん。お兄ちゃん、新しいお肉が良いと思う」

 アニスの提案にこくりと頷いて、アリエッタはにこにこ笑いながら時折視線で雪を追う。少女たちの会話を聞きながらジェイドは、顎に手を当てて少し考え込んだ。ケテルブルクは富豪層を狙った観光都市であり、生活必需品はそのほとんどを外部に頼っている。だからどうしても物価は高くなりがちなのだが……そう言えば、魔物用の食料である生肉の在庫が少し乏しくなっていたか。

「ふむ。その辺も知事に頼んでみますかね」

 いろいろ頼むことになりそうですね。済みません、ネフリー。

 この世界で唯一血の繋がった妹の顔を思い浮かべ、ジェイドは軽く眼鏡の位置を直した。『記憶』の中で旅をしている間に会ったのが最後だったはずだから、彼の中では5年ぶりの再会になるだろうか。


 雪の街に到着し、ジェイドは背後の同行者たちと大したことの無い会話を交わしつつ知事公邸に向かった。
 門に備え付けられている呼び鈴を鳴らすと、程無く扉が開き執事の男性が姿を見せる。ジェイドの姿を目に止めて、一瞬彼の動きが止まった。

「ご無沙汰しています。知事はご在宅ですか?」
「……これはカーティス大佐、大変失礼を致しました」

 軽くジェイドが頭を下げると、執事は慌てて門を開いた。続いて玄関扉をも開き、深々と頭を下げる。あまり会ったことはないけれど、知事の兄であるジェイドの顔を覚えていてくれたのはさすがと言うべきか。

「知事は奥の執務室におられます。どうぞ、お連れの方々もお入りくださいませ」
「ありがとうございます。さあ、入ってください」
「ど、ども」
「失礼させていただきますわ」

 身体に積もった雪を払いながら、公邸内へと彼らを誘導するジェイド。子どもたちは指示されるままぞろぞろと、先頭を歩く彼の後を追う。
 ジェイドのすぐ後をぴったりくっつくように歩いているルークが、ふと首を捻った。

「……ここ、知事公邸だよな。ジェイド、何か自分ちみたいに入ってってるけど」
「今更驚くことでも無かろうが。こいつはマルクト皇帝陛下の懐刀だぞ」
「いやまあ、そうだけどさ……」

 アッシュの溜息混じりの言葉をジェイドは背中で聞き流しつつ、足を止めることは無かった。目的地に辿り着けば、嫌でも理由は明らかになる。
 執務室のドアをノックし、すぐノブに手を伸ばして開く。と、奥の大きなデスクで仕事をしていた様子のネフリーが顔を上げるのが見えた。一瞬目を見張り、慌てて立ち上がる妹の姿は『記憶』のあの時のままだ。そのことにジェイドは、ほっと胸を撫で下ろす。そして、自身がそのような心境であることに内心驚いていた。
 が、その思考はほんの一瞬後に断ち切られる。


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