紅瞳の秘預言35 雪国

「お兄さん!?」
『お兄さんっ!?』

 ネフリーの言葉を復唱するかのように、仲間たちの声が一斉に響いた。思考を遮られ、指先でこめかみを押さえながらジェイドは、大きく溜息をついた。

 『前回』も思ったんですが……私に妹がいることが、そんなに意外ですか?

 さすがにそんな言葉を口には出来ず、ジェイドは姿勢を直すと平然とした態度を装って妹に再会の挨拶を告げた。間違えないように、あの時と同じ言葉で。

「お久しぶりです、ネフリー。貴方の結婚式以来でしたか?」
「そうだけど……いえ、どう言うことなの? アクゼリュスが崩壊して、お兄さんも巻き込まれたって……」

 ネフリーの答えは、『覚えて』いるものとは少し違った。港の兵士も『アクゼリュスに向かわれて』と口にしていたところから見て、こちらの動きが『記憶』よりも早かったために情報伝達が遅れているように感じられるのだろう。恐らく、まだアクゼリュスの崩落とそれにジェイドが巻き込まれたと言う情報の詳細がこの辺りには伝わっていないと考えられる。
 もっともいずれにしろ、ジェイドが説明すべき事柄は『前回』とそれほど変わりは無いのだが。

「そのことも含めて、説明しますよ。……気がついているんでしょう?」

 ジェイドは自分を挟むように立っている2人の赤い焔の肩を抱き寄せて、肯定の返答を前提とした問いを妹に向けた。不思議そうに自分を見上げる2人の表情は、とても良く似ている。
 酷似した容姿を持つ彼らを見て、兄の所業を良く知るネフリーが気づかないはずは無い。この2人は、どちらかがオリジナルでどちらかがそのレプリカなのだと。

「……ええ。どうぞ、座って。今お茶を用意させるわ」

 そしてジェイドの推測通り、ネフリーは硬い表情で頷いた。


 全てをネフリーに打ち明け、彼女を通じてホテルとタルタロス修復の手配を済ませた後ジェイドは、宿として提供されたホテルのロビーで1人ソファに腰を下ろしていた。既に他のメンバーは手配された客室に入り、冷えた身体を風呂で温めている頃だろうか。
 膝の上に置いた本を広げることも無くジェイドが待っているのは、赤い焔の色の髪を持つ子どもたちである。
 ホテルに入ってすぐ、フロントから部屋の鍵を渡される前に声を上げたのはアッシュの方だった。

「少し用事がある。てめえ、付き合え」
「あ、うん。ごめん、ちょっと行って来る」

 己のオリジナルに促され、ルークはミュウをティアに預けるとそのままホテルを出た。恐らく、今戻って来た道をそのまま辿って行ったのだろう。
 『今回』ネフリーは、ルークだけでは無くそのオリジナルであるアッシュも呼んだらしい。彼らがネフリーからどのような話を聞かされるのかは、ジェイドは既に『知って』いる。ただ『あの時』、ジェイドはうっかり聞きそびれていた。
 彼女は、兄であるジェイドをどのように思っているのだろうかと言うことを。
 恐れられていたのだろう、と言う漠然とした思いはある。だが、そもそも同じ名字を持ち共に住んでいた頃のジェイドはあまり他人が自分に向ける感情には興味が無く、だからネフリーが自分のことをどう思っているのかを尋ねることは全く無かった。多少は普段の態度から推測出来るものの、その推測が当たっているかどうかは確認出来ずじまいだったのだ。
 自分について焔たちに話す中で、恐らくネフリーは自分に対する感情を口にするだろう。それを、ジェイドは知りたかった。

 私も、少しは人並みになりましたかね。都合40年以上生きてきてやっと、ですが。

 『記憶』に存在する5年の分だけ、ジェイドは実年齢よりも長い人生を生きている。だが、自身が人並みの感情を持てるようになったのは、『記憶』の世界でルークたちと旅をした1年の間においてだと自覚していた。
 つまりそれまでは、感情を持っていると言う芝居をしてジェイドは生きていたことになる。芝居故に周囲の人々が自分に対して持っている感情も、自身の行為が周囲に広げる波紋も、その本質を何も知らないままに。
 その結果、朱赤の焔は消え真紅の焔はその記憶を内に秘めたまま世界へと帰還した。そこまで辿り着かなければジェイドは、自身の持つ感情と言うものをはっきりと自覚出来なかった。
 ルークが消えて哀しかったから、消えないで欲しいと願った。
 その願いの果てに、自分は今再び同じ時間を辿っている。

「少しは、間違わずに進めているでしょうか。あの子が消えないように」

 天井を見上げぽつりと呟いても、どこからも答えは返って来ない。元々期待はしていないし、例えローレライが答えてくれていたとしてもジェイド自身に彼の声を聞く術は無い。だから、諦めたように目を閉じた。


 『前回』のルークよりもかなり遅い時間になって、やっと2人は戻って来た。履き物が違うせいか少し異なる2つの足音を耳にして、ジェイドは瞼を開いた。屋外で雪を払っていたらしく、ロビーに飛び込んで来た2人の身体に雪は積もっていない。

「お帰りなさい。ルーク、アッシュ」

 2人の名を呼ぶと、ジェイドの存在に気づいていなかったらしいルークが目を瞬かせた。アッシュもそこまで露骨では無いものの、驚いているように見える。

「わ、ジェイド? え、あ、うん、ただいま」
「……待っていたのか?」
「ええ、まあ」

 言葉をぼかしつつもアッシュの問いに答え、ソファから立ち上がる。軽く頭を振って長い髪を背中に流し、ジェイドは焔たちに歩み寄った。

「遅かったですね。ネフリーのところに行っていたんですか?」
「お見通しか」

 マントを外して髪を整えながら、アッシュはジェイドの顔をちらりと睨み付ける。もっとも、敵意を持ってのものでは無いからその視線にも大して力は無く、故にジェイドはくすりと笑みを浮かべて答えた。

「他に行くところなど無いでしょう?」
「やっぱりバレてたかぁ。うん、ネフリーさんに呼ばれた」

 素直に頷いたルークの瞳は、『前回』のどこか哀しげなものとは違い幸せそうな光を湛えていた。そのせいか彼らが妹から聞かされた話の内容を把握出来なくなりかけて、ジェイドは少しだけ首を傾げる。

「2人を呼んだところからして、昔の私の所業についての話でしょう。ネフリーは、私のことを何と言っていましたか?」

 『前のルーク』に聞きそびれていた疑問を、今目の前にいる2人に投げかけた。焔たちは一瞬顔を見合わせ、僅かに表情を変える。
 先に口を開いたのは、ルークの方だった。

「その……昔は、冷たい人だったって」
「昔は?」
「だが、今のあんたは違うと言っていたな」

 ルークの答えに同意するように頷いて、アッシュも言葉を添える。それから2人は、ルークがメインで話し言葉の足りない部分をアッシュがフォローする形で、ネフリーとの会話内容をジェイドに伝えた。


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