紅瞳の秘預言35 雪国

 ネフリーの執務室に戻った2人は、ジェイドのフォミクリーの原点である彼女のお気に入りの人形について話を聞かされた。そして、彼が『殺した』ネビリムについても。
 彼女が2人を選んだ理由は、『同時に肩を並べ存在するオリジナルとレプリカ』であったことがひとつ。そしてもうひとつは、ジェイドが2人を……特にルークを慈しんでいることがその態度から伺えたからだと彼女ははっきり告げた。

「……私は今日兄に会うまで、兄はいつかネビリム先生を蘇らせたいのでは無いかと危惧していたんです」

 そうして、一通りを話し終わった後、ネフリーはそんな言葉を口にした。だが、その言葉にはルークが首を横に振る。

「そんなこと無いよ。ジェイド、ちゃんと分かってるから」

 え、とルークに視線を向けたネフリーは、眼鏡を掛けているせいもあるのだろうが何処と無くジェイドと似ている。同じ親から生まれた兄妹なのだ、と2人が揃って納得するほどに。
 それなら、ちゃんと話をすれば分かってくれる。ジェイドだってそうだったから。
 ルークは一度ぐっと拳を握り、それから慎重に言葉を選びつつ紡いだ。自身のつたない言葉でも、ネフリーに思いが伝わるように。

「ジェイドはさ、俺に何度も言ってくれたんだ。俺はアッシュのレプリカとして生まれたけど、姿形はやっぱ似てるけど、でも俺は俺って言う、ルークって言う1人の人間なんだって。一緒に旅をしてるみんなも俺がレプリカだって知ってるけど、それでも俺のこと1人の人間として見てくれてる」
「こいつと俺は、7年の間別々の人間として生きて来た。その7年間の記憶や感情は各々個人が持つものだからな……外見だけで一緒くたにされても困る。奴……失礼、貴方の兄上もそれは理解しているはずだ。生まれ方や身体の構造がどうこうって問題じゃねえんだ」

 アッシュも言葉を添える。この2人はオリジナルとレプリカと言うだけで無く、その固有振動数も全く同じ完全同位体である。それでも、互いを本体と複製体では無く同じ顔の別人として認識していた。その認識を最初に彼らに教えたのは、他でも無いジェイド本人である。

「そのよう、ですね」

 ふっとネフリーの表情が融ける。普段のジェイドが良く浮かべているものと似た笑みで、彼女は2人を真正面から見つめた。

「兄は……多分、変わったのだと思います。陛下に良くしていただいて、貴方がたに会って」

 2人の焔たちの肩を我が子のように抱き、少し済まなそうに微笑んでいた兄の姿。ネビリム先生を喪ってからジェイドが表すことの無くなっていた感情が、そこにははっきりと浮かび上がっていた。

 この子たちは、私の大切な人たちです。

 そう、ジェイドの表情は語っている。それをネフリーははっきりと感じ取り、そして確信したのだ。

「良かった。私の兄はちゃんと、他の人を思いやることが出来る人なんですね」

 妹である自分にはそれなりに優しかったけれど、それ以外の他人にはほとんど心を開くことの無かった兄ジェイド。人や動物の死と言うものを理解出来ず、面白半分に無害な魔物たちを屠っていた兄。
 その兄が、今や己の開発した技術によって生まれた子どもを当たり前のように慈しみ、大切に思っている。そのことが、長きにわたり兄を見て来たネフリーには嬉しかった。

「どうか、兄をよろしくお願いします。多分兄は、自身の感情に慣れていないと思いますから」

 だから、ネフリーはそんなことを口にした。この年齢になってやっと感情と言うものを持ち得たジェイドは、それが己の精神にどんな影響をもたらすのか分かっていないに違い無いのだから。


 話を聞き終わってジェイドは、視線を逸らしつつ眼鏡の位置を指先で直した。妹の反応が意外だったから……かも、知れない。今のジェイドには、自身を客観的に把握することすら出来ないでいる。

「そんなことを言っていたんですか。私は、彼女にはすっかり怖がられていると思っていたんですが」

 正直な感想を口にする。と、2組の碧の瞳にじとっと睨み付けられた。一瞬だけ身を引いたジェイドの耳に届いたのは、気遣うような……それでいてたしなめるような、ルークの台詞。

「そうだぞ。ジェイド、ネフリーさんとほんとに会って無いんだな。妹なんだからさ、時々手紙書いたり会ったりしてやれよ」
「……そう、ですね。気をつけます」

 少年の言葉は、自分のことを思ってのものだと理解出来る。だから、一瞬逡巡したとは言えジェイドは笑って頷いた。
 姓をバルフォアからカーティスに変え雪の都を離れてから、ジェイドはあまりネフリーと連絡を取ることが無かった。皇太子に列されたために帝都に戻ったピオニーの方が、彼女とは密に連絡を取っていたはずだ。それがジェイドの聡明な頭脳をして、妹の自身に対する感情を図りかねた要因となっていた。
 単純に、会話やそれに類する連絡を密にしていればそんな行き違いは防げたはずなのだ。

「ほう、てめえの口からそんな台詞が出て来るとはな」
「ぐ……アッシュ、ひでぇの」

 目の前に、その良い例が存在している。
 『記憶』の中にいた2人の焔は、あまりちゃんとした会話を交わすことが無かった。感情は行き違い、情報は虫食いの状態で伝達されてその結果、2人は生命を落としてしまった。
 だが、今の世界に生きている2人は真正面から会話を交わし、今もこうやって肩を並べている。この先、戦闘での敗退や大爆発などの要因さえ排除してしまえば、2人の焔はきっとこのまま生きていけるだろう。
 ほっとしたようにジェイドは、柔らかな笑顔になった。2色の赤い髪にぽんと手を乗せて、子どもたちの顔を覗き込むように軽く腰を屈める。

「さあ、身体も冷え切っているようですし早く風呂に入って温まりなさい。この状況で風邪を引かれてはたまりませんからね。もっとも、タルタロスにも医務室はありますから積んで行きますが」
「荷物扱いか?」
「『お荷物』扱いですよ?」
「言いやがる」

 アッシュは平然とジェイドとの言葉遊びを楽しみ、ふっと笑みを浮かべてみせる。それからルークの長い朱赤を一房掴み、くいと軽く引っ張った。

「ほら、行くぞ。死霊使いに看病されたく無ければな」
「いてっ、ひっぱんな」

 2人じゃれ合いながら客室へと移動して行く焔たちの背中を、真紅の瞳はじっと見送った。


 再び1人になったジェイドは、無意識のうちに左腕を右手で抱え込んでいる。
 自分なりに、『記憶』の中の己と同じように振る舞ってはいるつもりだったのだ。出来るだけ違和感の無いように……ネフリーが何も気づかないように。

 意見書は後だ。まず聞こう、ジェイド。何があった。

 何で、貴方はそこまでご存じなんですか? いくら貴方がジェイドであっても、妙に詳しすぎます。

 ピオニーもサフィールも、今のジェイドがそれまでのジェイドとは違うと言うことに早くに気づいた。2人はこの雪の街で幼い日を共に過ごした友人たちであり、それ故に『記憶』を持ったジェイドの変化を敏感に見極めることが出来たのだろう。
 それならば、同じ家で育った妹ならば、気づいて当然だろう。

「……どうしても、バレるもんなんですかねぇ」

 口の中だけで呟かれた言葉が、誰の耳にも届くことは無かった。もっとも彼は、ネフリーに『記憶』のことを打ち明けるつもりは無いのだけれど。


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