紅瞳の秘預言36 混迷

 夜明け前の海を進んでいるタルタロスの甲板の上で、ルークはアッシュと剣術の稽古をしていた。倉庫を漁っていて見つけた練習用の木刀を両手に構え、互いの隙を狙って打ち込む。

「そらっ!」
「うわっ……何のっ!」

 がん、と一際大きな衝撃音がして、ルークの木刀が弾き飛ばされた。それでもルークは怯むこと無く、姿勢を低くするとアッシュの追撃を潜り込むようにしてかわしながら懐へと入り込んだ。光を宿した右の掌が、黒い胴体へと突き出される。

「烈破掌っ!」
「がっ!」

 辛うじて身体を捻り直撃をかわしたアッシュだったが、衝撃を消し切ることは出来なかった。弾き飛ばされ、手すりにぶつかったことで辛うじて転落を免れはしたものの、そのままずるりと床にへたり込む。

「あ、わ、やべっ」

 そのぶつかった音で、はっとルークは我に返った。何度か目を瞬かせ、アッシュの状態に気づくと慌てて駆け寄って来る。

「お、おいアッシュ、大丈夫かっ!?」
「……なろ、効いたぜこんちくしょうが」

 跪いて顔を覗き込むと、僅かに眉をしかめながらもアッシュはにやりと笑って答えた。一度だけごほっと咳き込んだものの、すぐに立ち上がったところを見ると特に問題は無いように思える。

「ご、ごめん、つい!」
「馬鹿野郎、このくらい気にすんじゃねえ。だが、相手が敵なら出を早くして、もう少し力を入れないとな。今みたいにかわされるぞ」

 後を追って立ち上がり、両手を合わせて謝るルーク。アッシュは小さく溜息をつきながら、軽く服をはたく。それから、朱赤の髪をくしゃりと撫でた。その手の感触がガイやジェイドのものと同じように柔らかくて、ルークははにかみながらこくんと頷く。

「う、うん。でも俺、まだまだアッシュには敵わないや」
「は? ふざけんな」

 困ったように微笑むルークの言葉に、一瞬アッシュは目を見張った。が、すぐに頭を撫でていた手を握るとこん、と軽く頭に一撃を入れる。

「あたっ!」
「てめえは曲がりなりにも、ヴァン直々にアルバート式の剣術を学んだんだ。実戦も経験してる分、それなりに実力は付いてきている。俺が保証してやる、自信を持て」

 殴られた個所を押さえて涙目になっているルークに半ば呆れながらも、アッシュは自身の感じたことを素直に口にする。自分を見つめる少年の瞳が驚いていることに気づいて、がりがりと真紅の髪を掻きむしった。

「あのな。素質が無きゃ、俺はとっくの昔に見放してる。伸び代のない奴を鍛えても意味はねえ」
「え? あ、それって」

 そっぽを向きながら青年が口にした言葉の意味を、ようやっとルークは理解した。ぱちくりと目を瞬かせた次の瞬間、明るい笑顔になる。

「ありがとう、アッシュ」
「礼言われる筋合いなんざねえよ。これからまだまだ戦力は必要そうだからな」

 対してアッシュの方は視線を逸らしたまま、ぼそぼそと呟く。自身の髪を掻き回していた手を止めて、前髪をぐいと撫でつけてから彼は、ルークの顔を改めて見据えた。その瞳には、強い光が宿っている。

「それに、もっと強くなりてぇんだろ? だったら覚悟を決めろ。俺も同じだ」
「…………そうだな」

 そう言われたルークの方も、ぐっと表情を引き締める。そうして2人は、甲板上に転がった木刀に再び手を伸ばした。


 話は、ケテルブルクに到着した日の晩に遡る。
 ネフリーに呼ばれた2人がジェイドの過去を聞いた、その後。ジェイドが『覚えて』いるよりもルークたちの帰りが遅かったのには、それなりの理由があった。
 肩を並べホテルへの道を進んでいた2人は、途中の広場にさしかかっていた。そこでふとアッシュが足を止めたのを、数歩進んでからルークが気づいて自らも立ち止まる。振り返ると、白い雪の街に焔の髪と黒衣はくっきりと浮かび上がって見えた。

「どした? アッシュ」
「……いや」

 ふうと息を吐くと、空気の一部が白く染まる。その色がすうっと消えて行く様をじっと見つめ、アッシュは首を振った。くるりと周囲を見回すが、既に夜も更けたせいかあたりに人影は見当たらない。
 つまり、ここには自分とルークの2人だけ。あの話を切り出すのなら今だろう……そう考えて青年は、ゆっくりと口を開く。

「変な夢を見たことがあった。アクゼリュスを魔界に降ろした後、タルタロスでユリアシティへ向かっている途中のことだ」
「夢?」

 唐突に話し始めたアッシュの様子を訝しむルーク。自分と視線を合わせずに、積もった雪を見ながらぽつりぽつりと彼が紡いでいく言葉に、じっと耳を傾ける。

「死霊使いが死ぬ夢だ。……いや、厳密に言うなら消える、と言った方が正しいか」

 ひらり、ひらりと雪が舞う。冷え切った身体に降る白い結晶は少しの時間を置いてゆっくり融け、黒衣に染み込むようにして消えた。

「俺はどこかの塔を駆け上って、奴の姿を探したんだ。奴は塔の天辺にいて……俺が追いつくのとほぼ同時に、光の中に消えた。話に聞いたことしかねえが、あれは音素乖離の症状だろうな」

 暗い中に佇むアッシュの姿に、ルークは自分が夢で見たジェイドの姿を重ね合わせる。酷く傷ついた姿で、それでも幸せそうに微笑み消えていった、あの姿。けれどアッシュの表情は、夢の中のジェイドとは対照的に苦々しく歪められている。
 どちらも、見たくない表情だ。
 一瞬だけ目を伏せて、すうと息を吸い込んでからルークは、言葉を紡いだ。

「ジェイドが消える夢なら、俺も見た」
「……てめえもか」
「うん」

 そうだろう、と薄々アッシュは思っていた。魔界を行くタルタロスの船上で、わざわざジェイドの身体に譜陣が刻まれていないかルークが確認したのはそのためだったのだろうから。軍人の方は目を丸くして驚いていた様子だったから、彼自身はそんな夢を見てはいないのだろうか。
 少し何事かを考えていたルークが、再び口を開く。軽く首を傾げる姿は、彼が何かに疑問を持っているように見えた。

「でも、アッシュの見たのとちょっと違ってた、かも。俺はジェイドに呼ばれて、多分アッシュが見た塔の天辺にいたんだ。ジェイドは俺に契約しないかって言って、そんできらきらと光りながら消えてって」

 ルークの言葉に、アッシュが眉をひそめる。同じ夢を見たであろうことは推測していたが、その視点が違うことまでは思い至らなかったからだ。
 ──そう言えば、夢の中でアッシュと共に塔を駆け上がった仲間たちの中に、ルークはいなかったような気がする。
 はっきりと認識出来たのは、昇降機の故障を調べていたガイくらいしかいなかった。だが、今になって思い返してみれば彼以外にティアやナタリア、アニスと言った女性陣は、その場にいたように思える。そして、青い毛のチーグルも。ただ、アリエッタやイオンの姿は最初から無かったけれど。

「それに……変なんだよな。夢ん中でジェイド、俺のことローレライって呼んでた」
「ローレライ、だと?」

 首を捻りながら己のレプリカが口にした名に、アッシュは露骨に顔を歪めた。だが、それと同時に夢の持つ意味に何とはなしに思い当たる。
 全身の音素構成を第七音素だけで構築されている、生体レプリカのルーク。
 それはつまり、同じ完全同位体とは言えアッシュよりもずっと、第七音素意識集合体であるローレライに近いと言うことだ。
 ローレライを構成し、ルークの身体を構成し、アッシュの肉体にも構成音素として含まれている第七音素は、既存の音素と記憶粒子が結合することにより生まれる音素だと言われている。
 2人のルークは共に第七音素を操れる存在であり、それはつまり記憶粒子を持った音素との融和性が高いと言うことでもある。ローレライと同じ振動数を持つのであれば、なおさら。
 ならば、例えば記憶粒子に含有されている『星の記憶』をアッシュが自身の視点で、ルークがローレライの視点で夢として見ることもあり得ない話では無いだろう。
 2人は預言士では無いから、預言では無く夢として見た、と言うことになるのだろうか。


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