紅瞳の秘預言36 混迷

「俺の夢だと、奴の前には炎のようなものが浮かんでいた。お前はその場所から見ていたことになる……あれがローレライなんならな」
「ジェイドの正面にいたんならそれだ。そっか、あん時ジェイドが振り返ったの、アッシュが来たからか」
「俺だけじゃ無い。今いる連中のほとんどが揃っていたはずだ。……アリエッタや導師は、いなかったような気もするが」

 2人は自身の見た夢の情景を思い出しながら、会話を交わして行く。ほぼ合致する状況はやはり、ルークとアッシュは別の視点から同じ光景を夢として見たと言うことになるだろう。

 ただ問題は、その夢にどう言う意味があるのか、と言うことだ。
 同一状況の夢を、異なる視点から2人が見たことにある、その意味。

 じっと考え込むアッシュの横から、ルークが「あのさ」と覗き込むようにして声を掛けて来た。「何だ?」とアッシュが答えると、少年は唐突に違う話題を振って来る。

「……イオンがさ、前に教えてくれたんだ。ジェイドが第七音素を使えるようになる方法」
「そんなもんがあるのか?」

 確かに唐突ではあったが、それまでの話とはジェイド・カーティスと言う共通点が存在する。この少年がわざわざ今口にしたことからして意味があるのだろうと悟り、アッシュは話の先を促した。

「うん。でも、そんなことしたらジェイドが死んじまうから駄目だって、怒られた」
「死ぬ?」
「うーんと……第七音素を取り込む譜陣ってのを、身体に刻むんだって。そしたら体内に第七音素を取り込めるようになるから、ジェイドにも第七音素使えるって」

 ルークの説明は、自身が理解出来る程度の知識で構成されているせいか分かりやすい。そして、ここまで聞けばアッシュにもルークが何故今その話をしたのか見当は付いた。

「お前も気がついてたんだな。夢の中の奴が、譜陣を身に着けていたと」
「アッシュも気がついてた?」
「ああ」

 少年の問いに頷いて、アッシュは肩に降り積もる雪を払った。衣の表面はすっかり冷え切っており、付着した雪はかなりの時間を置いても解けること無く結晶を保っている。

「なるほど……素養の無い奴が第七音素を体内に取り込めば、拒絶反応が起こるか。ディストがそんな話をしていたことがある」
「うん。だから、目が覚めてジェイドに会ったときにそのこと思い出して、つい」

 つい、男の身体をぺたぺた触りまくって確認した、らしい。思考回路がまだまだ幼いのだと自分に言い聞かせつつ、アッシュはルークの頭を拳で挟み込んだ。

「あまり人前でやるもんじゃねえぞ。相手が男だからまだ良いが」
「う゛いででででで! き、気をつける、気をつける〜!」

 ぐりぐりと両手に力を入れてやると、途端にルークがじたばた暴れ出した。ひとしきり痛めつけた後自由にしてやると、涙を浮かべた碧の目が非難がましい視線で睨み付けて来る。その顔からは、先ほどまで少年が浮かべていた深刻な表情は消えていた。

「まあ、俺たちが気をつければ良いことだ。限界まで追い込まれる事態にならなければ、奴も身を捨てるようなことはしないだろう」
「あだだだだ……だ、だよなぁ」

 小さく溜息をつきながらアッシュが口にした言葉に、ルークはこめかみを軽く揉みほぐしながら頷いた。それを確認してアッシュは、先ほどまで考えていた推論を言葉にして続ける。

「俺たちはある意味、ローレライに近い存在なんだ。預言士じゃねえから預言を詠むことは出来ねえが、それに近い夢を見させられたのだとすれば説明はつく」

 預言と言うものは、惑星オールドラントの記憶とも呼べるものであるらしい。その記憶の中に、2人が見た夢に該当するものがもしかしたら存在するのかも知れない。
 本来は預言士で無ければ星の記憶を預言として読み取ることは出来ず、ルークとアッシュは預言士では無い。だが、ローレライと同一の振動数を持つ2人がかの存在の持つ『記憶』を夢として見ることは可能なのかも知れない。だからこそ2人は、視点こそ異なるものの1つの状況を見た。

「イオンが言ってた。預言ってのは遵守するもんじゃなくて、未来の警告なんだって」

 導師派と呼ばれる彼らの主張を口にしたルークと、アッシュの視線が交わる。大詠師派は預言を『成就させなければならない未来』なのだと主張しているが、第七譜石に刻まれた預言を知った今となってはその言葉を受け入れることは彼らには出来ない。そして、2人が見た預言じみた夢も。

「……そう言うことだ。あんな夢、現実化させるもんじゃねえ」

 夢で見た、光の中に解けて消えて行く笑顔が蘇る。
 ぼろぼろに傷ついた友人が、音素乖離して跡形も無く消え失せるなんて。

 強くなりたい。
 誰も、悲しまなくて良くなるくらいに。

 ルークは、マントの下でぎゅっと手を握りしめた。長い旅と戦いの中で、剣を握り続けた手には固いまめが出来ている。ヴァンやガイとの稽古で出来たものとは違う、重み。
 いくつもの生命を手に掛けて、それでも守りたいものがある。
 旅を始めた頃は理解出来なかった心理だったけれど、今のルークになら理解することが出来た。
 だから彼は、己と同じ姿をした青年に頼み事をした。

「……なーアッシュ、また剣の稽古つけてくんねぇ?」
「稽古? まさかホテルの中でやる訳にもいかんだろう。表は寒いぞ」

 呆れた顔で返して来るアッシュに、にいと白い歯を見せて笑った。笑っていないと、また深刻な顔をしてしまいそうで。

「運動すりゃ暑くなるだろ。それに、風呂があるじゃん風呂が」
「まあな」
「それにさ、確かロニール雪山ってとこにもセフィロトがあるんだよ。ジェイドが言ってた」
「ロニール雪山? ああ、俺じゃねえが六神将が任務で行ったことがある。あん時は雪崩で師団が壊滅的な打撃を受けたっつー話だったな」

 ルークの言葉に、アッシュは記憶を掘り返す。特務師団はその存在意義もあり、あまり表を動き回ることは無い。ロニール雪山であれば、アッシュを動かすよりもリグレットやアリエッタ、ラルゴと言った戦闘能力に優れた長が率いる師団を派遣した方が何かと都合が良いだろう。あの雪山には強力な魔物が生息しており、奥へ進むためにはそれらとの戦闘が不可欠なのだから。
 もっともその戦闘が雪崩を引き起こした可能性もあり、一概に戦闘馬鹿を送り込めば良いと言うわけでも無いのだろうが。
 そして、そもそも雪崩の本質を全く知らないのが朱赤の髪の少年だ。

「雪崩? あー、何かガイから聞いたことあるかも……でも、そんなにすごいのか? 雪が流れるだけだろ?」
「バチカルにゃ縁の無い言葉だからな。まあ、そうほいほい経験するわけにもいかねえか」

 世界が真っ白になるほど積もった雪ですら、ルークはこの街で生まれて初めて見た。そんな彼に、『雪崩』の恐怖はまだ理解出来ないだろう。一度屋根から落ちた雪に埋もれさせてみるか、などと微妙に物騒なことを考えつつアッシュは、ふっと表情を緩めた。
 まだ名前は呼べそうに無いけれど、自身の写し身であった少年とはそれなりに上手くやって行けそうだ。

「セフィロトがあるんなら、いずれ行くことになるんだろう。それならてめえにも、いろいろな環境での戦い方を教えておいた方が良い。覚悟しとけ」
「さんきゅ」

 頼みを受け入れて貰えた少年の表情に、夢の話を語っていたときの暗さは微塵も残っていなかった。
 まだ実力じゃ全然敵わないけれど、自分のオリジナルであるこいつとは絶対上手くやって行ける。

 それからアッシュは、暇を見てはルークと剣を合わせることが増えた。ルークは剣術だけで無く、ティアに譜術を教わっており、何気に忙しい日々を送っている。屋敷に軟禁され、怠惰な生活を送っていた頃からすると雲泥の差だ、と一度アッシュの代わりを引き受けたガイなどは苦笑していたか。
 日が昇って来たのか、空が少しずつ明るくなり始めた。と、遠くに何かを認めてルークが水平線上にじっと目を凝らす。やがて、嬉しそうに己のオリジナルである青年を振り返った。

「あー。なーアッシュ、あれー!」
「ん?」

 少年の指が示す先を、アッシュも凝視する。微かにだが陸地の影が見え、ちらりと人工物の姿がそこに映し出されている。爆破され、未だ修復途上にある巨大な橋。

「……ローテルロー橋、だな。着いたか」

 眼を細め、アッシュはうっすらと笑みを浮かべた。ここからは、陸上走行機能の壊れているタルタロスを降りてアリエッタに頼ることになる。


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