紅瞳の秘預言36 混迷

 マルクト帝国首都、水の都グランコクマ。現皇帝ピオニー9世がおわすこの街は今、緊張感に包まれている。
 皇帝の使者としてキムラスカ・ランバルディア王国に赴き、その後鉱山都市アクゼリュスの救援へと向かったジェイド・カーティス。その彼が都市ごと消息を絶ち、また彼に同行していたキムラスカの親善大使ルーク・フォン・ファブレ、王女ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア両名も行方不明となった。
 キムラスカ側はこの問題をアクゼリュス救援を要請したマルクトの陰謀だと一方的に決めつけ、抗議の書簡を送りつけてきた。そして、ローレライ教団第2の地位にある大詠師モースの助力を得てルーク・ナタリア両名の弔い合戦と言う名目で戦端を開こうとしている。そう言った情報を、マルクト軍情報部は入手していた。
 宣戦が布告され次第、首都は封鎖され要塞都市としての機能を果たすことになる。そのせいか、店は買い物客でごった返していた。万が一の場合に備えて非常食を準備するためだろう。
 会議室の最奥部に位置する己の座にどっかりと腰を下ろした皇帝は、太陽の光の色を宿した髪を軽く掻き回しながらつまらなそうな顔をしている。ひっきりなしに出入りする兵士たちから続々と集まって来る情報は、どれもこれもこちらには不利なものばかりだからだ。

「セントビナーのマクガヴァン将軍より、文が届きました」

 今もまた、新しい情報がやってきた。兵士から受け取った文に目を通すノルドハイム将軍に視線をちらりと向け、ピオニーは眼を細める。

「カイツールの駐留軍はもう睨み合ってるんだったな。セントビナーはどうなってる?」
「マクガヴァン将軍の下、迎撃態勢を整えつつあります。一般市民のうち女性や老人、子どもと言った非戦闘員は既にケセドニアへ向け移動を開始しておるようですな」
「グランコクマよりかよっぽどマシだな。マクガヴァンの爺さんが指揮してるんなら、残った市民も統率は取れてるはずだ。キムラスカが北上の気配を見せたら、爺さんも下がって来るだろうさ」

 ノルドハイムの報告に頷き、ピオニーは目の前の大テーブルに広げられたオールドラントの地図に視線を向けた。ジェイドから前もって知らされている『記憶』と現在の状況、そして地図を見比べながら、伝えられた情報をゲームの駒のような形で動かして行く。そう言った方法でしか事態の把握が出来ぬ自身を、軽く嘲笑いつつ。
 本音を言えば、己が先頭に立ち兵士たちを指揮したいところではあった。だが、もしキムラスカがピオニーの顔を見ればその首を取らんと士気が上がることは目に見えている。一方マルクトはピオニーのカリスマで国を治めているところが大きく、その皇帝が斃れるようなことがあれば軍の士気は速攻瓦解するだろう。それは側近であるノルドハイム、懐刀たるジェイドに任せるべきだと若い皇帝も理解は出来ている。

「もっとも、セントビナーが落ちれば次は、補給の要所であるエンゲーブですのう」
「あそこが取られたらここは丸裸だ、留守にさせる訳にも行かん。駐留軍には頑張って欲しいもんだが」

 あごひげを撫でながらゼーゼマンが口にした言葉。キムラスカ側にもエンゲーブ産の農作物は多数輸出されており、その品質の高さはオールドラントでも1、2を争う。その位置関係から国境地帯への補給路の要点でもある農業の街は、キムラスカにとっては喉から手が出るほど欲しい場所でもあろう。
 一方、マルクト側にしてみればエンゲーブは首都を守る最後の壁と言っても差し支えない。そこを占領されてしまえば、グランコクマとの間に存在するのは深い森のみ。譜業兵器を以て蹂躙すれば、その程度の障害は存在しないも同然だ。
 ピオニーは、側近である将軍にちらりと視線を向けた。

「どう思う? ノルドハイム」
「キムラスカ側は、カイツールのアルマンダイン伯を総大将として据えております。譜業兵器を使うつもりであれば、実際の戦場はルグニカ平野となるでしょうな。セントビナーやエンゲーブには、歩兵部隊を中心として進軍させるでしょう」
「だな。本命をルグニカ平野で潰して、後は掃討作戦のつもりだろう。こちらとしても街を背負って戦うよりは、撃って出た方がなんぼかマシだ」

 くるり、とピオニーの指が地図上のルグニカ平野に丸を描く。その中にシュレーの丘の文字を見つけ、ふんと鼻を鳴らした。

 で、ヴァンデスデルカはそこを狙って崩落させるわけか。効率の良い大量殺戮だな。

 シュレーの丘のセフィロトは、既にいつでも操作される状態にある。ヴァン・グランツ自身がユリア・ジュエの子孫であり、最終的にセフィロトの操作を封じているユリア式封咒を解くことが出来るためだ。またセフィロト自体は第七音譜術士で無ければ操れないが、ヴァンはそれもクリアしている。
 既に神託の盾部隊がシュレーの丘周囲に配置されている、と言う情報は情報部隊から届いていた。ヴァンはどこからかこの戦の様子を見張っており、セフィロトツリーを消滅させるタイミングを計っているだろう。もっとも効果的に、大量の人間を殺し尽くすための。
 そこまで考えて、ピオニーは思考を切り替えることにした。ヴァンとその配下の動きは、ジェイドたちが戻って来てから彼らに任せるべきだろう。自身はマルクトの皇帝であり、首都からすら自由に動き回ることは出来ない。その分、己の懐刀と彼が信ずる仲間たちは3大勢力それぞれにツテがあり、オールドラント全体の危機に関して動くには最適だとピオニーは信じている。
 ただ、そのうち2つはほぼ確実に現在、『敵』であると言っても過言では無いのだが。

「しっかし、キムラスカはやる気満々だな。何しろ、民から愛される王女の弔い合戦だ」

 まあ、生きてるんだけどな。『民から愛されるナタリア王女』は。

 ジェイドの話を聞いているため、ピオニーもナタリアの素性は既に知っている。知ってはいるがルーク同様、だからどうしたと言うのが彼の意見だった。王族の血が一滴も流れて無かろうが、赤い髪で無かろうが、ナタリアが市民のために活動していると言う話はこのマルクトにも流れて来ているのだ。彼女を王女たらしめているのは血では無く、彼女自身だと言うのに。

「勝手に死んだと決めつけるのはどうでしょうなあ」
「いや、状況からして亡くなられておるであろう」
「ったく。俺のジェイドがついてるってのに死ぬわけが無いだろうが」

 ゼーゼマンとノルドハイムが同じように肩をすくめて、だが正反対の意見を口にする。『知って』いるピオニー自身はそのことを口にはせず、意味の無い根拠を上げて言い張って見せた。
 再び扉が開き、先ほどとは別の兵士が駆け込んで来た。戸口から入って来たところで立ち止まり、ぴしりと敬礼をする。その手には、鳩で送られて来たとおぼしき文があった。

「失礼いたします、陛下! 密偵より連絡が入りました!」
「密偵? ほう、いつの間に」
「ははは、甘いなじーさん。俺だって自分の駒くらい持ってるさ。じゃじゃ馬だが役に立ってるぜ」

 感心したように目を見張るゼーゼマンに、ピオニーは空の色の瞳を細めて見せる。
 皇帝となったピオニーには、直属の部下と言うものはこれまでほとんどいなかった。せいぜいが側近と呼ばれる彼らくらいのもので、所謂裏方に属する者はほぼ皆無と言って良かっただろう。
 その彼に、直属の密偵が存在すると言う。それも、自分たちが知らないうちに。ひょっとしたら、ジェイドですら知らないかも知れない。
 目を丸くしたノルドハイムを尻目に、ピオニーは兵士に視線を戻した。

「で、何と言って来た? ここに、聞かれちゃ拙い奴はいないぜ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべた皇帝の言葉に、兵士は慌てて姿勢を正すと文を開く。

「はい。タルタロスがローテルロー橋に到着した模様です。走行機能に異常を来しているとのことで、カーティス大佐始め10名前後が上陸されました」
「何と!」
「タルタロスだと……!?」
「ほうら、な? 生きてるって言っただろ」

 驚愕の表情を浮かべた側近や部下たちと、対照的に当然のように笑うピオニー。これは各人が持つ情報の違いから来るものだが、若い皇帝はふむと顎に手を当てて少し考え込む表情になった。

「10人前後ってえらく多いな。親善大使一行に追加がいたか?」
「神託の盾が数名、中でも師団長が2人同行しているとのことです」

 報告内容に存在したジェイドの『記憶』との差異に、ピオニーは満足げに頷いた。

「なるほどなあ。ジェイドの奴六神将をナンパしたらしいが、半数ゲットってのは大したもんだ」
「な、ナンパ?」

 ピオニーが口にするには似つかわしいが、ジェイドの行動としてはまるで似つかわしくない単語にノルドハイムがぽかんと目を丸くする。

「『妖獣のアリエッタ』は確保した、とアスランから聞いている。2人いるんなら、もう1人は『鮮血のアッシュ』だな」

 ヴァンデスデルカには取り返されなかった、と。良くやった。

 予想以上の成果に、ピオニーの唇がにいと引かれた。ジェイドが『未来の記憶』を持ちこの世界に存在することで、世界は彼の知る未来とは違う道を歩んでいる。まだ始まったばかりかも知れないが、それでも若き皇帝にとって現在のところは満足出来る結果である。


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