紅瞳の秘預言36 混迷

「何者だ! ……むっ」

 テオルの森を通る道に続く関門に辿り着いた一行に、マルクト軍の兵士が駆け寄って来た。彼らの視線はすぐに、青の軍服を纏う唯一の人物へと注がれる。

「自分はマルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐だ」
「カーティス大佐……!? お、お帰りなさいませ!」

 ジェイドが自らの身分を明かすと、兵士ははっと表情を明るくした。ぴしりと敬礼の姿勢を取り、そんな言葉を口にする。

「おや。私が生きていることは知っていたんですか?」
「は。アクゼリュス崩落の報が届きました折に、フリングス少将が大佐はご存命のはずだと断言しておられました。また皇帝陛下も、大佐の生存を全く疑っておりません」
「なるほど」

 一瞬目を見張ったジェイドだったが、兵士が並べた2人の名に納得したように頷いた。彼らはジェイドの『記憶』を知っている存在故に、アクゼリュス崩落ではジェイドが死なないことも知っていた。周囲から見ればあまりにも楽観的過ぎる発言ではあるが、それは仕方の無いことだ。
 ともかく、話を進めるためにジェイドは、『記憶』と同じように会話を続けた。

「陛下への謁見を希望しますが、大丈夫ですか?」
「現在は厳戒態勢に入っておりますので、大佐お1人でしたらここをお通し出来るのですが……」
「えー? ちょっとちょっと、こちらはローレライ教団の導師イオン様であらせられますよぉ!?」

 兵士の答えもアニスの反応も、『覚えて』いるほぼそのまま。こちらの動きは早かったものの、シンクにこちら側の生存を知られるのも早かったために状況自体はさほど変化が無かったようだ。

「申し訳ありません。敵兵がダアトの者に扮して潜入を試みる可能性もありますので、上からの許可が無い限り他の方々をお通しすることは出来ません」
『あー』

 ジェイドの思考を他所に、兵士は真面目にアニスに答えた。その彼の言葉に、ルークたち全員は一斉に声を上げる。視線が集中したのは、指摘された同じことをキムラスカでやっていた青い服の大佐。そう考えると、キムラスカ側の警備はそこそこ緩かったと見える。事情が分からずにぽかんと目を見張る兵士の視線が、少し痛い。

「はっはっは。まあ、済んだことですし?」

 平然と笑って答えるジェイドの明るい表情に、赤毛の2人は揃って胸を撫で下ろした。
 そうして、同時に剣の柄を握りしめる。次の瞬間、ジェイドの手の中に槍が実体化した。

「避けなさい!」

 叫ぶと同時にジェイドが兵士を突き飛ばす。反動を利用して飛び離れた彼の今まで立っていた場所に、巨大な鎌が振り下ろされた。

「うわっ!?」
「ふん。久しいな、『死霊使い』」
「あ! ほんとに生きてた!」

 のっそりと立ち上がった巨体を指差して、ルークが叫んだ。タルタロスを六神将に襲撃されて以来だから、もう何ヶ月ぶりの再会になるだろうか。

「ラルゴ……てめえ、相変わらずヴァンの手下かよ」
「ふ……アッシュ、アリエッタ。元気そうで何よりだ」
「ラルゴ……も、元気そう」

 袂を分かった2人の六神将とも、久しぶりの顔合わせになる。『黒獅子ラルゴ』は大地から鎌を引き抜くと、余裕のある笑みを浮かべた。その笑みが一瞬だけ消えたのは、アッシュの傍に寄り添うように立っているナタリアを視界に入れた時。
 彼にして見れば、ここまで間近に娘を目にしたのは彼女がメリルで無くなって以来だろう。それを知っているのはこの場ではラルゴ自身と、そしてジェイドだけ。
 ラルゴの動揺の隙を突いて素早く兵士を背に回す位置に動き、ジェイドは彼に背中越しに指示を与えた。このままでは間違いなくこの兵士は戦闘に巻き込まれ、屍となるだろうから。

「貴方はこの状況を伝えてください。急いで」
「は、はっ!」

 慌てて駆け出す兵士の気配が消える前に、ジェイドは槍を構え直した。ティアやアニスは既に戦闘態勢に入っており、周囲に神託の盾の気配は無い。もしかしたら、別働隊として動いているのかも知れないが。
 ぎりと歯を噛みしめ、鏡に映ったように左右対称の構えを見せるルークとアッシュ。その2人からぐるりと全体を見渡して、ラルゴはにいと獰猛な笑みを浮かべた。

「ほうら、気をつけろ。敵は俺だけでは無いぞ?」
「なに……っ!?」

 ラルゴの言葉に眉をひそめかけ、次の瞬間アッシュは振り向いた。その目の前でぎぃんと金属音がして、ジェイドの槍が刃を受け止める。ほぼ同時にラルゴも再び鎌を振り下ろしたが、そちらの方は上手くルークが受け流した。
 ジェイドに向けられた片刃の刀は、ガイが愛用しているものだった。

「ガイ……」

 ジェイドがかすれた声で名を呼ぶと、金の髪の青年は感情の色を失った冷たい瞳で彼を睨み付ける。ぎりぎりと押し込まれる刃に掛けられた力は強く、憎悪に満ちていた。

 やはり、掛けられていましたか。でも、標的が私で良かった。

 一瞬、ジェイドの手から力が抜ける。突然消えた抵抗にバランスを崩しかけたガイの脇腹に、アッシュが躊躇無く蹴りを放った。吹き飛ばされた青年とジェイドの間に割り込むようにして、アッシュは剣を構える。

「馬鹿野郎! ぼさっとしてんな、死霊使い!」
「まさか……カースロット!? シンクっ!」

 イオンがガイの乱心の原因に思い当たったのか、周囲に視線を走らせる。だが、森の中に紛れているのか彼が名を呼んだ少年の姿は見当たらない。
 一瞬思考を走らせて、アッシュが声を張り上げる。彼の手は素早く動き、再びジェイドに斬りかかろうとするガイの剣を易々と受け止めた。

「死霊使い、てめえは防御に専念してろ! ティア、アニス! ルークの援護に入れ!」
「は……はい」

 どこか戸惑うように視線を揺らめかせながら、ジェイドは素直に頷いた。僅かに身を引き、槍を防御の形に構える彼を見てアッシュは、自身の判断が間違っていないことを確信する。

「え? あ、りょ、了解!」
「おっけぇ!」

 一方、一瞬躊躇いつつも返事をしたティアと、即座にトクナガを巨大化させたアニスが白い背中を守るように飛び込む。譜業人形の爪が大鎌の刃を受け止め、ルークはその下をかいくぐってラルゴから距離を取った。ティアはナイフを投げて牽制しながら、譜歌を歌い始める。

「アリエッタとナタリアは導師を守れ!」
「うんっ! アリエッタ、お兄ちゃんたちいなくても大丈夫だもん!」
「お任せください、アッシュ!」

 続けて放たれたアッシュの指示に、2人は同時に頷くとイオンを挟むように展開した。アリエッタは人形を抱えたまま詠唱を始め、ナタリアは弓を構える。

「シンクが近くにいます。探してください」

 2人の耳に囁かれた言葉に応じ、周囲に視線を巡らせながら。


 一団から少し離れた、木の枝の上。
 座って精神を集中させながらシンクは、じっと足元の風景を見下ろしている。

 ……そっか。
 あんたが一番憎んでんのは、死霊使いなんだ。

 シンクは、ガイの素性をあまり知らない。知っていることと言えばルークの使用人であるらしいことと、その前……アッシュが『ルーク』だった頃からファブレ家に仕えていた、その程度だ。
 故に、何故そこまで面識の無かったはずの相手を真っ先に狙うのか、その理由が理解出来ない。
 だが、理由はどうあれ今目の前で金の髪の青年は己の負の感情に囚われ、ジェイドを最大の敵として認識している。それだけは事実だ。
 もうひとつ、シンクが理解出来ないことがある。
 自身が狙われていると分かっていて、ジェイドがその端正な顔に浮かべている表情。
 それは焦りでも怯えでも無く、少し困ったような笑顔。

 ねえ、死霊使い。
 あんたは何で、笑えるんだい?
 そいつはあんたを、本気で殺そうとしてるんだよ?

 カースロットを知ってるんなら、そいつの思ってることも分かってるんだろ?

 ……馬鹿。


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