紅瞳の秘預言37 皇都

 ぎん、と耳障りな金属音が響く。ガイの刀を、ジェイドが槍の柄で弾き返した音だ。
 そのままバックステップで距離を取ろうとするジェイドと、彼を追うガイの間にするりとアッシュが割り込んだ。右手の剣で攻撃を受け流しながら、左の拳を突き出して青年を牽制する。

「アッシュ……っ!」
「構うな、防御に専念しろ。対処は俺がする」

 背後から自分の名を呼ぶ軍人の声に、黒衣の青年は落ち着いた言葉で答えた。普段ならばこう言う時は軍人の方が落ち着いているものだろうが、逆転した立場がどこかおかしくてたまらない。

 突然のガイの乱心。
 アッシュには理由は分からない。だが、今のガイは正気を保ってはおらず、どういう訳かジェイドを第一目標として攻撃を仕掛けて来ている。ジェイド自身にはその理由が分かっているらしく、そのせいか反撃することを良しとはしていない。相手が本気で殺しに掛かって来ているにもかかわらず、だ。
 ならば、ジェイドには防御に専念させるのが最良の策だとアッシュは瞬時に判断した。ガイにはジェイド以外の周囲は見えていないようだから、アッシュが彼の死角から反撃を掛ければ良い。第三者的な立場にいるアッシュからであれば、ガイの隙を伺うことは容易だ。

「ふん、ラルゴの攻撃が来ないだけマシだぜ」

 飛びかかったところを再び槍の防御で弾かれ、着地したガイに斬りかかりながらアッシュはぼそりと呟いた。これがラルゴと同時に相手をしていたのでは、今のように余裕のある対処は出来なかっただろう。だが当の大男にはルークとティア、そしてアニスが立ちはだかっており、特に気にすることも無く済んでいる。
 ヴァンの下に残った六神将が自分たちを襲撃してくる理由など、たかが知れている。恐らくは導師イオンを手中にし、モースの望む『預言遵守のための開戦』を実行に移す裏でヴァンが企んでいる『レプリカ計画』を進める心づもりだろう。その目的であると推測されるイオンにはアリエッタとナタリアが護衛としてついており、例えイオンが口走ったようにシンクが近くにいたとしても彼がさらわれる可能性は低い。最悪の場合、アリエッタが森の中にいる『友達』を呼び集めると言う方法も取ることが出来る。
 そこまで考えを巡らせて、ふとアッシュは眉をひそめた。青い軍服をかすめた刃の光に、身体は無意識のうちに動き援護に入る。

「……そう言えば、奴らの部下がいないな……?」

 ガイの刀を剣で受け止め、周囲の気配を探りながらアッシュがぼそりと呟く。その声を聞きとがめたか、ジェイドも素早く周辺に視線を配った。ややあって小さく首が振られたのは、恐らく彼にもその気配を感じ取ることが出来なかったからだろう。
 ラルゴは第一師団、シンクもまた第五師団を統べる師団長である。その彼らが仮想敵であるマルクトの最奥部とも言えるこの場まで、部下を連れずにやって来たとは思えない。シンクは自分やディストのように単独行動を取ることの多いタイプだから良いとして、ラルゴは違う。あれは軍団の長として、兵を率い敵陣に攻め込むことを己の使命と考えているような男だ。

「別行動で動かしているのか?」

 ジェイド襲撃の邪魔をされて敵だと認識したのか、ガイがぎりと歯を噛みしめつつアッシュを狙って刀を横薙ぎに振るった。身体を反らしてその一撃を避け、アッシュは倒れながら彼の軸足を蹴り飛ばす。

「……っ、くっ」

 バランスを崩しかけながらも踏みとどまり、ガイは立ち上がろうとしているアッシュに視線を向けた。普段は穏やかな空の色を湛えている瞳が濁り、理性の光を宿していない。

「ええい、良い加減に目を覚ましやがれくそったれが!」

 低い姿勢のまま地面を蹴り、アッシュは再び駆け出した。

 振り下ろされる鎌をかいくぐったルークと、飛び越えてきたトクナガが同時にラルゴの身体を目がけて刃を走らせる。巨体でありながら敏捷に身を翻し、攻撃をかわしてラルゴはにいと黒獅子の二つ名に相応しい笑みを浮かべた。

「ふむ、確かに戦をくぐり抜けてきただけのことはある。度胸も据わったな、小僧」
「るせー。やんなきゃならないことがある、それだけだっ!」

 アッシュとは鏡写しのように左右対称の構え。そこから踏み込むルークを追いかけるように、少女の歌声が響き渡った。

「堅固たる守り手の調べ……クロア・リュオ・ズェ・トゥエ・リュオ・レィ・ネゥ・リュオ・ズェ」
 ティアの譜歌が終わると同時に、きぃんと可聴域ぎりぎりの高音が場に満ちる。そして、ルークとアニスの周囲を光の壁が包み込んだ。護りの歌……第二音素譜歌・フォースフィールド。

「だありゃあっ!」

 正面から突っ込んだルークが、左に身をかわしながらすれ違いざまに剣を振る。ヴァンと同じ流派の剣とは言え、ルークの利き手は彼やアッシュとは逆だ。故に感覚が追いつかず、ラルゴは鎌の柄で剣を弾くに留まった。

「ティア、あんがとー! 流影打ぁ、あちょあちょあちょーっ!」

 譜歌の守護を得て調子づいたのか、アニスがトクナガを操り踏み込んだ。譜業人形の両手が閃き、連打でどんどんラルゴを押して行く。

「おらおらおらぁ、観念したらどーよ!」
「ぐ、うっ、人形風情がっ!」
「おあいにくー! 中身はディスト謹製なんだからね、そんじょそこらの譜業人形と一緒にすんな!」

 トクナガの後頭部にしがみつき、アニスは不敵な笑みを浮かべて見せる。ひゅ、と水平に薙いだ鋭い爪を辛うじてかわしたラルゴに向かい、戻って来たルークが下から切り上げた。

「たあっ!」
「むっ!」

 すいと身体を引いたラルゴだったが、その頬を切っ先がかすめる。ふわりと宙に浮いたルークの身体は、ラルゴが鎌を振るうより先にトクナガの腕がすくい上げた。

「おう、サンキューアニス!」
「あははっ、まーかせて。ルークこそナイス一撃ー♪」

 腕に抱えたルークごと背後に飛び退き、それからアニスは少年の身体を解放した。地面に着地して、ルークは剣を構え直す。ぶうんと風を切る音をさせ、ラルゴもまた鎌を少年に向けて突きつけた。

 唐突に、地面がぐらりと揺れた。とっさにアリエッタがイオンを、ナタリアがその2人を抱えるようにして地面へとしゃがみ込む。

「きゃっ!」
「地震……っ!?」
「これは……!」

 足を踏ん張ってどうにか姿勢を保ったジェイドの脳裏を、『記憶』がかすめる。
 己がこの森で仲間たちから離れて間も無く、起きた地震。その頃ちょうど彼らは今のようにラルゴとシンク、そしてカースロットの呪力に支配されたガイの攻撃を受けており、この地震がきっかけとなって形勢逆転に成功したのだと後々話に聞いていた。
 だが、アクゼリュスからの時間経過を鑑みればこの地震が『あの地震』のわけは無い、ジェイドはそう感じていた。『記憶』よりも立ち寄る場所を減らし、ここに戻って来るまでの時間はかなり短縮されているのだから。

 ですが……アクゼリュスのセフィロトツリーの消滅で、地震が多発していましたね。

 だとすれば、『前回』はワイヨン鏡窟で遭遇した『南ルグニカ地方が崩落した地震』なのかも知れない。ローレライの守護はアクゼリュスに集中しているはずであり、その周辺地域にまで力が及んでいるとは考えにくい。
 だがいずれにしろ、この状況で大地が揺れたと言う一点において『記憶』とはそう違わない。それが、状況を変える一因になると言うことも。

「はっ!」

 揺れに体勢を崩したガイの鳩尾に、アッシュが拳を叩き込む。ぐ、と潰れた声を漏らしてゆっくりと倒れかかるガイの身体を、アッシュは腕で受け止めた。

「ナタリア、あそこ!」

 ほぼ同時にアリエッタが、がばりと起き上がりながら森の一点を指差す。はっと顔を上げ、彼女が指した方角を認めてナタリアは素早く矢を番えた。

「……っ!」

 放たれた矢が吸い込まれるように消えたその先で、僅かに呻き声がした。細い枝をその身体で折りながら落下して、草の上に小柄な身体が転げる。

「シンク!」

 イオンが、再確認するように少年の名を呼ぶ。素早く身を引き起こし、態勢を立て直しながら導師と同じ色の髪を持つ少年は仮面の下で引きつった笑みを浮かべた。一瞬だけジェイドに向けた視線は、仮面の外に悟られることは無い。

「はは、参ったね。たかが地震如きで集中が途切れるなんてさ」
「シェリダンから俺たちを追って来たのか?」

 注意深くシンクを睨み付けながら、ルークが問う。アニスはトクナガを後退させ、イオンやアリエッタたちをその背に庇った。


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