紅瞳の秘預言37 皇都

「まあそんなとこ。もうそろそろ、モースにもあんたたちが生きてることは伝わってるだろうね」
「預言遵守のために、殺しに来たんですか?」

 軽く服を叩いて埃を落とし、シンクは答えた。手の中から槍を消したジェイドの問いには、軽く首を振る。

「僕らはモースとは違うよ。でも、殺しに来たって言えば言えるかな。ヴァン総長の計画には、どうもあんたたちは邪魔みたいだし?」

 ちょっと、何で僕は親切に答えてあげてるのさ?

 一瞬だけシンクに走った動揺もまた、彼の顔を覆い隠す仮面のせいで外に知られること無く消える。さらに、彼が動揺したままではいられない事態が起きた。
 どかどかと、複数の足音が森の中を駆け抜けてくる。程無く出現したのは、アスランを初めとするマルクト軍兵士の一団だった。

「カーティス大佐!」
「ぐわぁおっ!」

 自分を呼ぶアスランの声に、ジェイドははっと顔を上げた。彼を先頭に……いや、兵士たちの先頭に立っているのはアリエッタの『末弟』である小さなライガ。口元の牙に、白と赤の混じった布のようなものが引っかかっている。

「……あれ?」

 それに気づき、ルークがぽかんと目を丸くする。その間にもマルクト兵たちは素早く包囲網を完成し、イオンたちやルークたちをそれぞれ守るように配置された。意識を失ったガイを抱えているアッシュにも、数名の兵士が駆け寄って盾になる。

「ち。引くよ、ラルゴ」
「仕方あるまいな。どけ、邪魔をするならば叩き斬る」

 舌を打ったシンクの言葉に頷いて、ラルゴは鎌をぶうんと振り回した。アスランはジェイドと一瞬視線を交わし、彼が頷いたのを確認して手を横に振る。

「道を空けてやれ」
「し、しかし少将!」
「今は少しでも損耗を減らしたい時期だ。それはラルゴ師団長も同じであろう。そうでしょう?」
「確かに。ここでくたばるつもりは無いのでな」

 アスランの言葉とラルゴの視線に、兵士たちは、一瞬躊躇したもののすぐに包囲網を一部解いた。それでも警戒を緩めない彼らの間を、ぺっと唾を吐く仕草をしながらシンクは歩き始める。消え際に仮面の下からちらりとジェイドに向けられた視線は、すぐに逸らされた。
 少年の後を、ラルゴがゆったりと歩いて行く。その途中、ふとナタリアに視線を向けた。

「……ふっ」

 少し青みのかった緑色の瞳が、自分を睨み付けている。彼女は未だ己の出自を知らずにいるけれど、その容姿は亡きシルヴィアに似ているとラルゴは感じていた。自身がインゴベルト王の娘で無いと知った時にこの表情が曇ることは容易に推測出来るが、それもまたヴァンの目的を果たすためには致し方の無いことだと彼は割り切っている。
 バダックの娘メリルは、シルヴィアがバチカルの海に飛び込んだ時に共に死んだのだ。

「生命あらば、また会おう。姫君」
「……それはお互い様ですわ」

 低く抑えた声同士が短い会話を交わす。硬く凍った視線を受け流し、ラルゴもまたその姿を消した。

 腕を抱えた右手に力が入る。そのまま、ジェイドはゆっくりアッシュの元へと歩み寄った。

「済みません、アッシュ」

 やっとの事でそれだけを口にしたジェイドの顔を、青年は不満を隠すこと無く睨み付ける。が、眉間のしわは程無くその姿を消した。

「次からは自分で何とかしろ。何のために頭が着いている」
「……はい」

 諭すような言葉を投げかけたアッシュに対し、ジェイドは微かに頷くだけ。眼鏡に邪魔されて伺うことの出来ない彼の表情を、だがアッシュは気配だけで察知することが出来た。そして、最悪の事態を想像してしまう。
 次があったならその時彼は、ルークと自分が共に見たあの夢のように、笑って消えるのでは無いか。

「……フォローくらいなら、手伝ってやらんでも無い。てめえに今くたばられたら、こっちが困る」

 自分でも甘いと思いながらも、彼はそんな言葉を付け足した。小さく「済みません」と言葉を繰り返したジェイドの方を、もう見ようとはしない。今胸の内にある感情を、悟られたくなかったから。幸いにも、ジェイドの意識は彼に近寄ってきたアスランの方に向けられたため、アッシュはほっと胸を撫で下ろした。

「陛下の命によりお迎えに上がったのですが……大丈夫ですか? カーティス大佐」
「ええ、おかげさまで」

 ちらりとアッシュの視界に入ったジェイドの表情は、いつものように淡い笑顔。その表情から彼の感情を伺うことは出来ず、アスランも困ったように軽く首を傾げていた。
 一方ルークは、『末弟』ライガを撫でている。ミュウはいくら小さいとは言えライガの前にいるのはさすがに怖いらしく、しっかりとティアの胸に抱かれていた。

「来てくれてありがとな。でもお前、何でフリングス少将と一緒に?」
「きゃうん!」

 アリエッタが通訳したルークの問いに対し、小さなライガは一声吠えると共にアスランに視線を向けることで答えとした。その視線に気づいたのか、アスランは苦笑しながら代わりに答えを口にする。

「このライガが、我々を先導して来てくれたんですよ。この布をくわえて来たんですが、妙に我々の顔を伺っては先に行こうとするんです。それで、もしかしたらと思って」

 口から垂れ下がったままの布を指差すアスランに、一同は目を丸くした。ライガにそれなりの知性が存在することは皆理解していたが、アリエッタから指示を受けていないはずのしかも幼い獣が自らの意志でそう行動したであろうことに驚いたのだ。
 もっとも、ルークだけはそのような難しい思考を巡らせることは無かった。『末弟』の頭をわしわしと少々乱暴に撫でて、素直に礼を言う。

「そっか。お前、俺たちが危ないこと気がついてくれたんだな。ありがとう」
「くるるぅ」

 嬉しそうに喉を鳴らすライガの牙から、引っかかっている布を取るルーク。しげしげと眺め、近寄って来たアッシュにひょいとそれを手渡した。

「なーアッシュ、この布何?」
「……神託の盾の制服、だな。ラルゴかシンクの部下が別ルートから入ってたんだろう」

 ちらりと一瞥しただけで、アッシュはその意味を看破した。そのままアスランに渡し、『末弟』と会話をしているアリエッタに視線を向ける。ややあって、少女は「ラルゴの部下みたい」とアッシュの推測を肯定した。

「ものすごく怖い感じがしたって。イオン様の名前呼んで、探してたって言ってる」
「じゃあ、兄さんがイオン様を連れて行こうとしたのかしら?」
「そんなところでしょうね。セフィロトの操作には、ダアト式封咒の解呪が必要ですから」

 ティアが深刻な表情になって俯いた。ジェイドも僅かに沈んだ顔をして、顎に手を当てる。あるいはシンクが独断で、もしくはリグレット辺りの指示を受けての行動だったのかも知れないが。

「で、そいつらはどうし……あー、いや、分かった。何と無く」

 途中まで口にしたところで、額を押さえるようにしてルークは自分の言葉を止めた。恐らく、彼にも気がついたのだろう。
 兵士たちは恐らく、姉であり妹であり友人であるアリエッタとその主であるイオンを守ろうとした魔物たちの餌食になったのだと。

「念のため、警備兵を巡回させます」

 彼らの会話を伺っていたアスランが、理解したように声を上げた。即座に兵士たちが数名ずつの班に分かれ、ここに森の中へと消えて行く。彼らの行動の素早さに、アッシュは舌を巻いた。
 ここはマルクト皇都グランコクマのお膝元であり、迅速な行動が皇帝ピオニーの危機を回避することにも繋がる。それが理解出来れば、その行動の早さには納得が行くのだが。

「よろしく頼む。それと……こいつを治療してやれないか」

 真紅の髪の青年は、短い言葉を口にした後視線を降ろした。ガイは意識を取り戻さないまま、アッシュの腕の中にいる。アクゼリュスで暴走させられた後1日以上も眠り続けたルークの表情がその寝顔に重なり、アッシュは苦々しく顔を歪めた。
 そんなアッシュの横に並び、イオンがアスランに声を掛けた。

「彼はカースロットを掛けられています。今後のこともありますので、安静に出来る場所を用意してください。僕が解呪します」
「イオン様、ガイは大丈夫なのでしょうか?」

 ガイとアッシュ、2人を気に掛けて近寄って来たナタリアが、イオンに尋ねる。導師ははっきりと頷いて、真剣な眼差しを彼女に向けた。

「僕になら、何とか出来るはずです。カースロットと言うのは元々、導師にしか扱えないダアト式譜術の1つですから」


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