紅瞳の秘預言37 皇都

「……ダアト式?」

 眉をひそめるアッシュを他所に、アスランは「了解しました」と頷く。元々彼らのグランコクマ到着は前もって知らされているため、マルクト側の準備も内々にだが進んでいたから問題は無い。

「先触れがありましたので、宿の方に皆様方の部屋を用意してあります。そちらに致しましょう」
「分かりました」

 ナタリアの答えを待ってアスランは、改めてジェイドに視線を向けた。少し柔らかい笑みは、彼のどこか不安げな表情を少しでも和らげたいから。そして、敬愛する皇帝が彼を待っていると言外に知らせたくて。

「カーティス大佐は自分と共においでください。他の方々は部下の者に案内させますので、宿の方でしばしお待ちいただけるよう願います。謁見の手続きは、最優先的に行わせていただきますので」
「分かりました」
「了解です。ミュウ、一緒に宿で待ちましょうね」

 ジェイドとティアが了解の答えを返し、少女は腕の中にいる小さな聖獣に声を掛けた。ミュウはきらきらと大きな目を輝かせて、こっくりと首を大きく縦に振る。

「みゅ、はいですの。ボク、ちゃんと待つですの」

 元気いっぱいに返事をしたミュウの言葉を追いかけるように、『末弟』がぐるると唸った。アリエッタがはっと顔を上げ、慌ててばたばたと腕を振る。

「お前は駄目ー。森で、ちゃんと待ってて」
「くるーう……」

 『姉』の言葉に、小さな魔獣は耳をぺたりと落とした。そうして、人間たちにぺこりと頭を下げると何度も後ろを振り返りながら、再び森の中に姿を消した。「ごめんね」と言うアリエッタの言葉が、緑に吸い込まれるように薄れて消える。
 ジェイドは一度仲間たちを見渡して、寂しそうに笑みを浮かべる。それから、ルークに視線を固定した。

「どっちみち、私は一緒には行けません。ですから、ガイをお願いします」
「あ、ああ」

 きょとんと自分を見つめるルークに、ジェイドはもう一度微笑んでみせる。それからアスランを「行きましょう」と促し、連れ立ってその場を離れた。

 青い背中が視界から消えるのを待って、イオンがぽつりと呟いた。

「……ジェイドは、カースロットの特性を知っているんですね」
「どういうことですの?」

 不思議そうにナタリアが問うた。こんな時でも無ければ、彼女がガイの短い髪を撫でつけることは出来ない。恐る恐る、彼が目を覚まさないように留意しながら手を動かすナタリアに、イオンは少し考えてから答えた。

「この譜術は、掛けられた相手を意のままに操るものでは無いんです。その人の負の記憶を揺り起こし、理性を麻痺させると言うものなんですよ」
「負の記憶?」
「えーと。つまりぃ、ガイが大佐に対して何かの恨みつらみがあって殺意を持ってなきゃ、カースロットに掛かったところで攻撃なんかしないってことですか?」

 少年の言葉をオウム返しにしたルークの後を引き継ぐように、アニスが首を傾げる。「そう言うことです」と彼女の言葉を肯定したイオンにちらりと視線を向け、アッシュはやって来たアスランの部下にガイを預けた。ここから都までは彼らと共に進むことになるから、彼を委ねても問題は無いだろう。何しろ、どうやらルークたちは良く知っているらしいアスランが連れて来た部下なのだから。

「死霊使いの方も、殺意を向けられる心当たりがあった。だから、反撃しようとしなかったんだろうな」
「どう言うことですの? 確かに、キムラスカにはカーティス大佐に恨みを持つ者がいないわけではありませんけれど……」

 アッシュの吐き捨てるような言葉を受けて、ナタリアが表情を暗くする。バチカルで彼を襲った男のように、ジェイドによって身内や親しい人を喪ったキムラスカ人は多いだろう。だが、ガイの素性を彼女を初めとした同行者たちは知らず、故に彼がジェイドに殺意を持つ理由は分からない。

「ガイに聞いてみるしか無いわね。大佐に伺っても、きっとはぐらかされるわ」

 だからティアの、感情を抑え込んでいるが故に思いが籠もっていないように感じられる言葉に全員が頷いた。
 きっとジェイドは困ったように笑って、自分が悪いのだと口にするだけで済ませるだろう。だが、それでは何の解決にもならない。

「それよりも、先に解呪だ。イオン、頼むよ」
「分かっています。任せてください、ルーク」

 ルークの何かを吹っ切るような言葉に、イオンは自信のある視線で大きく頷いた。ここから話を先に進めるためには、当事者であるガイの回復が必須条件なのだから。


 アスランに付き添われグランコクマの城に入ったジェイドは、即座に謁見の間へと通された。久しぶりに会った皇帝の顔には疲れの色が垣間見え、ぴりぴりと張り詰めた空気から既に開戦直前であることが見て取れる。
 それでも若い皇帝はひょいと右手を挙げ、懐刀の帰還を満面の笑みを浮かべて迎え入れた。

「良く戻った、ジェイド。思ったより早くてほっとしたぞ」
「いえ。最後の最後で不手際をしでかしまして、申し訳ありません」

 言外にガイのことを匂わせると、ピオニーは眼を細めた。それはつまり彼らがシンクと接触したと言うことであり、引いては大詠師派やヴァンにジェイドたちの生存が伝わったことを意味する。
 もっとも、その程度はピオニーやジェイドと言った『記憶』を知る彼らにとっては予想済みの事態であった。ジェイドは今では、シェリダンでシンクに襲われた時にガイがカースロットを掛けられたのだと言うことを理解している。謝罪の言葉を口にしたのは、それを止められなかった自身を責めてのこと。

「お前でもドジを踏むことはある、それが分かって良かったじゃないか。上手く収まったんだろ?」
「恐らくは。イオン様も同行しておりますので」
「なら良い」

 導師イオンが無事であったことに、ピオニーはほっと胸を撫で下ろした。ルークと同じくジェイドにとって我が子とも言えるイオンは、その能力を云々と言うよりは存在自体が彼らにとって重要なものであろう。ジェイドの知る『未来』での彼の最期を知る皇帝は、それをおくびに出すこと無く話を逸らした。

「それより、何があった? 分かっていることを詳しく話せ」

 今の時点で、お前の『記憶』を除外して知り得ることだ。分かっているとは思うがな。

 ピオニーが言葉に含めた思惑を理解したのか、ジェイドは小さく頷いた。ピオニーやアスランと違って、今ピオニーの傍に控えているゼーゼマンとノルドハイムは今回の事件の裏を全く知らない。当事者となったジェイドが証言をすることで、やっとそれらは信頼の出来る情報として彼らに引き渡すことが出来る。

「は。出来れば、後々同行者の方々に証言を戴いた方が」
「それは分かってる。キムラスカやダアトの内情を、お前が知るわけが無いからな。後で連中にも会うつもりだ、心配すんな」

 にいといつものように不敵な笑みを浮かべてからピオニーは、ずばりと直球を投げて来た。既にヴァンが動き始めていることが推測される今、時間は少しでも惜しい。

「まずは、アクゼリュスの顛末からだ。結局あれは、誰の陰謀だったんだ?」
「……ローレライ教団大詠師モース、及び神託の盾騎士団主席総長ヴァン・グランツ謡将です。現在六神将の内『魔弾のリグレット』、『黒獅子ラルゴ』、『烈風のシンク』の3名がその配下として従っております」

 はっきりと実名を出し、証言を始めるジェイド。その名を持つ人物の教団内における影響力……引いてはオールドラント全体における影響力を知っている2人の老将は、苦々しげに顔を見合わせた。

「大詠師派か。そうすると、連中の目的は預言の遵守ってことになるか?」
「はい。親善大使の1人、ファブレ公爵子息ルーク様のアクゼリュスにおける死を以て我がマルクトへの開戦の狼煙とし、その結果キムラスカが未曾有の繁栄へと導かれる……と言う預言が第六譜石に刻まれておりました」
「何と!?」

 第六譜石。つまりは、ユリア・ジュエが2000年の昔に詠んだと言うことになるその預言に、ノルドハイムの顔色が変わる。ゼーゼマンは顔色こそほとんど変化しなかったものの、眉間のしわがより深く刻まれた。


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