紅瞳の秘預言37 皇都

「ファブレ公爵と言えば、インゴベルト陛下の妹君が奥方であられたはずです。そのご子息を、キムラスカは生け贄に差し出したと言うのですか?」
「そうなります。恐らく、ファブレ公爵もこのことは知っていたでしょう。子息の名を、預言に詠まれた通り『聖なる焔の光』……ルークとしておりましたから」

 アスランの芝居じみた問いに、淡々とジェイドは答える。ピオニーを含めた3人の間ではこれらの情報は既に共有されたものであり、あくまで確認のための問答でしか無い。

「……それで、その預言は守られたのか?」
「いえ。前提条件からして違えられておりましたので、いずれにしろ預言と現実はずれております」
「前提条件?」

 ピオニーの問いと、ジェイドの答え。その言葉の中に含まれた意味を理解出来ず、ノルドハイムは僅かながら首を捻る。
 本来ならば、アクゼリュスを外殻大地から消し去った『聖なる焔の光』は預言に詠まれた『ND2000に生まれた、聖なる焔の光と言う名の男児』で無ければならない。そう、預言に刻まれているから。
 だが、アッシュがルークと取り替えられた時点でその前提は崩れ、現実は預言から乖離を始めている。そのことを、ジェイドは言葉にしたいのだ……だが。

「──ここから先は、内密に願います。私の過去の罪状ではありますがそれ以前に、該当者にとって問題でもありますので」

 彼はそう言って、視線だけで室内を見渡した。この場にはマルクトの重鎮である彼ら以外にも警備の兵士がおり、今も至高の座を守るため全身に緊張を張り巡らせている。任務に忠実である彼らには悪いが、ジェイドにしてみればあまり多くに広めたい話では無い。
 ゼーゼマンが、愛弟子の顔色が悪いことに気づき、僅かにその顔を覗き込んだ。

「ジェイドの過去? どういうことかの?」
「フォミクリーが……関係しています」

 左の腕を抱え込んだ、ジェイドの右手に力が籠もる。その様子を見て取ったピオニーは半眼になり、謁見の間を見渡した。今後はともかく、今の時点でルークがレプリカであることをあまり大っぴらにはしたく無いのだ、と皇帝はジェイドの心境を読み取り、凛とした声で命じる。

「ジェイド、アスラン、ゼーゼマン、ノルドハイム。今名前を呼んだ奴以外は全員席を外せ」


 兵士の案内を受け、先行したイオンを追うようにルークたちはグランコクマの街に入った。水の上に張り出すように建設された都市は、海と同じ青と白の色調を持つ美しい街である。
 紹介された宿のすぐ傍までやって来た時、不意に黒髪の少女を呼ぶ声がした。

「あら、アニスちゃん」
「へ?」

 名を呼ばれた少女が振り返ると、そこに立っていたのはごく普通の服を身に纏った女性だった。だが、その顔はアニスが一番よく知っている人物のもの。

「ママ!」
「パメラ。元気そう」
「アリエッタ様に、アッシュ様もご一緒だったんですね。任務、お疲れさまです」

 パメラ・タトリン。その名を、ルークたちはザオ峠で出会ったアスランの口から聞かされていた。モースによりアニスに対する人質とされていた、少女の母親だ。そう言えばアスランは、サフィールからの伝言として彼女とその夫オリバーの身の安全を彼女に告げたのでは無かったか。

「お前はダアトだと思ったが。どうしてここに?」
「ディスト様の特別なご推薦で、こちらの教会で信者の皆さんのお世話をすることになりました。皇帝陛下からも、励ましのお言葉を戴いたんですよ」

 アッシュの質問に、パメラはすらすらと答えた。純朴で人を騙すことを知らず、逆に騙されてばかりの彼女の言葉に嘘は無いだろう。ディスト……サフィールがそう言うことだと彼女たちに伝えたのであれば、2人は素直にそれを受け入れる。

「アニスちゃんに伝える暇が無くてどうしようかと思ってたの。会えて良かったわ」
「んもー、相変わらず脳天気なんだからー」

 にこにこ笑う母親に、少女の肩ががっくりと落ちた。
 この母親と、そして父親がこう言う性格であることを彼女は身にしみて感じている。恐らく彼女は、自分が娘の行動を強制するための餌にされていたことなど知る由も無いだろう。

「ねえ、パパも一緒? 借金はどーしたの?」

 そこまで考えて、アニスは顔を上げた。パメラは一瞬目を丸くしたが、すぐにその表情は相変わらずのおっとりした笑みに戻る。

「ええ、そうよ。借金はね、ディスト様がのんびり返してくれれば良いっておっしゃってくださったわ。利息も免除してくださるんですって」

 アニスの背後で、同行者たちは顔を見合わせた。そうして少女も含め、全員が同じ意見に到達する。

 そうしたらきっと、ジェイドが喜ぶから。

 サフィールと言う人物と彼らが顔を合わせた回数は、同僚であったアッシュやアリエッタを除くとさほど多くは無い。だがその少ない邂逅……はともかくとして、その後間接的に漏れ聞こえてくるサフィールの動向を知るにつけ彼の行動基準がジェイドにあるのだと言うことが理解出来るようになって来た。今の時点でまともに顔を合わせたことの無いナタリアですら、同じ考えに至っている。

「ね、アニスちゃん。教団の教えを守って生きていれば良いことがある、ってママ言ったでしょう? ローレライも始祖ユリアも、ちゃーんと見てくださっているのよ」
「そ、そうだねぇ……はは、ま、頑張ってね。あたし、まだお仕事あるから」

 脳天気に笑う母に大げさに溜息をつきながら、アニスはどうにか立ち直ったように答える。彼女の言葉を聞いて、パメラは「そうなの?」と少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。まだ年若い我が子が、例え教団のものとは言え忙しい任務に就いていることが心配なのだろう。


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