紅瞳の秘預言37 皇都

「アニスちゃん、無理しちゃ駄目よ」
「はいはい、分かってますって。ママもだよ?」
「もちろんよ。アリエッタ様、アッシュ様、そして皆さん。アニスをよろしくお願いします」

 娘と最後の言葉を交わし、同行者たちに深々と頭を下げるとパメラは足早にその場を離れて行った。彼女のことだから相変わらず教団の雑用を受け持っているのだろう、とその背を見送りながら娘は肩をすくめる。

「……良い母上だな」
「人が良すぎるきらいはあるが、親としては十分及第点だ。金に無頓着な点を除けばな」

 シュザンヌを思い出したのか眼を細めたルークに、アッシュもまた良く似た表情を浮かべ小さく頷く。ナタリアは幼い頃に喪った母の記憶を思い浮かべたのか、両頬に手を当ててふわりと優しく微笑んだ。

「でも、素敵なお母様ですのね。アニスを愛していることは十二分に分かりますもの」
「本当ね。でも、ローレライはともかく始祖ユリアは見ているかしら……」
「アリエッタ、ユリアじゃ無いから、分からない」

 どこか思考の方向がずれているティアの言葉には、人形を胸元に抱えたままアリエッタが首を傾げて答えた。彼女たち2人……実はナタリアもそうなのだが、生みの母の記憶を全くと言って良いほど持たない。ティアは義理の祖父と実兄に育てられ、アリエッタはライガの女王を母として成長した。だから、形は違うにしろ『親の愛情』と言うものを彼女たちは良く知っている。その親が、どれだけ我が子を思ってくれているかを。

「……ほんとに、ディストが助けてくれてたんだな。良かったな、アニス」
「良かったですの。アニスさんのママさん、お元気ですのー。パパさんもきっと、お元気ですの!」

 ルークとミュウの明るい言葉に、アニスは満面の笑みを浮かべて「うん!」と大きく頷いた。


 ローレライの完全同位体であり、超振動を扱うことの出来る2人のルーク。
 彼らはオリジナルとレプリカであり、預言に言う『聖なる焔の光』であるはずのオリジナルは既にルークの名では呼ばれていない。
 そう言った事柄をジェイドが説明し、ピオニーやアスランが所々質問と言う形でフォローすることでノルドハイムとゼーゼマンはその内容を理解した。

「ふむ。大詠師派の主張する『預言の遵守』がユリアの預言を一言一句違えること無く成就させる、ということであれば、確かにそれは既に成り立たない」
「アクゼリュスを降下させたのがいずれのルーク殿であるにせよ、2人ともご存命ですからな。これが例えば原理主義者ともなると、本気で2人を殺しにかかって来そうですが」

 ノルドハイムの言葉の後を引き取り、ゼーゼマンが髭を撫でながら思考を巡らせた。2人の顔を伺いながらピオニーは、さくさくと話を進めて行く。

「六神将のうち、3人が向こう側にいる。となると、残る3人……『鮮血のアッシュ』はまあ当事者だからともかく、『妖獣のアリエッタ』と『死神ディスト』はこちら側の協力者と見て差し支え無いんだな?」
「はい。アッシュとアリエッタについては、このグランコクマまで同行して貰っています。サフィールとはアクゼリュスで会ったきりですが」

 ジェイドの答えの中にある、幼馴染みの名前。それに気づき、ピオニーは楽しそうに眼を細めた。

「……お前、いつの間にあいつを本名で呼ぶようになったんだ? あいつが六神将になってからは、ずっとディスト呼ばわりだったろうが」
「気分と言いますか……些細なことでしょう?」

 む、と口を尖らせるジェイドの表情は、長い付き合いであるピオニーもほとんど目にしたことが無い。それだけに彼は、一瞬虚を突かれたように目を見開いた。

「はは、確かにな。まあ、お前がそう呼びたいんなら呼べば良いさ。強制するつもりは無い」

 だが、ほんの数瞬後にはピオニーの表情は普段のそれに戻る。そうして、ジェイドの肩越しに謁見の間と廊下を区切る扉に視線を向けた。

「おい、入って来て良いぞ」
「え?」

 ジェイドは僅かに目を見開き、ピオニーが声を掛けた方向……背後を振り返る。と、扉をやや乱暴に開いて銀髪の男がつかつかと歩み寄って来た。うっすらと額に青筋を立てているのは、どうやら皇帝に対し怒りを感じているからだろう。

「ああ良かった。ずーっと待ちぼうけを食わされるのかと思いましたよ! 相変わらず意地悪ですねえ、ピオニーは! 貴方、それだからいつまで経っても独身なんですよ!」

 ジェイドのすぐ横でぴたりと足を止め、男は皇帝に向かって怒鳴りつける。む、と顔をしかめた2人の側近に対し、ひょいと手を上げて抑えながらピオニーは悪戯っ子のように笑って答えた。

「あーいや悪い、タイミングが掴めなくてな。それに、お前もジェイドも独身は一緒だろう」
「悪いと思って無いでしょう? 貴方はいつもそうなんですから! それに、貴方がいつまでも独身だと皆うるさいですよっ!」

 相手がこの国の最高権威であるにもかかわらず、丸いレンズの眼鏡を掛けた彼の口調は普段と変わることは無い。やや激情に満ちてはいるものの、その言葉遣いは彼であるからこそ許されたものなのだろう。そう感じたジェイドは淡く微笑み、その名を呼んだ。

「……サフィール」
「はい! お久しぶりです、ジェイド。お帰りなさい、待っていましたよ!」

 あの特徴的な襟こそ無くなってはいるものの、黒のジャケットに赤っぽい色のスラックスは六神将だったときと同じもの。その姿でくるりと振り返り、サフィールはにっこりと嬉しそうに笑った。


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