紅瞳の秘預言38 誓願

 それは、アクゼリュス崩落の詳報がグランコクマにもたらされた日のことだった。
 その報告を持って帰還したのは他ならぬアスラン・フリングス少将であり、彼はピオニーの勅命に従いサフィール・ワイヨン・ネイスを伴っていた。彼らを初めとする第三師団を出迎えた兵士たちは、拘束もされぬまま大人しくアスランに従っているサフィールに目を丸くする。

「そんなに私が珍しいですかね」
「貴方はカーティス大佐と並ぶ、ケテルブルクが生んだ最高の頭脳『譜業のネイス博士』でしょう? マルクトを離れて結構経ってますから、半ば伝説的存在になっているんですよ。珍しいにも程があります」

 周囲の視線に肩をすくめつつ溜息をついたサフィールに、アスランは苦笑しつつ答えた。眉をひそめ、「そんな大層なもんじゃ無いのに……」とぶつぶつ呟く銀髪の男の表情は、久しぶりに踏む水の都の大地に戸惑っているようでもある。もっとも、『死神ディスト』の名で呼ばれるようになった彼が外出時に己の足を使って歩くことはほとんど無かったから、その意味でもグランコクマの大地を踏むのは久しぶりであったろうが。
 城に到着した2人は、さほど待つこと無く謁見の間に通された。
 まずアスランが、アクゼリュスで起きた事件の詳細について報告を行う。グランコクマ帰還までの僅かな間にまとめられ提出された報告書には、惑星オールドラントの二重構造を知るサフィールの証言も取り上げられていた。さすがに実際の状況を目にしなかったアスランがヴァンの陰謀まで言及するわけにはいかなかったが、神託の盾騎士団の一部が独自の動きを見せていると言う話は盛り込んである。

「……以上で報告を終わります」
「ご苦労。ゼーゼマン、疑問点はあるか?」

 ぱらぱらと報告書をめくっていたピオニーは、アスランの言葉を受けてちらりと側近の1人に視線を向けた。顎髭を撫でながら、ゼーゼマン参謀総長は軽く眼鏡の位置を直す。

「ふむ……この、大地の構造じゃが、間違いは無いんじゃな? フリングス少将」

 その問いに、アスランは眼を細めた。ジェイドの持つ『記憶』以外にも、世界の二重構造を知る証人は山ほど存在する。そのうちいくつかを提示すれば、問題は無い。

「は。複数の神託の盾師団長より確認を取っております。それと、親善大使一行の中に魔界で育った者がおりました」
「なるほど」

 ちらりとサフィールを伺いながらアスランが発した返答に納得したのか、ゆっくりと頷いてゼーゼマンは今1人の皇帝側近……ノルドハイム将軍に視線を向ける。鋭い眼光で彼を見返して、将軍が口を開いた。

「シュレーの丘に関しましては、確かに神託の盾部隊の姿が認められております。セントビナーより監視のための部隊が派遣されておりますが、如何致しましょう」
「最低限の人数を残して引き上げさせろ。キムラスカ軍がカイツールを突破したら、次の防衛線はセントビナーだ。神託の盾が浸透しちまってるのは問題だが、今は目の前の戦も重要だからな。どうせ、こちらから手出しをしたらそれを口実に北上して来る気だろうが」

 既に開戦を前提としての、ピオニーの発言。それはつまり、最悪の事態を想定したからであるが故に、側近たちは言葉を返すことは無い。

「セフィロトを守っても、グランコクマが落ちては意味がありませんものねぇ」

 ただ1人、ピオニーの言葉に軽口を叩くのはサフィール。「無礼なことを」と睨みつけたノルドハイムの鋭い視線も意に介すること無く、銀髪の科学者は平然とその場に立っている。

「だよな。人んちの庭で好き放題されるのは嫌なもんだ」
「……それは私に対するイヤミですか」
「何でも自分に結びつける悪癖は改めた方が良いぞ?」

 また、ピオニー自身もサフィールの言動について問題にすることは無い。元々彼がそう言う性分だと言うことをこの皇帝は良く知っている。それに、彼と同じ昔なじみであるジェイドが人前では身分をわきまえた言動しかしないのに対して、サフィールは昔と全く態度を変えること無く接していた。それを、ピオニーは悪からず思っているのだから。
 一瞬だけ目元を緩め、拗ねた顔の幼馴染みに視線を向けた後皇帝は、側近たちに視線を戻した。

「カイツール、セントビナー、エンゲーブ各守備隊は拠点防衛の準備を進めさせろ。ケセドニアはアスターの動き如何だが……さて」
「アスター殿はギルドをあそこまで成長させた男ですぞ。時期の見極めは正確ですし、己が為すべきことも分かっていますからの」
「まあ、何かあったら使いを寄越すか。キムラスカもあの街を燃やすほど馬鹿じゃ無い、物価の高騰が始まっちゃ向こうさんもやりにくいだろうよ」

 口を挟んで来たゼーゼマンの言葉に耳を傾け、顎に手を当ててピオニーが考え込んだのはほんの一瞬。すぐに結論を言葉にして発する。

「後は各自、情報の収集に努めろ。逐一俺のところに報告を寄越せ、細かい情報も見過ごすな」
「了解ですじゃ」
「はっ」

 ゼーゼマン、そしてノルドハイムが軽く頭を下げ、皇帝の命を受けて退出しようとする。が、ピオニーの「ちょっと待て」と言う声が2人の足を止めた。

「その前に1つ、片付けておくことがある。アスランも見届け人になってくれ。サフィール」
「はいはい。やっと私の話ですか」

 名を呼ばれ、うっすらと笑みを浮かべて銀髪の男は皇帝の真正面に立つ。わざわざピオニーが自分を呼びつけた以上、この場で皇帝直々に何らかの処分を下されるのは分かり切ったことだった。2人の側近を呼び止めたのも、自身の処分を公式に確定させるためだろう。そう、1人佇むアスランは分析した。
 側近たちは一瞬顔を見合わせると、大人しく元いた位置に戻る。それを待って、ピオニーは玉座に座り直すと口を開いた。普段の明るい笑みでは無い、至高の座にある者の威厳を持った表情で。

「改めて……良く戻って来た、サフィール・ワイヨン・ネイス」
「それはどうも」

 ピオニーの言葉にあくまで平静を装いながら、サフィールは気の無い返答を口にする。彼が本気で喜んでいることは分かっていたものの、『ジェイドを奪われた』と言う被害者意識の強いサフィールにはその感情を素直に受け取ることが出来ない。
 それはピオニーの方も理解しているのか、唇の端を歪めつつ軽く頷いて言葉を続けた。

「俺には相変わらず冷たいんだな。で、お前の処遇だが……今、ここで選択肢を2つやる。どちらが良いか、自分で決めろ」
「2つ、ですか」

 少し考え込む表情になったサフィールを見下ろしてから、ピオニーは一度軽く目を閉じた。この処分がどちらにしろ、今まで彼がやって来た所業に対して甘すぎるものであることは百も承知である。
 だがそれでも、今のピオニーと……そしてジェイドには、サフィールの力が必要だ。故にピオニーは皇帝の権限を行使し、まず彼の身柄を確保した。

「まず1つ」

 用意した2つの道のうち、まず1つを提示する。頭の良いサフィールのことだ、もう1つの道は想像が付くだろう。彼がいずれを選ぶか、ピオニーにはほぼ予想が付いている。その道を選ばせるための、これはいわば茶番劇だ。

「この場で俺に忠誠を誓い、マルクトとオールドラントのために尽くす。見ての通り、今はキムラスカとの戦を控えた状況でな。頭はいくらあっても足りない」
「甘い処分ですね」
「ああ」

 サフィールの素直な感想に、事も無げに頷く。自覚があるのだから当然と言うところだが、ピオニーは頬杖をつき平然と相手の顔を伺う。感情の薄い幼馴染みの瞳には、それでも自分を非難するような光が浮かんでいる。
 皇帝への忠誠を、事実上強要していると言うことが彼には分かっているのだ。

 悪いな。お前の頭をせいぜい利用しないと、世界が終わる。

「もうひとつは? まあ、想像は付きますが」
「恐らく想像通りだろう。お前の罪を差し戻す。本来なら首を刎ねるべきなんだろうが、お前さんの頭を使わないのはもったいないからな。牢の中で罰を受ける傍ら、頭脳労働にも従事して貰う」

 追い打ちを掛けるようにもう1つの道を提示してやると、サフィールは露骨に顔を歪めた。軽く肩をすくめると、大げさに溜息をついて見せる。

「やれやれ。私は貴方に忠誠を誓うつもりなんて無いんですがねぇ……私は、従うのはジェイドにだけだって決めているんですから」
「それで構わん」

 銀髪の科学者は、皇帝を眼前にして毅然と言い放つ。2人の側近が揃って顔色を変えたことに、今度はピオニーの方が肩をすくめた。アスランは小さく溜息をつき、苦笑しつつその光景を眺めている。
 この学者が皇帝を尊敬の対象としていないことは、会話の最初から聞いていれば分かるはず。この程度でいちいち反応していては、彼との会話は先に進まない。


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