紅瞳の秘預言38 誓願

「ジェイド・カーティスは俺に忠誠を誓っている。つまり、お前がジェイドに従うと言うことは取りも直さずこの俺に従うと言うことだ。異論はあるか?」

 だから、彼が唯一崇拝していると言って良い紅瞳の譜術士の名を出す。彼が『未来の記憶』を持つことを知っているはずのサフィールには、ピオニーの言葉の真意がすぐ分かるはずだ。

 ジェイドのために、力を貸せ。

「……まあ、無いですね。貴方はジェイドに、自分に従うよう強制した訳では無いんでしょう? 私は何よりも、ジェイドの意志を尊重します」
「当たり前だ。あいつは俺の意志を押し付けたところで、跳ね返す強さを持っている。俺に仕えるのが嫌なら、とうの昔にお前同様マルクトを出ているさ」
「確かに」

 眼鏡を弄りながら己の思いを素直に言葉に出すサフィールと、少々回りくどい言葉で同じ思いを口にするピオニー。2人の会話を側近たちと、そしてアスランは無言のままじっと見守っている。彼らの間に、第三者が入って行けそうな隙間は存在しない。
 やがて、サフィールがふうと大げさに溜息をついた。上げられた顔には、感情は浮かんでいない。

「ジェイドが大人しくしているんですから、貴方に従うことに不満はありませんよ。ただ、1つだけ条件があります」
「何だ? 言ってみろ」

 サフィールが提示しようとしている条件。ピオニーには、それがジェイド絡みであるだろうことは予測出来ている。残るは、その内容だけだ。
 皇帝の知るサフィールのままであれば、恐らくとんでもない内容だろう。
 そして、その予測は的中した。

「もし、貴方とジェイドのどちらかを切り捨てなければならなくなった場合。私は貴方では無く、ジェイドを選びます。ジェイドと比較される対象が他の何であっても……例え世界そのものを天秤に掛けられても、私はジェイドを優先します」
「何を!」
「ノルドハイム!」

 皇帝を軽んずると思われても仕方の無いその内容に、武官たるノルドハイムが一歩踏み出した。その足を彼の名を呼ぶことで止め、ピオニーはにいと眼を細める。思った通りの言葉を発してくれた、この銀髪の幼馴染みに感謝を込めて。

「俺はサフィールの意志を聞いている。お前が口を出すことじゃ無い」
「ですが、陛下……」

 ピオニーの言葉に、不満げに眉をしかめながらノルドハイムは振り返る。が、皇帝の強い意志を秘めた瞳に射抜かれて「……分かりました」と頷いた。このような目をしたときの皇帝は、自身を曲げることは無い。
 一方ゼーゼマンの方は、顎髭を撫でながら彼らの顔を見比べている。僅かにその手が止まることもあるが、どうやら彼なりにピオニーの真意を探っているようだ。
 そんな老人たちをちらりと視線だけで眺め、サフィールはつんとつまらなそうに唇を尖らせた。

「……私の条件は先ほど申し上げた通りです。それでよろしければ」
「はっ。やっぱりサフィールはサフィールだな。お前で無けりゃ、俺に向かってそんな台詞は吐けない」

 対照的に、ピオニーは満足げに笑みを浮かべた。彼の表情がそう変化した意味が分からず、サフィールは思わず眼鏡の位置を直す。手慣れているジェイドの仕草と違い、どこかぎこちない動きで。
 ピオニーの口から意外な言葉が漏れたのは、そのほんの一瞬後だった。

「俺は、お前のその言葉を待っていた」
「は?」
「陛下……」

 ぴたりと止まる、手の動き。元の位置に戻すことも忘れ、サフィールはピオニーの顔を見上げた。同じように視線を動かしたアスランの目には、どこか納得したと言う感情が宿っている。
 ピオニーの真意が何処にあるのか、今の言葉で分かったから。

「ジェイドは、自分と俺のどちらかを切り捨てろと言われれば何のためらいも無く自分を切り捨てる、そう言う奴だ。俺じゃ無くて国、世界……赤毛の我が子。それが守護すべき存在であれば、何と比較されてもな」

 金の髪の皇帝が、吐き出すように紡ぐ言葉。
 知っている。
 護る対象として選んだ朱赤の焔を庇い、一瞬の躊躇すら無く我が身を投げ出したジェイドの姿をサフィールは知っている。
 朱赤の焔を愛おしそうに見つめていたジェイドの眼差しを、アスランは知っている。
 それらの姿をピオニーは知らないはずだが、それでも彼は盟友の現在の本質を見抜いていた。

「俺の肩にはマルクトの全てが掛かっている。だからそんな二者択一を出されちゃあ、俺はジェイドを切り捨てざるを得ない。アスランや第三師団はジェイドのことを慕っているが、それでも自分たちの立場は分かっているだろう。最高司令官は、この俺だ」

 続けられる言葉には、隠しきれない憤りが籠もっている。

「つまり、俺たちではあいつを守ってやれない。そして今のジェイドには、自分を守る意志が薄すぎる。そんな気がする」
「……2度ほど、ジェイドとは会いました。確かに、貴方の言う通りです」

 こくりと頷くサフィールの顔には、暗く影が落ちている。僅かに俯いているせいで、髪が光を僅かに遮っているのだ。
 自分の心を壊しかけてまでルークを救いたいと願ったジェイドの姿を、サフィールは目の前で見ている。
 故にサフィールは、全てにおいてジェイドを優先すると誓った。

「だからサフィール、お前の意志を俺は認める。お前が俺よりも、他の何よりもジェイドを選ぶと言うのなら、俺の名において俺が許す。その意志を貫け。その信念を曲げず、いつ如何なる時もあいつの盾となる覚悟があるのなら、行動を以て示せ。自分を守れないあいつを、お前が守ってやれ。後ろ盾には、俺がなる」

 マルクト皇帝の名において、お前がジェイドを護るために必要なバックアップを受け持ってやる。
 世界を救うためなんてのは口実だ。

 そう、ピオニーは言いたいのだとサフィールは理解した。
 皇帝の座から離れること叶わない彼が親友にしてやれる、最大の支援。
 そこまで言われて我を張り続けるほど、サフィールも馬鹿では無かった。

「貴方に言われるまでも無い。私は、ジェイドを守るためにここにいます」

 細い、癖の無い銀髪を軽く掻き上げる。うっすらと笑みを浮かべながらサフィールは、ゆっくりと跪いた。頭を垂れ、独特の少ししゃがれた声で言葉を紡ぐ。

「ジェイドは貴方に忠誠を捧げた。ならばジェイドを守るために来た私も、貴方に従いましょう。罪を減じてくださったことには、我が全力を以て報います。この頭脳、マルクトの……いえ、オールドラントのためにお役立てください。──皇帝陛下」

 ピオニーの名前では無く、その称号を呼んだサフィール。満足げに頷いてピオニーは、側近たちとアスランに視線を向けた。涼やかな青の瞳には、鋭い光が宿っている。

「現時点を以て、サフィール・ワイヨン・ネイスを皇帝直属の配下と確定する。任務はジェイド・カーティスの補佐及び護衛だ。ゼーゼマン、ノルドハイム、そしてアスランも良いな」
「……まあ、どうしてもとおっしゃるのであれば」
「後々どうなっても知りませんぞ、陛下」
「自分は陛下の決定に従います」

 髭を撫でながら苦笑を浮かべるゼーゼマン、苦虫をかみつぶしたような表情のノルドハイム、そして平然と頭を下げたアスランをゆっくりと見比べて、皇帝の視線は跪く己の配下に視線を戻す。と、僅かに上げられたサフィールの視線と絡み合った。

「その任務、喜んでお引き受けいたします」

 承諾の回答を口にしたサフィールを見下ろすピオニーの表情は、あくまで冷徹な皇帝のものだった。その命令に如何に個人的な思考が絡んでいたとしても、ゆくゆくは世界を救うために必要なことなのだから。

 ああ、俺はこうやって割り切れるから皇帝をやってられるんだろうな。
 ──任せたぞ、サフィール。

 顔色も変えないまま、ピオニーは心の中だけでぽつりと呟いた。


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