紅瞳の秘預言38 誓願

「イオン様ぁ、みんな連れて来ましたぁ」

 ガイを収容した部屋にアニスがルークたちを連れて来たのは、皇都に到着してから数時間が経過した頃のことだった。天上にあった太陽は傾き、空の色が少しずつ変化しているのが窓から見える。

「ありがとうございます、アニス。皆さんも」
「ガイ、カースロット、もう大丈夫」

 ベッドサイドに置かれた椅子に座っているイオンと、その傍に立っているアリエッタが扉を開けて入って来た一行に笑いかけて見せる。そうして、ベッドの上には上着を脱いだ状態のガイが半身を起こしていた。

「……悪い。面倒、掛けたな」

 苦笑している青年の顔には疲労の影が見えるものの、ジェイドを襲ったときのような冷たい表情は微塵も見えない。そのことに気づいてルークは、慌てて彼の傍へと駆け寄った。

「大丈夫か? ガイ」
「何とかな。イオン様のおかげだよ」

 覗き込んで来た養い子の不安げな視線を、いつものように爽やかな笑顔でガイは受け止めた。ほっと胸を撫で下ろし、ルークはイオンを振り返る。

「そ、そっか。ありがとな、イオン」
「いえ。僕は、僕に出来ることをやっただけですから」

 導師もまた、解呪のために譜術を使用したことで疲労が全身を覆っている。それでも、仲間たちを不安にさせまいとしてイオンは穏やかに笑みを浮かべた。
 その膝に、ちょこんとミュウが飛び乗る。小さな身体が精一杯に、喜びを表現していた。

「みゅうう。イオンさん、頑張ったですの! ガイさんも元気になって良かったですの!」
「ええ、本当に良かったですわ。あのまま、ガイが正気に戻らなかったりしたら私、どうしようかと……」
「……」

 胸の前で手を組むナタリアの隣に立ち、アッシュは何の感情も浮かべない瞳でガイを見つめている。彼とて、幼い頃を共に過ごした青年が回復したと言うのは大変喜ばしい事態である。だが、心の底から喜ぶことの出来ない事情がそこには存在していた。
 それを口にしたのは、最後に入室して来たティアだった。

「ガイ……聞いても、良いかしら」
「……何だい? ティア」

 名を呼ばれ、彼女に向き直ったガイの表情は真剣みを帯びていた。彼にも、覚悟は出来ていたのだろう。
 自分が、1人の人間を殺すべき目標として狙ったその理由を、口にする覚悟。

「貴方は、大佐に殺意を持っていたの? 何か、恨みがあったの? そうで無ければ大佐を攻撃するなんてことは無い、とイオン様はおっしゃっておられたわ」
「…………まあ、無いと言えば嘘になるな」

 ティアの矢継ぎ早の問いに、ガイは頷く。軽く目を閉じると、カイツール軍港の宿で見たジェイドの笑顔が脳裏に浮かび上がった。

 誰にも言いませんよ。
 ルークとどう接したいのか、これからどう歩んでいきたいのか。決めるのは他でもない、貴方です。

 淡く微笑みながら彼が口にした言葉が、ガイの中に蘇る。
 正直なところ、ジェイドが自身の出自に関して既に誰かに話していたのでは無いか、とガイは思い込んでいた節がある。だが、今自分を取り囲んでいる彼らの表情を見るに、どうやら本当にジェイドはずっと黙っていてくれたらしい。
 ガイ自身が、自分の素性を明かす気になるまで。

 分かってるよ、旦那。自分のことはちゃんと、自分で言わなきゃ駄目だ。

 心の中でだけ呟いて、ガイは瞼を開いた。

「この際だから、はっきりしちまおうか」

 観念したように小さく溜息をついて、ガイは仲間たちの顔を見渡す。最後に視線を止めたのは、彼がずっと傍で成長を見守っていた朱赤の髪の少年。

「俺は、元々マルクトの人間なんだ。5歳の誕生日までは、ホドに住んでいた」
「ホドに……?」

 その地名を聞いてルークとアッシュ、そしてティアの顔が一瞬強張る。済まなそうに眉尻を少しだけ下げて、ガイは言葉を続けた。自らの素性をやっと表に出すことが出来ると、どこか安堵したような表情で。

「ホドの領主の息子なんだ、俺。本名はガイラルディア……ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。セシルってのは母上の旧姓だよ」
「ガルディオス……」

 ナタリアが、口元を手で抑える。アニスとアリエッタ、そしてミュウが彼らの顔を交互に見比べる中、何事か考えていたルークがはっと目を見開いた。

「あ、そう言えば今気がついたけど、セシルって」
「バチカルで会ったセシル少将だろ?」

 ジェイドは、彼女がガイの縁者であることも分かっていたようだ。男女の別はあれ容姿はそれなりに似ているし、ガイの素性を知っているならばその母ユージェニーのことについて知っていてもおかしくは無い。

「彼女は従姉に当たるんだ。母上は、キムラスカからマルクトのガルディオス家に嫁いで来たからな」
「……話には聞いたことがある。2国間の友好のために、国を超えて嫁がれたと」

 ガイの言葉を補足するようなアッシュの呟きを、ルークははっきりと聞いた。それでも、少年は首を傾げる。それならばガイは、2つの国が友好関係を結んだ証としてこの世界に生まれて来たのでは無いのだろうか。
 それに、そもそも。

「じゃあ何で、ガイは母上の名字使ってまで家に来たんだ?」

 素直な子どもの疑問に答えをもたらしたのはガイ自身では無く、2人の幼馴染みだった。

「ルーク。ホドを攻めたのは、ファブレ公爵ですわ」
「……え」
「ああ。父上が騎士団を率いて直接乗り込み、ガルディオス伯爵家を滅ぼしたらしい。その時の戦利品が、もしかしたらまだ家にあるかも知れん」

 ナタリアの言葉に息を飲むルーク。更にアッシュが、『ルーク』であった頃の記憶をさらって言葉を繋げた。
 当時の戦利品である宝剣ガルディオスは今もなおファブレ家に飾られているが、それをアッシュは知らない。『アッシュ』と言う名になってから7年の間、彼は実家の敷地内に一歩も足を踏み入れてはいないのだから。

「……ファブレがマルクトから恨まれてるってのは、そう言うことだったのか……そりゃ、憎いよな」

 ぐしゃりと量の多い前髪を掴んで、ルークは吐き出すように呟く。以前ジェイドにはちらっと話を聞いたことがあったけれど、その理由をルークが知ることは無かった。
 口元に手を添え、何事かを考えていたアッシュが改めてガイに向き直る。以前よりも幾分柔らかくなった表情は、今のルークにも良く似ていた。

「だが、それならお前の恨みの行き先は俺かこいつになるはずだろう。何故死霊使いに向かったんだ?」

 ちらりとルークに視線だけを向け、アッシュはそう尋ねた。顔を僅かに上げたガイは、かりかりと短い金の髪を指先で掻きながら答えを口にする。

「だいぶ前になるんだけど、旦那に言われたことがあってな。『ホドが滅んだのは自分のせいだから、恨むなら自分にしろ』って。どうも、あん時の台詞が影響してたみたいだな」


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