紅瞳の秘預言38 誓願

「ああもう、昔のルーク……じゃ無いや、アッシュの世話をする度にいつ殺そう、今日殺そうとか考えていたよ。正直、お前が誘拐されたって聞いた時はがっかりしたもんさ。俺の獲物を横取りするのは誰だ、ってな」

 軽口を叩くように、過去の自分の思いを吐き出して行く。もう10年も前の話を、彼は今でも鮮明に思い出すことが出来た。それだけガイにとって、『ルークの誘拐』は大事件だったのだろう。
 だが、いくら素直な感情とは言え、あまり聞いていて気持ちの良い言葉では無い。それは全員が思っていたことだが、言葉に出そうとしたのはたった1人。

「ガイ!」

 思わず身を乗り出したティアを、伸ばされた青い腕が止めた。はっと目を見張る彼女を、ジェイドは普段通りの口調でたしなめる。

「落ち着きなさい、ティア。第三者である貴方が怒る謂われはありません」

 本来ならば、貴方も関係者なのですがね。

 言葉とは逆の思いを、心の中で呟くジェイド。
 ティアはヴァンの実妹であり、つまりは元ガルディオス家の配下であったフェンデ家の者だ。彼女はホドの壊滅後に生まれたため、そう言った事情は恐らく知らされないまま育ったのだろう。ヴァンですら、神託の盾の幹部として外殻大地に戻るまでガイの生存を知らなかっただろうから。

「……す、済みません……でも」

 大人しく頭を下げ、それでも納得がいかないようにティアは軽く頭を振る。ミュウを抱き上げて椅子から立ち上がったイオンが、彼女の前に出てそっとその顔を見上げた。

「これは、ルークたちとガイの問題です。良いですね?」
「……はい」

 導師にまで口を出されては、ティアは我を通すことが出来ない。融通の利きにくい性格である彼女故に、これは有効な手段だった。
 口を閉ざしたティアの顔にちらりと視線だけを向けて、黒衣の青年は改めてガイを見つめる。
 自身の守り役であった頃の彼は、ここまで柔らかな表情を浮かべていたことは無い。その理由は今の彼の告白で判明した訳だが、ならば現在のガイが自らの復讐を成し遂げようとしない理由は。

「……と言うことは、俺とレプリカが入れ替わった後で何か心境の変化でもあった訳か?」
「まあな。お前、いい加減に名前で呼んでやれよ」

 アッシュの推測を、ガイは否定しない。だがこれは、今はっきり説明することも無いだろうと自分の中だけで結論づけて、視線をルークに向ける。

「なあ、ルーク。お前が俺と一緒に旅をしたくないって言うなら、俺はここで降りる。幸いここはマルクトで、旦那は俺のことを分かってる。だから、今後の生活くらいはどうにかなると思う」

 青年の言葉に、少年の目が僅かに潤んだ。朱赤の焔にしてみれば、ガイは自分が『生まれて』からずっと傍にいてくれた友人であり、育ての親である。そのガイが自分から離れると言うことは、まるで自分を見放されるようにも思える。
 ルークの不安げな表情を見やってガイは、ふわりと笑みを浮かべた。それは『養い親』としてのガイがいつも見せてくれていた、そのままの眼差し。

「だけど、もしお前が、俺と一緒にいても良いって言ってくれるなら……もう少し、同行させてくれないか? 俺にはまだ、確かめたいことがあるんだ」

 もっとも憎むべき仇の息子が、自分の忠誠心を刺激するような人間に成長したら。
 その時は復讐する気持ちも、失われてしまうんじゃないか。

 『記憶』の世界でガイは、ファブレ公爵を前にしてそう言ったのだそうだ。短い髪のルークが内緒だよ、と言いながら教えてくれたことをジェイドは『覚えて』いる。
 昔のことばかり見ていても前に進めない、そう言い放ったルークにガイは自分を賭けた。そして、悲劇を乗り越えて成長したルークはガイの認める存在に成長したと言う話だった。

「お、俺は……俺は、ガイと一緒にいたいよ。ガイが嫌じゃ無いなら、その……うん、一緒に来て欲しい。アッシュも、良いよな?」
「何故俺に聞く。ガイはお前に尋ねたんだ。お前の答えが、皆の答えだ」

 それでは、『今』この場に存在するルークは、ガイのお眼鏡には適ったのだろうか。
 少なくとも、ガイが賭けを放棄してはいないだろうと言うことだけはジェイドには理解出来た。そうで無ければガイは、自分をさておいてもルークに刃を向けていただろう。
 ならば彼には、これからのルークを見ていて貰おう。きっとこの子は、『短い髪のルーク』と同じようにガイの心を解かしてくれるはずだから。
 それがもし無理なら、自分が盾になれば良いことだ。

「さあ、話も付いたところで。皆さんを陛下の元にお連れするよう、私は案内役として来たんですよ」

 ぽんと手を打つことで、自分の思考と皆の意識を切り替える。そうしてジェイドは、この場にやって来た本来の理由を口にした。

「陛下……ピオニー皇帝か。忙しいんじゃねえのか?」
「ええ。ですが、我々の情報はマルクトにとっても重要なものですからね」

 こういうときは、特務師団長として長らく活動していたアッシュの言葉数が多くなる。『記憶』の時にはあまり言葉を交わすことの無かった真紅の焔との会話を、ジェイドは楽しみにしている節もあった。
 一方ルークは、疲れを見せている2人の友人を気に掛けていた。先ほどとは違う意味で、やはり不安げな顔をしながら恐る恐る尋ねる。

「ガイ、イオン、大丈夫か?」
「ああ、俺は平気だよ。イオン様はどうなんだい?」
「僕も大丈夫です」

 いつもより白い顔をしているガイは、ひょいと片手を挙げて安心させるようにルークの頭をぽんぽんと軽く叩いた。イオンもにこにこ笑いながら、小さく頷いて見せる。

「無茶しないでくださいねぇ、イオン様?」
「イオン様、ほんとに大丈夫?」

 アニスとアリエッタが、ほぼ同時にイオンを挟み込むようにしてその顔を覗き込んだ。彼女たちの心底からの思いが籠もった言葉を受け止めて、少年導師は小さく頷く。

「2人とも心配性ですね。でも、ありがとうございます」

 黒髪と桜色の髪を見比べながら、イオンは両手を伸ばす。2人の少女と手を繋いで、「これなら大丈夫でしょう?」と茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


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