紅瞳の秘預言39 雄図

 しかし、彼らの事情が異なるとは言えそれが世界全体に波及しているわけでは無い。それを、ゼーゼマンの言葉がジェイドに知らしめる。

「ですが、議会ではセントビナーへの救援活動を渋る声が多いのも事実ですのう」
「何でだよっ! ……あ、違う、何でですか?」

 一瞬叫んだルークが、慌てて言葉遣いを変える。この辺りは、それなりにきちんと教育を受けた証であろう。記憶を持たぬ少年に教育を施したのはガイだが、彼とて元は貴族の嫡男。目上の者に対する言葉遣いだけは両親との会話のため、そして将来王に目通りすることになった時のためにきちんと叩き込んでいた。

「そうですわ。このままではいつ、また街が消えるか分からないのですよ!」
「アクゼリュスを消しておいて、良く言う……」

 続けて叫ぶように声を上げたナタリアに、将軍の口からぼそりと言葉が漏れた。きっと睨み付けた王女の視線も、彼には蚊が刺したほどにも感じられないだろう。

「ノルドハイム」
「失礼いたしました」

 だが、皇帝の名を呼ぶ形の叱責にはさすがに軽く頭を下げる。一歩引いたノルドハイムに代わり、ゼーゼマンが事情を説明した。

「ナタリア王女。ほとんどの者は、今でもアクゼリュスはキムラスカの新型兵器によって消されたと考えておりますのじゃ。故に、セントビナーへ救援部隊を差し向けたとしても、また同様のことが起こらぬかと恐れておるのです」
「アクゼリュスみたいに、落ちちゃうの?」
「そう言うことだ」

 ぎゅっと人形を抱きしめながらおずおずと尋ねたアリエッタに、ピオニーはゆっくりと頷いて見せた。その瞳が優しくて、アリエッタはほっと小さく息を漏らした。
 ピオニーは、ジェイドから『魔物に育てられた少女』の話も聞いていた。普段からブウサギの飼育に熱心なこの皇帝は、そのせいか無害な魔物との付き合い方もそれなりに心得ている。
 要するに、素直な感情で真っ直ぐに向き合えば良いのだ。それは、幼い時代を魔物の元で過ごした彼女に対しても十分有効な手段だった。

「世界の二重構造は、ローレライ教団の中でも上位の者しか知らない秘匿事項です。世界のほとんどの人々は、この大地が空の上に浮かんでいるとは思わないでしょうね」
「知っていても、遥か下にある魔界まで落下した陸地が無事だとは誰も思わないだろう。ローレライの助力が無ければ、俺たちは魔界の泥に飲み込まれていたかも知れない」

 イオンが杖を両手で握りしめながら呟き、アッシュは真紅の髪を掻き上げながらその言葉を補佐する。どこか不安げな眼で2人を見つめてから、ルークが自身の胸元をぐっと握りしめた。

「アクゼリュスを外殻大地から消したのは俺だ。キムラスカじゃ無い……キムラスカが企んだ訳じゃ無いんだ」

 あれは、俺がヴァン師匠に操られてやった結果だ。
 その言葉を、ルークは喉元で辛くも止めた。俯いて唾を飲み込む少年の肩は、小刻みに震えている。
 と、その肩にぽん、と青い手が置かれた。はっと少年が見上げると、そこにあったのは柔らかな光を湛えた真紅の瞳。

「分かっています。ここにいる皆は、それを分かっています。貴方が言いにくいことでしたしね……ちゃんと私が説明しました」
「……ごめん、ジェイド。俺が、ちゃんと説明しなくちゃいけないことだったのに」

 髪を撫でられて、済まなそうにジェイドを見上げながらルークは微笑んだ。その顔がジェイドが『記憶』を得てから良く見せるようになった表情と良く似ていることに気づいたのは、ピオニーとサフィールだけだろう。
 軽く頭を振り、皇帝は話を戻すことにする。とんと玉座の肘掛けを叩き、意識を切り替えた。

「だが元々、アクゼリュスはマルクトとキムラスカで奪い合いをしている土地だ。今はマルクト領であるそのアクゼリュスが、キムラスカの人間が入った直後に壊滅したんなら……普通に考えて、どう思う?」

 敢えて感情を言葉に込めること無く、ピオニーは子どもたちに疑問を投げかける。それに答えたのは、1度目を閉じて覚悟を決めたのであろうティアだった。

「キムラスカの人間が、何らかの方法で街を破壊したと思うのが普通でしょうね。支えている柱を壊し、ローレライの力を借りて下の大地に無事落着させたなんて、誰も考えないでしょう。何しろ、『下の大地』と言う発想自体が存在しないから」
「その通りですねぇ。真実はどうであれ、マルクトの国民はそう言った恐怖に怯えてるのが実情です」
「それに、今はキムラスカとの開戦直前で下手に軍は動かせない。その軍事行動が、キムラスカへの挑発とも取られかねんからな」

 サフィールとピオニーの言葉を聞いて、子どもたちは一様に沈んだ雰囲気になった。その中にあって、ルークは床を見つめながらじっと何事かを考えている。やがて……顔を上げた少年は、はっきりとした言葉を口にした。

「……それなら、俺たちが行きます。俺たちは事実を知っているし、セントビナーなら一度行ったことがありますから」
「ふむ?」

 少年のその言葉に、ピオニーは僅かに眼を見開いた。
 ジェイドから聞いた『未来の記憶』でも、確かにこの提案はルークの口から発せられたものだったらしい。だが、ジェイドの知る『短い髪のルーク』はアクゼリュスを崩落させた罪の意識からそれを発案したと言う。
 今目の前にいる『長い髪のルーク』は、純粋に自分が出来ることを考えてこの提案に至った。

 未来は変えられる。
 ほんの少しであっても、変えられた。
 お前のおかげだな、ジェイド。

 穏やかに微笑んでいる親友と視線が合うと、皇帝はふっと表情を和らげた。肘掛けに頬杖をついて、ふっと満足そうな笑みを浮かべる。
 同じ笑みは、血色を取り戻したナタリアの顔にも浮かべられていた。胸に手を置いて、小さく首を縦に振る。

「そうですわね。それに、私どもが行くのでしたら、もし不測の事態が起きたとしてもマルクト軍が巻き込まれることはありませんわ」
「セントビナーのグレンさん、ちゃんとお手紙出してくれたですの! 良い人ですの、助けに行くですの!」

 ルークの肩の上で、ミュウが大きな耳をぴんと立てた。これにはさすがの老将たちも目を白黒させたのだが、ピオニーは「おう、元気が良いな」と楽しそうに手を上げて答えただけだった。

「そっか。セントビナーって、マクガヴァンのおじーちゃんもいますもんねえ。お世話になりました」
「今から急げば街は無理でも、人は助けられるだろうな。アクゼリュスでも、いろんな人々が協力してくれたおかげもあって何とかなったようだし」

 無邪気に笑うアニスと、視線だけを交わしながら頷くガイ。アリエッタは小さく頷いて、イオンの服の裾をきゅっと握った。

 よし。
 それじゃあ、これから大いに未来を変えようか。

 そんな言葉を口には出さず、ピオニーはジェイドとその仲間たちを見下ろした。


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