紅瞳の秘預言40 策略

 ピオニーとの謁見を済ませたルークたち一行は、手配されていた宿屋に戻った。イオンがガイを解呪した部屋以外にもいくつかの部屋を利用出来るようになっており、彼らは最初に案内された時点でそれぞれあてがわれた部屋に荷物を置いてある。
 ローレライ教団員が多いと言うこともあり、夕食は広めの一室に準備された。呼ばれて部屋に入った途端、アニスが歓声を上げる。

「うっはー! たぁくさん、こんなの久しぶりー!」
「こ、こんなに、良いのかしら……」

 並べられた多種多様な料理にティアも眼を瞬かせながら、それでもガイが勧めてくれた席に腰を下ろす。当たり前のようにナタリアをエスコートしているアッシュを見て、ルークは慌ててアニスの前にある椅子を引いた。がたがたと椅子が床に当たる音がして、ルーク本人を除く全員が苦笑しつつ肩をすくめた。

「あ、え、えっとこれで良いのか? アニス」
「うん、そう。ありがとねルーク」

 にこっと無邪気に笑い、アニスは素直にその席に座った。それからふと少年の顔を見上げて、納得したように何度か頷く。

「そっか、普段は使用人さんが椅子引いてくれるんだもんねえ」
「……そうなんだよなあ。普段の宿じゃあ、自分で勝手に座ってたし。気がつかなくて悪かった」

 ルークは頭を掻きながら、空いている席に腰を下ろす。ちょうど向かいの席にアッシュとナタリアが並んで座っており、金の髪の王女はくすりと手を口元に当てて笑った。

「あら。ガイとアッシュは気がついたときにはちゃんとしてくださいますわよ?」
「ふん」

 ナタリアの言葉に、アッシュはふいと視線を逸らした。ガイは短い金の髪を指先で掻き、苦笑しながら言い訳を口にする。

「いや、ほら俺は使用人だしさ」
「それでも、領主のご子息ってことは元々貴族なのでしょう?」
「貴族としての生活より、使用人としての生活の方がずっと長いんだよ」

 ティアの言葉に肩をすくめるガイ。確かに、5歳の誕生日に生家を滅ぼされた彼に取り、貴族としての生活はそこまでだ。それ以降今に至るまでのほとんどの時間を、ガイはファブレ家の使用人として生きて来た。その長きに渡る生活習慣は、すっかり彼の身に染みついている。
 ルークが少し顔を伏せたのに気づいたか、ふんと小さく鼻を鳴らしてアッシュが口を開いた。

「まあ、普段は気にしなくてもかまわんだろう。正式な晩餐会の時でも、てめえは座る方の立場だからな。貴族はその辺がうるさいから、変に癖を付けない方が良い」

 ぶっきらぼうな口調は相変わらずだが、その中に異なる感情が垣間見えてナタリアは眼を細める。ティアもほんの少しばかり表情を緩め、コップの水を一口飲んだ。

「……そりゃそうだけど、でも気をつける。ごめん、ありがとうアッシュ」
「だから何の礼だ」
「だって、俺のこと気に掛けてくれたんだろ?」
「……」

 ルークの素直な感情を表した言葉に、アッシュの頬が僅かながら赤く染まる。視線を合わせることも無く気まずい表情を浮かべる彼に、アリエッタは不思議そうに首を傾げた。

「ルーク、ありがとうなのに、どうしてアッシュ、怒ってるの?」
「怒ってるんじゃありませんよ、アリエッタ。どう返事して良いのか、アッシュは困っているだけなんです」
「……アッシュもありがとう、じゃないの?」

 イオンの説明にもいまいち理解が出来ないのか、きょとんと眼を丸くしたままのアリエッタ。彼女の言葉に、アッシュは固まってしまう。その姿を見かねたか、ナタリアが言葉を挟んで来た。

「アッシュはまだ、ありがとうと言う言葉を言い慣れていないのですわ。これから練習して、言えるようになりますわよ。そうですわよね? アッシュ」
「………………気をつける」

 さすがのアッシュも、ナタリアに言われてはそう答えざるを得ない。かりと前髪を掻きながらの言葉に、桜色の髪を持つ少女はふんわりと微笑んだ。
 話が一段落した頃を見計らい、くるりと全員の顔を見渡してガイがぽんと手を打った。目の前に並べられている料理は、見るために存在しているのでは無い。

「ようし。それじゃみんな、食べようか」
「はーい!」
「はいですのー!」

 威勢良く返事をしたのは、アニスとミュウの2人。ぷっと吹き出したイオンに慌てて姿勢を正すと、アニスはばつが悪そうに少しだけ俯いた。
 ガイに倣うようにぐるりと室内を見回して、ルークは小さく溜息をつく。この場に揃っている一同の中で最年長なのはガイで、それより年上に当たる2人はこの場にはいない。

「ジェイドとディストが一緒じゃ無いのが、ちょっと残念だな」
「おふたりはここがホームタウンですものね。いろいろあるんじゃ無いかしら」

 少し考えるようにしつつ、ティアがルークの顔を覗き込んだ。と、その横に一席を与えられているミュウが大声を張り上げた。

「お仕事たまってるですのー。ジェイドさん、溜息ついてたですのー」
「……なるほど」

 はぁ、と肩を揺すりながらルークは、どんな仕事が溜まってるんだろうと単純な疑問を脳裏に浮かべた。


 謁見の間での展開は、ほぼジェイドの『記憶』通りに進んだ。キムラスカの王族であるルークとナタリアがセントビナーの救出を請け負うことを進言し、ピオニーがそれを受け入れる。
 結局、住民救出のために派遣されるのは第三師団とルークたち、カイツールを突破し北上して来るであろうキムラスカ軍の牽制にはノルドハイム将軍が当たることとなった。これもまた、『記憶』のままだ。
 ただ、ジェイドの帰還が『記憶』よりも早かったせいか僅かながら時間的余裕が存在している。そのためか、議会工作を行うゼーゼマンを送り出した後ピオニーは少年たちにひとつの案を提示した。

「お前ら、宿に一晩泊まってけ。セントビナーに行くにしろ何にしろ、下準備と体力の回復は必要だ」
「ま、まだ大丈夫ですよ!」
「そうです、一刻も早くセントビナーに向かわないと!」

 ルークとティアが皇帝の提案に異議を申し立てるが、子どもたちの言葉をピオニーはあっけらかんと笑って受け流した。親指でひょいひょいと指し示すのは、雪の街で少年時代を共に過ごしたくすんだ金髪の軍人と銀髪の科学者。

「うん。お前らは大体が若いから良いんだが、ジェイドとサフィールがおっさんだからな。無理はさせられん」
「陛下とさほど変わりませんが」
「ピオニーの方が年上じゃ無いですかー!」

 ジェイドは平然と、サフィールは感情的に反論をぶつける。これもまた、ピオニーにとっては風の囁きにもなり得ない。ルークたちと違い、余裕を持って彼らの言葉を言葉で跳ね返すことが出来るのが彼、ピオニーだ。

「このくらいになると、女性はともかく野郎同士じゃ1歳の差は大したこと無いぜ? まあそりゃともかく、素直に好意は受けろ。アクゼリュスの住民に被害が無かったのは、お前さんたちが街の中をかけずり回ってくれたからなんだしな」

 にっと白い歯を剥き出しての笑顔は、皇帝と言うよりは悪ガキにも見えた。ちらりとジェイドに向けられた視線も、上司と言うよりは弟を見守る兄のように感じられる。

「エンゲーブから遊びに行ってた坊主がな、えーとジョンって言ったか。赤い髪のお兄ちゃんたちが危ないよって教えてくれたからみんな逃げられたんだ、お礼がしたいって言ってたらしいぞ。アスランから聞いたんだが」

 ジョンの名前を聞いて、ジェイドははっとした。
 『前回』の世界ではアクゼリュスの崩落から逃げ遅れ、父親に庇われることで辛うじて生きながらえたまま魔界に落ちた少年。だが、その小さな身体はジェイドの目の前でゆっくりと、液状化した毒の泥の中に沈んで消えた。あの光景を『短い髪のルーク』は死ぬまで何度、夢に見たことだろう。

「アクゼリュスの住民をまとめていた方の息子さんですよ。そうでしたか、彼も脱出出来たんですね」

 その少年が、この世界では無事崩落から逃れることが出来たのだと知り、ジェイドはほっと一息をつく。安堵の表情を浮かべた彼を見て、ピオニーとサフィールは同時に顔を綻ばせた。皇帝は「よし」と1つ頷いて、ぽんと肘掛けを叩く。

「ジェイドとサフィールは明日来い。入手出来るだけの情報をまとめておく。それと、必要な物資があればアスランの方に言ってくれ。調達させる。足はどうする?」

 ピオニーの矢継ぎ早の指示に続いた質問に、ジェイドはむ、と口元に手を当てた。ほんの僅か考えて、視線を向けたのは桜色の髪を持つ六神将の少女。

「それは……アリエッタ、大丈夫ですか?」
「うん。お兄ちゃんやフレスたち、きっと大丈夫」

 こくんとアリエッタが頷くのを確認し、ふわりと優しい笑みを浮かべる。それからジェイドはピオニーに視線を戻し、悪戯っ子のように小さく首を傾げた。相手の様子を伺うときに、たまに『死霊使い』が見せる子どものような仕草。

「それは良かった。それと、念のため陸艦も手配をお願いします」
「そうだな。タルタロスはまだ直って無いが、別のを手配させる」

 ジェイドの要請は既に織り込み済みだったのだろう、ピオニーは平然と頷いて見せた。そうして、ひょいと玉座から立ち上がる。軽く腕を回しながら、段差を弾むような足取りで降りた。

「よし。じゃ、ちょっと議員連中とやり合ってくる。ジェイド、サフィール、後は頼んだぞ。恐らく、これからのお前さんたちの働きにオールドラントの未来が掛かってる」

 にやりと不敵な笑みを浮かべながら皇帝が口にした言葉に、ルークは目を見張る。その言葉と表情は、配下を信頼しているからこそ浮かべることが出来るものだから。

 すごい自信だよな。俺にはとっても、真似出来ねえや。


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