紅瞳の秘預言40 策略

 自分のすぐ横で、アッシュが小さく溜息をついたのにルークは気づいた。朱赤の焔の視線に気づくと、真紅の焔はルークにだけ聞こえるような微かな声で「……モースに爪の垢煎じて飲ませてえぜ」と呟いて見せた。どうやらアッシュの方も、ルークと同じ感想をピオニーに抱いたらしい。

「承知いたしました、陛下」
「ピオニー、せいぜい頑張ってくださいねぇ」

 胸に手を当てて頭を下げるジェイドと、手をひらひらと振るサフィール。その態度に腹を据えかねていたのか、ピオニーの退室を待ってノルドハイム将軍はつかつかと歩み寄り、銀髪の学者の顔を睨み付けた。

「ふん。陛下の命が無ければとっくに貴様は儂が斬っている」
「ジェイドが泣かないならいつでもどうぞ。私の生命は、とうの昔に私のものじゃ無いんですから」

 だが、六神将の1人として名を馳せたサフィールもその程度で引き下がりはしない。彼の浮かべた不敵な笑みは、『死神』の二つ名を得るに相応しいものだった。

「……ふん」

 不満げに鼻を鳴らしながらもそれ以上言葉を口にはせず、ノルドハイムもまた謁見の間を後にする。その背をのんびりと見送った後、サフィールはぽんと手を打った。

「はい、それじゃ皆さん、宿に戻ってくださいね。今夜はぐっすり寝て、難しいことは年寄りに任せなさい」
「てめえはどうするんだ? ディスト」

 彼の言葉が第三者的な視線を持つものであることに気づいたか、アッシュが僅かに眼を細める。にこっと無邪気に微笑んで、銀髪の科学者は青い服の軍人と顔を見合わせた。

「私は年寄りですから、やることがあるんです。ね、ジェイド」
「そうですね。私も、本来の仕事が溜まっているはずですし。サフィール、一緒に来てください」
「ま、そう言うことです。宿までは送りますよ」

 互いに交わす視線の意味を、第三者であるルークたちが知ることは無いだろう。
 ジェイドが、知らせることを望んでいないから。


 軍本部にあるジェイドの執務室に、2人は連れ立って入る。やはりと言うか留守中に溜まっていた書類の山に小さく溜息をついて、ジェイドは椅子に腰を下ろした。書類の一部を手に取って、サフィールも傍のソファに座り込む。

「で、これからどうするんです?」

 手早く書類に目を通し分類しながら、サフィールが何でも無いことのように尋ねた。ジェイドも書類の分別を進めつつ、視線を合わせないまま答える。

「セントビナーに向かうのが最優先ですが……今後各地のセフィロトを回ることを考えれば、先にアルビオールを確保しておきたいですね。上手く行けば2機、確保出来ます」
「2機? ふむ……主席総長に渡す訳にも行きませんしねえ。操縦士は大丈夫なんですか?」
「技術者の孫2人が操縦技術を持っているはずです。ギンジとノエルと言う兄妹ですが」

 あっという間に分けられた書類の内、サフィールが大至急の処理が必要と判断したものだけをジェイドの執務机に戻す。口だけは会話を続けながら次の山を手にとって、サフィールは再びソファに戻った。
 この時点で、アルビオールの操縦技術を持っているのがイエモンの孫たちであることを本来ならばジェイドが知るはずは無い。知っているのは、『未来の記憶』で彼らと面識があるから。
 ジェイドとサフィールは今、ジェイドの持つ『記憶』を元にしての作戦会議中なのだ。ピオニーには明日、結論を報告すれば納得するだろう。彼もまた、ジェイドが『記憶』を持つことを知っているのだから。

「なら、2機同時運用は問題無さそうですね。二手に分かれましょうか……セントビナーに行くのと、シェリダンに向かうのとで」
「人数も増えましたし、問題はありませんね」

 書類の山が、1つから2つに分かたれていく。至急処理が必要な小さな山と、先送りに出来る大きな山。もっとも小さな山とは言ってもその書類の量はそれなりにあり、ジェイドの持つ権限の大きさを物語っている。当人は小さく溜息をつくと、軽く首を動かした。

「セントビナーには私が行きますよ。マクガヴァンもと元帥がおられますから、私が行った方が話は通るでしょうしね」
「私では、あすこの息子と喧嘩になりそうですしねえ」
「ええ。それと場合によっては、直接シュレーの丘のセフィロトを操作に行かなければなりません。『覚えて』いる限りでは、セントビナーは長くない」

 ジェイドの手が動いた。ペン先にインクを付け、書類にサインを入れては処理済みの山へと積んで行く。長い留守をすることがあらかじめ分かっていたのだから、これでも普段よりも書類の量はかなり少ないのだろうとサフィールは思う。

「シュレーの丘でしたら、主席総長が軍を出して警戒してるみたいですよ。あれですか、貴方が『知って』いるところの弁の封鎖と言う奴ですか」
「……恐らくそうでしょう。下準備自体は、行方知れずになったルークの捜索名目でマルクトに入国した後にやっていたでしょうからね」

 ジェイドは一度ペンを置き、軽く手首を振って緊張をほぐした。乱雑に積み上げられた紙の山を手早く揃え、それから再びペンを手に取る。

「あー、そう言えばリグレットの奴、導師をシュレーの丘に連れて行ってましたっけ。あれ、そう言う意図があったんですねぇ」
「アルバート式封咒の解除さえ出来れば、あのセフィロトはいつでも操作出来ますからね」

 かりかりとペンが紙の上を走る音が、室内に響く。紙が重なっていくぱさりと言う乾燥した音がそこにハーモニーを加え、更に2人の言葉が行き交う。

「最悪、シンクにイオン様の代わりをさせることは出来ると思いますが……確実性を重視するつもりなら、グランツ謡将は考えていないでしょう」
「シンクはダアト式の適性、低いですからねー。1個所開けて終わりじゃ無いですか? あとフローリアンでしたか、モースが隠してるレプリカでもう1個所。……効率悪すぎですよ」

 とんとん、とサフィールの細く骨張った手が書類をまとめる。再び大至急の山に戻し、さらに次の仕分けに掛かりながらくい、と眼鏡の位置を修正した。

「それに、ダアト式封咒を解いたとしても問題は残りますねぇ」
「セフィロトツリーの破壊方法ですね」

 サフィールのどこか呆れたような口調に小さく頷いて、ジェイドはペン先にインクを付け直した。その脳裏には、オールドラント全域の地図が広げられている。
 その中でも彼の意識が集中したのは、ゲートの名で呼ばれる2つのセフィロトだった。

「通常のツリーもそうですが、両極にある2つのゲートが最大の問題でしょうね。プラネットストームの起点と終点なんですから」
「その機能を破壊するためには、超振動……ですか」

 単にセフィロトツリーの機能を停止させたところで、恐らくアブソーブゲート及びラジエイトゲート自体の機能が完全に停止することは無いだろう。それら2つのセフィロトに付加されているプラネットストームを運用するための機能は、かつてユリア・ジュエがローレライの鍵を振るったことで付与されたものだからだ。
 それらを破壊すること無く停止させるためには、いずれルークがローレライから受け取るであろう宝珠が必要となる。そうで無ければ、ユリアが両ゲートに描いた譜陣を物理的に破壊し、その機能を停止させるしか無い。
 そのために必要となる強大な破壊力が、即ち超振動。アッシュとルークの2人が持つ力。

「ええ。だからグランツ謡将はアッシュを手元に置いていた。フォミクリー音機関を作動させるにはどうしてもプラネットストームの力が必要になりますから、表層全てを複製した後でアッシュに2つのゲートを破壊させるつもりなんでしょう」
「それで、オリジナルであるアッシュもぽい、ですか。冗談じゃ無い」

 ふん、と鼻息も荒くサフィールが吐き捨てる。既に全ての書類が分類を終えており、差し当たって処理が必要な分だけはジェイドの前に積み上げられていた。

「まあ、ともかくセフィロトの操作は想定内ですからね。ルークがやる気になってくだされば良いんですが」
「アッシュなら操作盤も扱えると思いますが、どうします?」

 ジェイドの『記憶』では、あまり同行することの無かったアッシュでは無くルークがセフィロトの操作を行った。彼は音機関の操作はほとんど心得ておらず、故にジェイドは超振動で直接譜陣を刻み直すと言うかなり強引な方法で操作を行わせた。創世暦時代の音機関は第七音素を以て操作するものばかりであり、ジェイド自身が扱うことは出来なかったのだ。
 あの時は他に方法が無くやむを得ず強引な手段を執った訳だが、今考え直してみると。

「いえ、逆に強引にやった方がこちらに有利だと思いますよ。操作盤での暗号解除ですと、グランツ謡将に再操作される可能性も残っていますからね」

 ヴァン・グランツ自身もまた、第七音譜術士である。彼はセフィロトを操作し、外部からの操作禁止やプラネットストームの逆流などの指令を与えることが出来た。つまり、通常の手段ではいたちごっこになる可能性が出て来る。
 ならば、強引とは言えこちら側にしか利用出来ない手段を使うのは有効であろう。
 そんなジェイドの考えにこちらも辿り着いたのか、ふむと1つ頷いてサフィールは、腕を組み直した。

「それもそうですねぇ。アッシュとルークは完全同位体ですから、多分同じやり方で通るでしょうし。ローレライが協力してくれるのであれば、多少融通は利きそうですしねぇ」
「最悪の事態は想定しておくものですよ、サフィール」
「分かってます」

 サフィールは楽観的な思考をする傾向にあるが、対してジェイドは悲観的な思考に走る嫌いがある。立ち位置の問題もあるのだろうが、確かにジェイドの補佐として自分は適任であろう、と銀髪の学者は心の中で呟いた。


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