紅瞳の秘預言40 策略

「それが肝心なんじゃ無いですか! 味方が多いと言うのは、それだけで条件がこちらに有利になるってことなんですから。それに、アクゼリュスが助かったのはジェイドが頑張った結果ですよ!」
「それなら、良いんですが……」

 ふっと、ジェイドの顔から感情が消えた。焦点の合わない瞳が、サフィールを視界に収めている。
 コーラル城でも見せた、空虚な表情。

 本当に、ジェイドは頑張ったんですよ。
 だけどその代償に、ジェイドはどれだけ傷ついたんですか。
 それにジェイドは、自分の功績に気づけないでいる。
 自分は無力なのだと思い込んでしまっている。

 ローレライ。
 貴方、ジェイドに何をしたんです?

「私、全力でジェイドの力になりますから。あの子たちは貴方に頼りっぱなしになるでしょうけど、辛かったら私にぶちまけちゃって良いんですからね。私はそのために、ここにいるんです」

 ローレライに、思いの丈をぶつけることは出来ない。ジェイドと同じくサフィールも第七音譜術士では無く、故に直接接触することは難しいだろう。
 その代わりサフィールは、ジェイドに自分の言葉をはっきりと言い聞かせる。それでもジェイドは、力無く微笑むだけだった。

「……済みません、サフィール」

 じっと見つめられて、思わずサフィールは白い頬を赤く染めた。
 『記憶』を得てからのジェイドは、時々サフィールの……恐らくはピオニーも知らない表情を覗かせる。それは5年分の『未来の記憶』が彼にもたらした贈り物ではあるのだろうが、それがサフィールには不安に感じられて仕方が無い。

「ひとつ、お願いをして良いですか」

 ほら。
 ジェイドのこんな言葉ですら、サフィールの背筋を冷やしたでは無いか。


 翌朝。
 朝食で腹を満たし、必要な物資も届けられて準備万端と言った風のルークたちを前にジェイドは、サフィールと2人で話し合った内容を細かに説明していた。その内容を各自が受け入れたところで、やっともう1人の登場と相成った。

「はーい、お待たせしました〜」
「えっ?」

 空から降って来たサフィールの声に、慌てて空を見上げたナタリアはぽかんと口を開いた。彼女以外の皆はさすがに見たことがある光景故に、一様にはぁと大きく溜息をつく。ジェイドだけは苦笑を浮かべ、肩をすくめながら友の名を呼んだ。

「サフィール、遅いですよ」
「済みません。こいつの調整をしてましてね」

 するりと高度を落とし、ジェイドの視線よりも少し上の位置で椅子はぴたりと停止する。身を少し前に乗り出すと、友人の表情を伺いながらサフィールはにこにこと笑った。

「……こ、これがガイの言っていた、空飛ぶ椅子ですの?」
「そう言うことですね。と言いますかディスト、それで動くつもりなんですか? 目立ちますよ」

 両手を頬に当てながら眼を瞬かせるナタリアに、イオンは頷いてからたしなめるような視線をサフィールに向けた。ふわふわと浮遊したままサフィールは、邪気の無い笑顔で答える。

「はっはっは、ええ、一応ね。それなりに利用価値もありますし」
「どんな利用価値だよ……ま、いいや。旦那がOK出してるみたいだし」

 ガイはさすがにあきらめ顔で、お手上げのポーズを取った。「ま、いいじゃん」と苦笑を浮かべたルークは、荷物を肩に担いだアッシュに視線を向ける。

「じゃあ、シェリダンは頼むな。アッシュ」
「ふん。てめえの方こそ、セントビナーでヘマすんじゃねえぞ」

 言葉こそ悪いものの、アッシュの碧の瞳に宿るのは悪意では無く『弟』を案じる光だ。それにアッシュ本人が気づいているのかどうかは、ルークには分からない。

「アリエッタ、イオン様のこと頼んだからね?」
「うん。アニスも頑張って」

 アニスはアリエッタと握手を交わし、2人揃って楽しそうに笑った。今回はアニスでは無く、アリエッタがイオンの守り役として同行することになっている。

「ティア。ルークのことはお任せしましたわよ?」
「ナタリアも、アッシュが独断専行しないようにちゃんと見ていてあげてね」

 ナタリアとティアはしっかりと頷き合い、そうして2人の焔にちらりと視線を投げた。ごく当たり前のようにティアはルークと、ナタリアはアッシュと同行することが決まっている。

「ちぇ、俺はセントビナーかよ。ま、良いけどな」
「貴方を連れて行くと時間が足りなさそうですからね。その代わり、ジェイドのことをお願いしますよ?」
「了解。ディストの旦那も、みんなのこと頼んだぜ。イオン様も、お気を付けて」
「ええ、僕は大丈夫ですよ」

 音機関フリークでありながらセントビナー行きを決められたガイは僅かに頬を膨らませたが、サフィールの言葉に仕方ない、と薄く笑ってみせる。2人が視線を向けた少年導師は、慈愛に満ちた笑顔でこくりと頷いて見せた。両手で杖を握りしめるその姿は、教団の最高指導者と言うよりは困難に立ち向かおうとする1人の少年と言った方が近いだろう。
 セントビナーに向かうのは、ジェイドを初めとしてルークとミュウ、ティア、アニス、ガイ。海を越えシェリダンへと向かうのは、サフィールを筆頭にアッシュ、ナタリア、アリエッタ、イオン。これは昨夜ジェイドとサフィールが話し合って決めた分かれ方だ。
 キムラスカに向かうアッシュ側は、六神将の3人がイオンとナタリアを護衛する形で同行する。これならばキムラスカの国内を、ほとんどノーリスクで動くことが出来る。ローレライ教団の導師であるイオンには両国の国境と言うものは全くの無意味であり、六神将たちはモースやヴァンを長に頂く形で活動してはいるもののそもそもイオンの配下、と言うことになる。ナタリアはキムラスカの王女であるから、それなりに国内については詳しいはずだ。
 対してルーク側はマルクト国内を動くため、マルクトの軍人であるジェイドが同行するという形になる。そもそもの目的はセントビナーの住民を避難させるためであり、それにはピオニーからの命令を伝える役がどうしても必要になる。その役割は、ジェイドが担っているのだ。

「では皆さん、行きましょうか。私たちはセントビナーへ」
「私たちはシェリダンへ向かいます。アリエッタ、お手数をお掛けしますね」
「大丈夫。イオン様のため、だから、頑張る」

 ジェイドの言葉にルークが、サフィールの言葉にアッシュとそしてアリエッタが頷く。その光景をじっと見つめながらジェイドは、そっと自分の胸元に手を当てた。

 もう大丈夫です、ローレライ。
 ルークは、守ってみせますから。

 そう心の中で呟くジェイド。彼を見つめるサフィールの視線が悲痛な色を湛えていることには、誰も気づかなかった。


「ひとつ、お願いをして良いですか」

 どこか透明な笑みを浮かべて、ジェイドは済まなそうに眉尻を下げながら『お願い』の言葉を口にした。

「もし、何かの問題が起きて私とルークを天秤に掛けるような事態が起こったら……一度だけで良い、ルークを選んでくれませんか。私は、あの子を護りたい」

 私は、ジェイドを選びます。

 その言葉を、サフィールは口にすることは出来なかった。


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