紅瞳の秘預言41 戦風

 ルークたちは、アスラン率いる第三師団と共にセントビナーへと向かった。街周辺は地盤沈下が起こり始めていることもあり、第三師団は陸艦で少し離れた場所に待機することとなる。ルークたちがセントビナーに入って事態を説明し、避難してくる民間人を第三師団が街道の途中で迎えると言う段取りである。
 途中までとは言え陸艦を使えたため、ルークたち一行がセントビナーに到着したのはグランコクマを出てからほんの数日後だった。ジェイドは同行を志願したアスランを連れ、ルークたちと共に基地へ向かう。

「ですから父上! カイツールが間も無く突破されると分かっている以上、我々守備隊がここを動く訳にはいかんのです!」

 扉を開けた途端ルークたちの耳に飛び込んできたのは、グレンの怒声だった。「みゅっ」と慌てて耳を逸らしたミュウの頭を撫でながら、ルークはジェイドと顔を見合わせて肩をすくめる。
 以前この街を訪れたとき、グレンは何が気に食わないのかジェイドにさんざん噛みついていた。本人の性格もあるのだろうが、相変わらずだなと少年は苦笑を浮かべる。その相変わらずさが、何とはなしに嬉しい。

「それは分かるが、住民の避難が先決じゃろう!」
「皇帝陛下のご命令が無い限り、勝手に動くことは出来ません!」

 グレンに反論しているのは、保護して貰ったアニスを除くルークたちはこれが初対面になるマクガヴァンもと元帥。現役を引退して久しい身であるはずだが、息子に負けず劣らずの胆力の持ち主だ。
 その親子が口論の真っ最中であり、議題がセントビナー住民の取り扱いについてだと言うことは2人の台詞を聞けばイヤでも分かる。だからルークは、無理矢理2人の間に割り込むように声を張り上げた。

「ピオニー陛下の命令なら出たぜ!」
「むっ?」

 唐突に飛び込んで来た少年の声に、親子は同時に振り返る。その視界の先に青い改造軍服を認め、目を見張ったのはグレンだった。

「か、カーティス大佐!? 生きておられましたか!」
「ええ、悪運だけは強いもので。もと元帥にはご無沙汰をしております」

 軽く敬礼をして歩み寄るジェイドを、グレンは眼を丸くしたままじっと見つめている。マクガヴァン翁はふむ、と豊かな白髭を手で撫でると、その手をすっと差し出した。

「ほっほ。ジェイド、よう生きて戻ったの」
「ありがとうございます」

 恩師の手を握り、ジェイドは柔らかく微笑んだ。そうして手を離し、2人の顔を伺うように見比べる。先に口を開いたのは、翁の方だった。

「して、陛下は何と」
「民間人はエンゲーブを経由し、首都方面へ避難させよとのことです」
「詳しいことは自分より説明致します。が、まずは民間人に避難の準備をさせることが先決かと」

 手短にピオニーの意向を伝えたジェイドの言葉を引き継いで、アスランはぴしりと敬礼をして見せた。2人の顔を見比べて、マクガヴァン翁は眉間にしわを寄せながらふむと頷いた。

「セントビナーは放棄する、と言うことじゃな」
「遺憾ながら」

 難しげに唸ったマクガヴァン翁の言葉に、ジェイドも表情を曇らせながら同意する。だが、その心中は恐らくマクガヴァン翁とは少し異なる思考を走らせていることだろう。
 『記憶』の世界では、エンゲーブ方面へ逃すだけであったセントビナーの住民。だがこの世界では、ジェイドが持つ『記憶』によりそれだけでは避難が不十分であることが判明している。グランコクマ近郊……少なくともチーグルの棲まう森近辺まで移動しなければ、彼らはルグニカ平野の崩落に巻き込まれるのだ。
 無論、ルークやジェイドたちがセフィロトツリーの操作を行い大地を降下させるならば、さほどの被害は出ずに済む。だがそれには、エンゲーブの住民たちを戦闘が繰り広げられているルグニカの地を強引に縦断し、ケセドニアまで送り届けなければならない。そうで無ければ住民たちは、大陸降下よりも早くエンゲーブに辿り着くであろうキムラスカ軍の攻撃に晒されるのだ。
 キムラスカ軍のエンゲーブ到達から程なくこの一帯は魔界へと降下し、その影響で戦闘は中断される。その隙にジェイドたちは世界を巡り外殻大地降下の下準備を行い、地核の震動を停止させる算段を得て停戦交渉を成功させた。ジェイドが『覚えて』いる世界では、そう言った展開がこれからの彼らを待ち受けていた。
 けれど、あれよりももしお互いの損害が少なくて済むのであれば、それに越したことは無い。ルグニカ平野を渡ることなく民間人たちを安全な場所まで避難させることが出来れば、少なくとも被害は減少する。
 『記憶』と現実との間に存在する、僅かな時差と状況の相違。ジェイドとピオニーは、それに賭けることにしたのだ。
 そんなジェイドの思考を知ること無く、グレンが眉をしかめながら口を開いた。彼は彼なりに、自身の持つ知識と情報の中で民の安全と国の安泰を願っているのだ。

「しかし、シュレーの丘はどうするつもりだ? 神託の盾騎士団の第一師団が不法占拠している。何を企んでいるか知れたものでは無い」
「第一師団……六神将『黒獅子ラルゴ』の隊ですね」
「ええ。シュレーの丘を監視させておいて、機を見て別働隊として動かすつもりなんでしょう。あの位置からですとセントビナーは目と鼻の先ですし、ルグニカ平野で戦線を展開するマルクト軍に横合いから奇襲を仕掛けることが出来ますからね」

 難しい顔をしたティアの言葉に頷いて、ジェイドは一瞬だけ思考を走らせた。ふんとガイが鼻を鳴らし、不満げに愚痴を漏らす。

「見え見えの奇襲部隊ってのも腹が立つけどな。マルクト側から手出しをするわけにも行かないか」
「総攻撃の良い口実になりますからね。グランツ謡将も、分かっていてやっているはずです」

 ジェイドも小さく溜息をつき、ガイと同じ気持ちであることを口調で示した。そうして視線をマクガヴァン親子に戻し、口を開く。

「住民の避難を進めておいてくだされば、その間に我々が調査に参ります。お任せ願えませんか」
「カーティス大佐が?」
「ふむ……それも、皇帝陛下のご命令なのじゃな?」

 訝しげに彼の顔を伺うグレンに対し、マクガヴァン翁は顎髭を撫でながらそう問うた。ジェイドが「はい」と頷くと、老人は瞳を鋭く光らせる。それはかつて軍にあって元帥の位にまで上り詰めた男の、自信と信頼の証。

「よし、あい分かった。街は我らに任せてジェイド、お前たちはシュレーの丘に向かってくれ」
「ありがとうございます」
「父上!?」

 当たり前のように頭を下げるジェイドと、驚愕の表情で父の顔を見つめるグレン。翁は鋭い視線のまま我が子を見つめ、こほんと1つ咳払いをするとたしなめるような口調で言葉を紡ぐ。

「グレンよ。本来ならばセントビナーの住民を安全に避難させるのは、儂とお前の責任において行わねばならぬことじゃぞ? ピオニー陛下のご命令が下る前に動いていたとしても、陛下はさほどお怒りにはならぬ。ようやったグレン、とお褒めのひとつもあろうがの」

 マクガヴァン翁の言葉を聞いて、ルークたちは納得したような表情で頷く。たった一度顔を合わせただけの人物ではあるが、確かに太陽の色の髪を持つあの若き皇帝は翁が口にしたような言動を取るだろう。指摘されたグレンも一度口を閉ざしたことから、そのことは良く分かっているようだ。

「……ですが」

 それでも顔を上げ、反論しようとしたグレンを翁はぎろりと睨み付ける。息子がぴたりと言葉を止めたところで、老人は愛弟子であるジェイドに視線を戻した。

「ジェイドよ。シュレーの丘には何がある? セフィロトがあるらしいと言う話は聞いておるが」

 その言葉に、一瞬だけジェイドは目を見張った。それからほんの僅か目を伏せ、そうして口を開く。
 ここで黙っていても、話は先に進まない。

「話せば長くなりますが、端的に申し上げますと大地を支える柱があります」

 説明している時間は無い。そう判断したジェイドは、事実だけを答えとして紡ぎ出した。世界構造はアスランも知っており、彼に説明を任せても良いのだから。

「む?」
「カーティス大佐、それはどう言う……」
「もと元帥、マクガヴァン将軍。申し訳ありませんが、時間があまりありません。このまま放っておいては、セントビナーはホドやアクゼリュスと同じ状況になります」

 親子の疑問を遮るように、アスランが口を挟んで来た。彼が今後の状況予測をはっきりと口にしたことで、2人は事態が切迫していることを察する。

「……地盤沈下により、街全体が壊滅する……と言うことか」
「はい」

 翁の重々しい呟きに、ジェイドとアスランは同時に頷いた。続けて指示を出したのは、この作戦の実質的な責任者であるジェイドの方だった。

「ですので、その前に住民の避難を急いでください。街道の途中で第三師団が住民の護衛を引き受けますから、将軍と守備隊はそこから西に向かい東ルグニカ平野でノルドハイム将軍の麾下に加わってください」


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