紅瞳の秘預言41 戦風
「……了解した。その方向で指示を出す」
まず、グレンが首を縦に振った。皇帝の側近でもあるノルドハイムが自ら出て来たのであれば、遅参するわけには行くまい。
続けてマクガヴァン翁も頷き、にいと目を細めた。詳しい事情は分からないまでも、覚悟は決めたようだ。
「住民にはすぐに準備させる。ジェイド坊やも急ぐことじゃな。フリングス少将、手伝うてくれ」
「は」
「了解です」
翁の言葉に応える2人を省みること無く、翁は年齢の割には軽い足取りですたすたと部屋を出て行った。ルークがその足取りの軽さに目を見張る。
「あのじーさん、すっげ元気だな……」
「そう言えばあのおじーちゃん、元軍人さんだっけ。お仕事用に身体はしっかり作るから、結構年取っても元気っぽいよ?」
「おまけに、旦那のこと坊やだってさ。さすがだねぇ」
にこにこ笑いながらルークに答えたアニス。その後で肩をすくめたガイの言葉を聞いて、ルークの肩にいるミュウがこきっと首を傾げた。
「みゅみゅ? ジェイドさん、坊やさんですの?」
「お年を召した方から見れば、大佐もまだまだ成長している最中ってことなのよ……多分」
ティアの幾分言葉を濁した説明に、青いチーグルの仔は「そうですの?」と不思議そうな表情を浮かべる。この聖獣にしてみれば成長すると言うことはつまり大人になることであり、以前の会話から既に大人であると理解しているジェイドがこれ以上成長するのはおかしく思えるのだろう。
そのミュウの頭をふわふわと撫でてやってから、アスランはジェイドに向き直った。その端正な顔に真剣な表情を浮かべ、ジェイドにだけ分かるように小さく頷いて見せる。
「カーティス大佐、後はお任せください。セフィロトツリーに関しても、自分から説明します」
ですから、貴方は貴方の望む未来のために。
その思いが届いたかどうかアスランには分からなかったけれど、ジェイドはふわりと柔らかな笑みを湛えぴしりと敬礼をすることで彼の言葉に答えた。
「お願いします、フリングス少将。皆によろしく伝えてください」
「はい、皆さんもご武運を。では、先に失礼いたします」
ジェイドと、そして子どもたちの顔を見渡してもう一度敬礼をすると、アスランは踵を返して走り去って行った。その背を見送ってからジェイドは、同行者たちに振り返る。
「では皆さん。用件は済みましたから、シュレーの丘に行きますよ」
「そーですね。フリングス少将もいるし、セントビナーはおじーちゃんとマクガヴァン将軍に任せておいても大丈夫ですよね?」
アニスの言葉に、ジェイドは微かに頷く。『前回』はセフィロトツリーのことを知らず、更に限界ぎりぎりになってここに来たため、彼と同行者たちは住民の避難を手伝った。だが、『今回』は僅かばかりの時間的余裕とセフィロトの位置が分かっているために、ジェイドはそちらを優先させることにした。
先にシュレーの丘のセフィロトを操作しておき、後でザオ遺跡のセフィロトと連結してこの広大な大陸を一時的に泥の海の上に保持する。『前回』と異なり作動を続けているアクゼリュスのセフィロトとも連結させれば、『記憶』の世界より少しは長く保たせることが出来るだろう。
外殻大地の降下は現在のオールドラントにおいて最大の問題ではあるが、他にも解決すべき問題は山積している。それらをひとつひとつ解決して行くには、少しでも良い。時間が欲しい。
その時間を少しだけれど作ってくれたのは、『前の世界』では妨害にしかならなかった、彼。
「ええ、恐らく大丈夫でしょう。──サフィールは邪魔には来ませんから」
「へ?」
くすりと笑みをこぼしながらジェイドが呟いた言葉に、子どもたちは敏感に反応した。目を丸くしたアニスの横で、ルークが難しい顔をしながら腕を組む。
「そこで、何でディストが来るのさ?」
「え?」
少年に問いを投げかけられて、ジェイドはやっと自分がサフィールの名を口にしていたことに気づいた。眼鏡の位置を指先で直し、ルークたちの視線から自身の表情を隠しつつその答えを教える。答えと言うよりは、『前回』実際に行ったことであるのだが。
「味方になっていなければ、あれが真っ先に邪魔しに来ますよ。私がいますからね」
「……いずれにしろ、大佐にご執心なんですね」
呆れながらティアが溜息混じりに吐き出した言葉を、皆は笑えなかった。
グランコクマの城でサフィールはずっとジェイドにべったり張り付いていて、何も知らぬ者が……いや、知っている者が見ても、男同士でいかがわしい仲なのでは無いかと疑ってしまいそうになる程だった。もっともその疑惑は、サフィールが浮かべていた表情を見ればあっさり霧散してしまったのだけれど。
死霊使いの腕にしがみついていた死神は、まるで大切な宝物を手にした子どものような、無邪気な顔をしていたのだから。
シュレーの丘周辺には、かねてより報告があった通り神託の盾兵士たちの姿が見えた。ただ、彼らは周囲を警戒していると言うよりは出撃の準備をしているようにも見える。セントビナーで動きがあったことが、斥候から報告されているのだろう。
「旦那。どうすんだ? あれ」
「マクガヴァン将軍の部下が監視をしています。程なくあちらにも連絡が行くはずですよ」
難しい顔のガイに、ジェイドは笑顔で答える。そうして、しばらく様子を見ることにした。
やがて、神託の盾の部隊は移動を始めた。兵力がほぼ出払うのを待って、ジェイドは子どもたちを振り返る。
「さ、行きますよ。戦闘の心構えはしておきなさい」
「お、おう」
「はいはい、アニスちゃんにお任せくださ〜い」
1人ぐっと拳を握りしめたルークの緊張した面持ちに、アニスが軽口を叩く。ガイは薄く笑みを浮かべて頷き、ルークと同じように緊張しているティアを見やった。
「俺とルークが前に立つ。君は後ろから、俺たちを守ってくれ」
「え? ……え、ええ」
ガイの言葉に、少女の表情は幾分和らいだ。それでも杖を握りしめた両手からは、余分な力が抜けていない。
自分たちの行動に世界の行く末が掛かっているのだから、当然と言えば当然なのだが。
セフィロトへと続く入口の前には、黒い鎧を纏った巨将が腕を組んで立ちはだかっていた。神託の盾六神将の1人、『黒獅子ラルゴ』。ルークたちの動きを察知し、1人待っていたのだろう。
「お待たせしました」
「来たか」
平然と笑むジェイドをぎろりと睨み付け、ラルゴは腕を解いた。大鎌を片手でぶんと軽く振るい、一歩足を踏み出す。
「ラルゴ、あんた、何で師匠に……」
「何でも何も、俺は主席総長に従うと決めた。それだけだ」
ルークの言葉を、答えにはならないだろう言葉ではね除ける。その前提には預言に妻と娘を奪われたと言う事実が存在するのだが、今この場でラルゴ自身以外にそれを知るのはジェイドしか存在しない。そして、ジェイドはそのことを口にするつもりは無い。ここにラルゴの実の娘であるナタリアはおらず、彼女は未だ自分がインゴベルト王の娘では無いことも知らないだろうから。
ふと、ラルゴの視線がアニスに注がれた。それからルークたちに視線を移し、鋭い目が細められる。
「む? 守護役がいる癖に、導師は連れておらんのか」
「こっちだっていろいろあんのよねー」
訝しむラルゴに、当のアニスはあかんべーで答えた。
現在イオンはナタリアやこちら側に着いた六神将たちと共にシェリダンへと向かっており、その動きを敵対者であるラルゴに知られるわけにはいかない。もっとも、最初から知られているならばそれは意味の無いことなのだが。
ただ、今の反応からするとラルゴは、イオンたちがどこに向かっているのかは知らないらしい。頭の回転の速いアニスはそれを敏感に察知して、にいと一瞬だけ意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ま、それはともかくぅ。そこ通してよ、こっちは用事があるんだから」
「さて……こちらの用事は既に済んでいるのだが、そうそう通す訳にもいかんな」
あくまでも軽い態度を崩さないアニスに対し、ラルゴは冷たく言葉を返す。既に彼の得物たる大鎌は構えられており、戦闘は避けられない情勢だ。それを確認してジェイドは、右の腕から槍を実体化させて取り出した。
「そんなことだろうとは、思っていましたけれどね。貴方は全てに関して真面目過ぎますから」
「知った風な口を聞く」
死霊使いを標的に定めたか、黒獅子の鎌がもたげられる。と、青い軍服を守るように金と朱赤の髪がふわりと舞った。ちらりと肩越しに背後を伺ったのは、海の色を湛えた瞳。
「貴方たち……」
「旦那、前衛は任せてくれよ。ルーク、行くぜ」
「おう、任せとけガイ」
息を飲むジェイドを他所にガイとルークはそれぞれに剣を抜き、前に踏み出して構える。その背後でアニスは背中からむしり取ったトクナガを巨大化させてその背に飛び乗った。
「クロア・リュオ・ズェ・トゥエ・リュオ・レィ・ネゥ・リュオ・ズェ」
そうして、ティアはすうと息を深く吸い込むとフォースフィールドを歌う。淡い光の障壁が、仲間たちを護るようにきらりと展開した。
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