紅瞳の秘預言42 風夢

「……ああ、やはり。グランツ謡将、やってくれましたね」

 故にジェイドは、苦々しげに言葉を吐き出した。ティアが、どこか泣きそうな表情で恐る恐る彼の顔を伺う。

「兄は……何をしたんですか?」
「既に、この下にあったはずのセフィロトツリーは消されています」

 溜息と共に呟かれた問いへの答えに、ティアだけで無く全員が一斉に顔を青ざめさせた。ジェイドは仲間たちの顔を振り返り、説明を加える。急ぎ現在の状況を理解させねば、事態は『記憶』よりも悪化するのだから。

「グランツ謡将には超振動のような強い力は使えませんから、パッセージリングを操作してツリーの構築を停止させたようです。もっとも、セフィロト自体の機能はまだ動いていますから、微妙なバランスで持ちこたえているようですがね」
「下からの支えを外されて、ハンモックみたいな形にぶら下がってる訳か。しかも、その紐がいつ切れてもおかしくない」

 軍人の言葉を受けて、ガイが分かりやすく言葉を紡ぎ直す。それで、ルークやアニスは今自分たちがいる大地の状態をはっきりと把握出来たようだ。ジェイドはガイの説明を「ええ」と肯定し、さらに言葉を付け加えた。

「その上で、セフィロトがツリーを再生させないように弁を閉じ、暗号を書き加えて操作を禁じました」
「げっ」

 ルークの顔が、露骨に歪んだ。ガイがぎりと歯を噛みしめ、ティアが拳を握る。1人意味が分からないらしいミュウの視界の中で、アニスがあわわと両腕を振り回した。

「よ、要するにぃ、このまま何も出来なくて落っこちちゃうかも知れない訳ですかぁ!?」
「そうなるな。暗号を解いて弁を開き直さないと、この辺りまとめてずどん、だ。どっちみち下に落ちるとは言え、その落ち方が問題だな。しかも、今落ちればマルクトの人間だけで無く、攻め込んできてるキムラスカ軍も巻き添えになる」
「はい。被害は甚大なものになります。そればかりで無く、ユリアシティにも残された外殻大地にも影響を与える可能性がある」

 ガイは腕を組み、思考を巡らせながらジェイドと目を合わせる。青年の言葉に頷いて、ジェイドは譜石の文字を指先で辿った。
 ふと真紅の視界に映り込んだのは、朱赤の髪を持つ少年の真剣な、そして心配そうに揺れる眼差し。

「暗号……ジェイド、解除、出来るのか?」
「創世暦時代の音機関は、そのほとんどが第七音素を利用して操作します。ですから、私が第七音素を使えるならば、解除することは可能です」

 ルークの不安げな問いに、ジェイドは素直に答えた。無意識のうちに、左腕を掴んだ右手に力が入る。これで何度、自身が第七音譜術士でないことを悔やんだだろう。
 傷を癒してやることも出来ず、疑似超振動すらも扱えず、セフィロトツリーの再構築すら出来ない愚か者であることを。
 一方。

 だけど、そうしたらジェイドは……確実に死にます。

 ケセドニアの宿で紡がれたイオンの言葉が、ルークの耳の奥に再び響いた。
 ジェイド・カーティスには、第七音素を操ることは出来ない。出来るとすればそれは、彼の生命と引き替えと言うことになる。
 そしてジェイドは、己を死に至らしめるその施術を躊躇うことは無い。ルークは施術を禁止させたけれど、それでこの譜術士が完全に考えを改めた訳では無いだろう。ただ、『我が子』が嫌がるから、やらないだけ。
 ルークとしては、そんなことはさせられない。自身を見守ってくれているこのひとを、死なせたくない。
 じゃあ、誰が出来る?
 彼に出来ないことを。

 ──俺が、出来る。

「……ジェイド」

 胸元で拳を握りしめ、ルークは顔を上げた。決意を籠めた碧の視線が、真紅の視線と絡み合う。

「俺が超振動で、その暗号とか弁とかを削ったら、どうかな? 超振動も第七音素なんだろ」
「ルーク……」

 血の色の瞳が揺れたのは、その言葉が意外だったからでは無い。彼が『覚えて』いる少年の言葉と、あまりにも符合しているが故。だが、そのことにルークは気づかない。気づかないまま、少年は真っ直ぐにジェイドの顔を見つめている。

「ルーク、貴方超振動はまだ!」
「訓練はちゃんとやってる!」

 ティアのたしなめるような言葉に、反射的に返す。これで周囲には、自身がティアに師事して譜術の訓練を受けていることはバレてしまっただろう。だが、それを気に掛けられるほど今のルークに……いや、全員に余裕があるわけでは無い。

「それに、俺はレプリカで……第七音譜術士の端くれみたいなもんだ。身体の音素構成は全部第七音素だし、振動数はローレライと全く一緒だ。出来る……はず、だろ」

 じっと自分を見つめる碧の瞳。『あの時』よりも強くジェイドは、その眼差しを信じようと思った。
 数千の生命を奪うことが無くとも、この少年は何が大切なのかちゃんと理解出来ている。
 そうして、自分がやらなければならないであろうことも分かっている。
 自分が『記憶』を持ったことにより、朱赤の焔に良い影響を与えることが出来た。ジェイドはその結果にほっと息をつき、そうして真摯な視線をルークに投げかける。

「暗号だけを削り取ることが出来るのであれば、何とかなるかも知れません。お願い出来ますか、ルーク」

 それは『記憶』の世界で自分が掛けた言葉と同じだが、きっとそこに含まれた意味は僅かながら違うだろう。ジェイドはルークに、全てを託す覚悟は出来ていた。

「失敗は許されませんよ。ここにいる我々だけで無く、多くの人々の生命が掛かっているんです」
「分かってる。時間が無いことも。だから、やってみせる」

 力強く頷いて、それからルークは無邪気に笑った。もしかしたらこの少年は、自分の5倍の人生を生きている軍人に不安を与えまいとして笑顔を見せたのかも知れない。それほどに、ジェイドの表情には余裕と言うものが感じられなかったのだから。

「指示してくれ、ジェイド」

 空間に描かれた譜陣を見上げた少年の声に、ジェイドは「はい」と頷く。そうして、シュレーの丘を示す第3セフィロトを封じている赤いラインを削るよう、『記憶』と同じ指示を少年に与えた。


 ゆっくりと、だが確実に暗号は削り取られて行った。ルークの手から放たれる超振動はその力を一点に収束し、ヴァンが強力に封じたはずの力を強引にではあるが解除して行く。
 そうして、第3セフィロトの円から赤い部分は消え去った。巨大なパッセージリングを包み込むようにふわりと、光の粒子が舞い始める。恐らくはこの地下に、セフィロトの柱が復活したのであろう。
 その瞬間、ティアを包み込む風景ががらりと変化した。

「!?」

 はっと顔を上げ、慌てて周囲を見回す。たった今まで彼女が立っていた地下空間では無く、そこは広がる青空の下。海が近いのか、潮の香りが僅かに鼻を突く。
 そうして、最後にティアの目に止まったのは青い空に向かいそびえ立つ、高い塔だった。魔界に降り、セフィロトツリーを足元から見上げればこんな風に見えるのでは無いかと思われるほど、その塔は空へと伸び上がっていた。

「……これ、は……」

 ティアはその塔を見たことは無い。だが、頭の中のどこかが理解していた。

「レムの塔……?」

 ユリアシティ以外で唯一魔界に存在する陸地。そこに佇立する、創世暦時代の構造物。それ以外に、世界に該当する建造物は存在しないようにティアには思われた。
 けれど、その塔は薄暗い空にでは無く、青く澄んだ空へと伸びている。かつて、外殻大地が形成される以前にそうであったように。


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