紅瞳の秘預言42 風夢

 ティアが立っているのは、ちょうどその塔の入口へと至る道の途中だった。きょろきょろと周囲を見渡すと、遠くに人の姿を見たような気がした。

「……あれは……?」

 時折強い潮風が吹く中を、フード付きのマントで全身を覆い隠した人物がゆっくりと、こちらに向かい歩いて来る。じっとティアが見つめる中、その姿は鮮明さを増して行く。
 そして、彼の人の髪を覆い隠していたフードを、一陣の風がはぎ取る。瞬間あふれ出たくすんだ金髪は、まるで何年も手入れをしていないかのようにばさばさに乱れ、傷みきっていた。

「──!」

 伏せられた顔からは、彼の表情を伺うことは出来なかった。それでもティアが彼を知っている人だと確信出来たのは見慣れた色の長い髪と、マントが風に巻き上げられることによって視界に入ったやはり見慣れた色の……けれどぼろぼろになっていた軍服を見たから。

「大佐!?」

 悲鳴のように上げられたティアの声に、彼は反応を示さなかった。規則的に脚を動かし、歩むのみ。
 その姿を見てティアは、唇を噛みしめた。これはあくまでも、幻の光景なのだと気づかされたようで。

「大佐……」

 口元を押さえ、じっと自分を見つめているティアの視線には全く気づかないまま、ジェイドは足を進める。その腕の中には、布に包まれた長物を大切そうに抱きしめてられている。時々ふらり、と膝から崩れ落ちそうになりながらそれでも、彼は歩みを止めようとはしない。

 ──済みません。

 唐突に、ティアの心の中に声が流れ込んで来た。
 聞き慣れているはずの軍人の声は、まるで悲鳴を上げ続けた後のようにかすれている。言葉を紡ぐことすら苦痛であるかのように喉を引きつらせながら、それでも彼は声を出すことをやめようとしない。

 済みません、アッシュ。
 貴方が……貴方だけでも戻って来てくれて、嬉しかったのは事実です。

「……え?」

 自身の耳に手を当てながらティアは、彼の声ならぬ言葉に目を見張った。
 彼は、アッシュに対して『貴方だけでも』と呼びかけている。
 それではまるで、誰かが帰って来なかったと言っているようでは無いか。

「一体、これは何なの? 私は、何を見ているの?」

 己の顔を抱え込み、少女は叫んだ。その答えが返って来るはずが無い、と言うことにも気づかずに。

 私は、あの子を救いたい。
 あの子に、生きて欲しい。

 彼の言葉は、風にも解けること無く紡がれる。短い言葉の1つ1つが、ティアの心の中にさくり、さくりと針を刺すように突き刺さる。
 この痛みは自分が感じているものでは無く、ジェイド自身の心の痛み……ティアには、そう感じられた。

 代わりに、私が死ねば──それで、許してくれますか?

 塔を見上げた彼の端正な顔には、はっきりと譜陣が刻まれていた。
 それでも、その人はとても幸せそうに微笑んで──こふりと、血を吐いた。

「──たい、さ」


「どしたの? ティア」
「え?」

 不意に届いたアニスの声が、ティアを現実に引き戻す。
 目を見開いた彼女の周囲に広がるのは、元の風景だった。パッセージリングが淡い光を放ち、中空に浮かんでいる譜陣の中にあるシュレーの丘を示す円から赤いラインはほぼ消し去られている。そうして、自分たちに背を向けるようにして朱赤の髪と、青い軍服が見えた。
 いつものようにぴしりと着こなされた青の上に、手入れの行き届いた長い髪が流れている。それが、ティアが先ほどまで見ていた光景が幻であることを証明していた。それにほっと胸を撫で下ろし、自身を見つめる黒髪の少女に頭を振って答える。

「あ……いえ、何でも無いわ」
「そぉ? なら良いんだけどさ、顔色悪いよ?」
「え、ええ、大丈夫。ちょっと心配だっただけだから」
「そっか」

 ティアの顔を覗き込むように見上げていたアニスだったが、そう答えるとほっとしたように微笑んだ。長く共に旅をしている友人が顔色を悪くしていれば、それは気になるものだろう。それも、ユリア式封咒の解除と言う1つの作業を成し遂げた直後なのだから。
 2人が微笑み合い視線を上げたところで、ガイの声が響いた。

「よし、終わったみたいだな」
「……で、出来たぁ……」

 はっとティアが視線を向けると、ルークは掲げていた腕を下ろしてふうと大きく息をついていた。その背中を、ジェイドがさすってやっている。シュレーの丘の円形から、赤い色は全て消されていた。
 振り返ったジェイドの顔を、ティアはつい凝視した。幻の中で彼の顔に刻まれていた譜陣がそこに存在しないことを確認し、もうひとつ息をつく。

「終わりました。応急処置ではありますが、この下のツリーは再構築されました。これでしばらくの間は保つはずです」

 見慣れた笑顔で仲間たちに言葉を投げかけ、それからジェイドはルークの顔を覗き込んだ。豊かな赤い髪を軽く撫でながら、やんわりと声を掛ける。

「お疲れさまです。大丈夫ですか? ルーク」
「な、なんとか……けど、これ結構疲れるな」
「かなり精密な制御が必要ですし、失敗が出来ないと言う心理的疲労も重なりますからね」

 己の二の腕を揉みつつ答えた少年に頷いて、その背に手を添える。寄り添って戻って来た2人の足元に、それまでじっと息を潜めて待っていたミュウがとことこと駆け寄って行った。

「みゅう! ご主人様、ジェイドさん、頑張ったですのー!」
「私は指示しただけですよ。頑張ったのはルークですから、彼を褒めてあげてください」

 くるくる回るチーグルの仔にそう言って、ジェイドは空色の身体を拾い上げるとルークの肩に乗せてやった。みゅうみゅう鳴きながら頬をすり寄せてくるミュウを、ルークは「うぜーよお前」と悪態をつきながらもふわふわと撫でてやる。少年と聖獣の和やかな様子に幸せそうに微笑んでからジェイドは、改めて同行者たちに説明を行った。今回このセフィロトで行った操作は、『記憶』の時とは微妙に細部が異なっている。それを自ら再確認する意味で、この軍人は言葉を紡ぐ。

「ここのセフィロトとザオ遺跡、それからアクゼリュスのセフィロトを連結させました。これで、しばらくの間この地域は保たせることが出来るでしょう。後はまだ起動していないザオ遺跡のセフィロトに向かい、起動させた上で封印を解き、降下の指示を与えます」

 空間に浮かんでいる譜陣を辿るように、指を動かす。シュレーの丘の第3セフィロト、ザオ遺跡の第4セフィロト、そしてアクゼリュスの第5セフィロトを結ぶように超振動で刻まれた線が結ばれ、淡い光を放っている。


PREV BACK NEXT