紅瞳の秘預言43 展望

 そこかしこで譜業の作動音が響くシェリダンの街中を、音機関の部品を携えた職人たちが騒がしく行き交っている。キムラスカ対マルクトの開戦直前と言うこともあり、主にキムラスカ軍の譜業兵器に関わる作業が増加しているのが原因だ。無論マルクト側の作業もあるにはあるのだが、地理的状況もありそのほとんどがキムラスカ側に割かれている。
 そんな中、集会所の扉をノックする音がした。中で作業の手順を詰めていた技術者たちの内、いち早く気づいたタマラが重い腰を上げる。

「はいはい。お客さんかしら?」

 扉を開くと、深みのある緑の髪が老女の視界に入る。その髪の持ち主である少年は、どこか殺気立っている音機関の街には似つかわしくない穏やかな笑顔で挨拶の言葉を口にした。

「こんにちは。アルビオールの方は進んでいますか?」
「おや、イオン様。いらっしゃいまし」

 タマラの顔から険が取れ、孫を見るような笑みを浮かべた。視線を上げるとイオンの隣には金の髪の王女が、そして2人を守るようにアッシュとアリエッタがその背後に立っている。いずれも以前見た顔であると、タマラははっきりと覚えていた。ただ、その人数は前に彼らがこの街を訪れた時よりも少ない。そのことを、老女は何気なしに指摘した。

「お連れさん、数が減りましたねえ」
「事情がありまして、別行動を取っております」

 ナタリアが、ごく当たり前のように答えの言葉を口にする。「なるほど」とタマラは小さく頷いて、それから扉を大きく開いた。

「ま、立ち話も何だし中へどうぞ。イエモン、アストン! イオン様と姫様がお越しだよ!」

 老女が建物の奥へと飛ばした怒鳴り声は、年齢よりもずっと若く張りのあるものだった。

 集会所の中は、真紅の焔たちが前回訪れたときよりも書類や部品が増え、雑然としていた。程無くやって来たイエモンとアストンは、イオンの顔を見るとにいと満足げに眼を細める。

「お早いお帰りじゃの。わしらの翼を身請けに来たんかね? イオン様」
「ええ。と言うことは、完成したんですか?」

 イエモンが口にした『身請け』と言う言葉の意味を把握したのか、イオンは明るい顔で尋ねる。にんまりと自信満々の笑みを浮かべ、アストンが拳で自分の胸を叩いた。

「上々じゃよ。1号機の試験飛行も例の大佐殿が忠告してくれたおかげで存外上手く行ったし、2号機も組み上がった」
「メジオラ突風か?」
「そうなんですよ。あれに慣れておかないと、この近辺を飛ぶのはきついですからねぇ」

 ジェイドの言葉を思い出し、アッシュが口にした単語にタマラが頷いた。ジェイドの持つ『記憶』の世界で、その風に巻き込まれたギンジとアルビオール1号機が危機一髪の状態に陥ったことは、この場に存在する全員が知らぬことだ。
 イエモンが顎を撫でながら、少々不機嫌そうに眉をしかめた。小さく溜息をつき、「じゃがのう」とタマラの言葉に続く。

「今の状態だと、アルビオールは1号機しか飛ばせん」
「どうして?」

 端的な言葉に、端的な問いが発せられる。その言葉を口にした桜色の髪の少女に視線を向け、答えを紡いだのはアストンだった。

「飛行譜石じゃよ。1号機用の譜石はとうに立ち上がっておるんじゃが、2号機用の立ち上げにもうしばらく掛かるでな」

 はあ、とつかれる溜息は大げさでは無い。空を飛ぶ手段に乏しいこの世界にあって、古き文明が遺した飛行譜石は貴重な存在である。故にその数は少なく、現在所在が判明しているものはこのシェリダンにある2つのみ。そのうち1つが未だ起動されていない、と言うことはつまり、イエモンの言葉の理由になる。

「創世暦時代のものでしたわね……それが無いと、アルビオールは飛べないのですわよね?」

 以前イオンから受けた説明を思い出しつつ、ナタリアが呟いた。眉をひそめ、口元に手を当てながらイオンが思考を巡らせる。

「その間に、ヴァンに来られたら困りますね。空を飛ぶ譜業機関、彼にとっても喉から手が出るほど欲しいものでしょうし」
「向こうの手に落ちたら、最悪グランコクマ強襲にでも使われかねん。いくら強固な要塞都市とは言え、空からの攻撃にはどうしても弱いはずだ」

 こちらも露骨に顔を歪め、吐き捨てるようにアッシュが言う。ヴァンの最終目的がマルクト滅亡にあるわけでは無いが、己の前に立ち塞がる敵対者としてマルクト帝国は最大の勢力だ。その排除に動かないと言う確信は出来ない。

「冗談じゃ無いですよ。あたしたちの翼を、くだらない戦争に使われてなるもんですかい」

 憤慨の感情をぶつけるようにタマラは、手に持っていた書類をテーブルの天板に叩きつけた。勢いで僅かに散らばる書面をそのままに、室内はどこか重苦しい雰囲気に包まれた。

「遅くなりました。おや皆さん、暗いですねぇ」

 その雰囲気には似合わない、独特のしゃがれた声が流れる。同時に開かれた扉からするりと入り込んで来たのは、『譜業による空中移動』をいち早く実現したサフィール・ワイヨン・ネイスその人。ジェイドたちと別れキムラスカ領を訪れた彼は、今の今までこの場には姿を見せていなかった。

「ディスト……あ、いえ、ネイス博士」
「てめえ、ベルケンドに何の用だったんだ?」

 どうやら呼称を変えることに決めたらしいナタリアと、不機嫌なままのアッシュの声にサフィールは僅かに肩をすくめ、椅子の高度を真紅の焔の肩程度まで降ろす。やたらと上機嫌に見える銀髪の科学者の表情が、この場にはあまり相応しくない。

「ちょっとね。やっと肩の荷が下りたところなんですが、皆さんはどうしたんです?」
「ええ。2号機用の飛行譜石が、まだ使える状態では無いんだそうです」
「……飛行譜石ですか」

 イオンが口にした言葉に、サフィールはふむと顎に手を当てた。程無く動いたレンズ越しの視線は、老技術者たちに向けられている。

「それさえ何とかすれば、アルビオールは2機使えるんですね?」
「うむ。既に機体は組み上がっておるでの」

 彼の問いに、アストンは深く頷いて自信満々の答えを返す。その表情を確認して薄い笑みを浮かべたサフィールは、自身の手を軽く打ち合わせた。

「なるほど。ちょっとお待ちなさい」

 彼の言葉と共に、浮遊椅子が音も無く着地した。サフィールは椅子から立ち上がり、今まで自分が腰を下ろしていた座面をひょいとふたを開くように持ち上げる。いくつかの部品を取り外した後、彼はゆっくりと1つの箱を取り出した。

「はい、どうぞ」

 笑顔のサフィールから箱を手渡されたタマラは、訝しげに顔を歪めながらその中を確かめて、目を見開いた。思わず眼鏡の位置を直し、まじまじと内容物を確認する。

「これは……飛行譜石!?」
「何じゃと?」
「……本当じゃ」
「…………おい、ディスト」

 同僚の言葉にアストンとイエモンが慌てて駆け寄り、箱の中を覗き込む。呆れた顔で睨み付けるアッシュの視線を全く意に介さず、サフィールはどうだと言わんばかりに腕を組んだ。

「どうぞ、お使いください。アルビオールに組み込むものと同型ですから、そのままで大丈夫なはずですよ」
「確かにそうじゃけど。ディスト様、あんたこんな大事なもんを私物化してたんかい」
「む。良いじゃないですか、役に立ったんですし」

 アッシュ同様、呆れの表情を隠しもせず半眼で睨み付けて来たアストンの視線は、彼にはさすがに少々痛かったらしい。大人げ無く頬を膨らませ、ぷいと顔を逸らしてサフィールはぶつぶつと呟いた。


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