紅瞳の秘預言43 展望

 その子どもっぽい感情表現に、タマラは苦笑を浮かべる。そうして2人の同僚と視線を交わすと、大きく頷いて見せた。必要なものは手に入った……ならば、ここからは技術者の領分だ。

「確かに。んじゃひとっ走り、2号機に取り付けて来ますよ。少し時間をくださいな」
「はい、お願いします」

 イオンの言葉が号砲代わりになったのか、老人たちは弾かれたように部屋を飛び出して行く。その、一瞬にして数十年を若返ったかのような彼らの後ろ姿を見送って、アリエッタは人形をぎゅっと抱きしめながらサフィールの顔を見上げた。

「ディスト、空飛ぶのにあの譜石、使ってたの?」
「あれが一番楽なんですよ。1から自分で作れなくも無いんですけど、そうすると手間が掛かりすぎちゃって」

 ぺろと出された舌は、彼が公共物であるはずの譜石を私物化していたことに対する罪悪感が無いことを意味している。それに気づき、さすがのナタリアも小さく溜息をつくしか無かった。

「……本気で好き放題なさってたんですのね、ネイス博士」
「当たり前じゃ無いですか。私は自分のやりたいことをするためにダアトに行ったんですから」

 そして、自分の守りたい人を守るためにマルクトに戻ったんです。
 そのためなら、今まで貯め込んだ蓄えも知識も全部、吐き出して見せますよ。

 その言葉にも、思いにも、罪悪感と言うものは一欠片も見受けられない。サフィールと言う名のこの人物が罪悪感を持つとすれば、それは真紅の瞳を持つ幼馴染みに対してだけだろう。
 故に彼は平然と笑みを浮かべたまま、同行者たちの顔をくるりと見渡した。この場にジェイドがいない今、彼らを導くのはジェイドから『記憶』を伝えられた自分の役目だとサフィールは心得ている。

「さて。2機同時に飛ばせるのなら、ここからまた二手に分かれましょうか」
「どうして?」

 至極当然のように彼が口にした提案に対し、アリエッタは無邪気に尋ねる。ジェイドの仕草を真似て軽く眼鏡の位置を直し、サフィールは細い人差し指をぴんと立てた。

「そろそろセントビナーの地盤沈下が酷くなってるでしょうからね。片方は大至急、そちらの避難補助に向かって貰いたいんですよ。あすこの住民代表、年食ってるせいか頑固でなかなか動きませんし」
「頑固の度合いなら、てめえも大したもんだがな」
「私もそこそこ年寄りですから」

 説明につい一言多く付け加えてしまうのは、サフィールの性分とでも言おうか。呆れ顔のままぼそりと呟くアッシュにさらりと答え、癖の無い銀髪を軽く掻き上げた。共に旅をするようになってからいつも真紅の焔の隣に姿がある金の髪の王女が、2人を見比べつつ疑問の言葉を紡ぐ。

「もう片方は、どこに向かうのですか?」
「多分、ジェイドたちはシュレーの丘に行ってると思います。彼らを迎えに行って、その後セントビナーを手伝いましょう。それが済み次第、ザオ遺跡へ向かうのが最良かと」

 ジェイドの知る『記憶』とは順序が異なるが、今の状況ではそう動くのがベストだろうとサフィールは計算していた。
 いずれ魔界へと落ちるセントビナーとその周辺地域を安定させるためにはシュレーの丘のセフィロトを起動させなければならないし、さほど時間を置かずに落着するであろうマルクト領の大半が魔界で存続するためには更にザオ遺跡のセフィロトを作動させ、シュレーの丘と動作を同調させる必要が生じる。『今回』はアクゼリュスセフィロトも稼働を続けているため、そちらとも同調させれば更に安定するだろう。
 『前回』よりも良い未来を願うジェイドの思いに答えるためには先んじてそれらのセフィロトを動かし、人的被害を最小限に抑えた状態で大地を魔界に落着させれば良い。ルグニカ平野もまとめて降下させれば、例え二国間の戦争が開戦していたとしても両軍共に混乱を起こすだろう。そうなれば、戦どころでは無くなる。
 ディバイディングラインを越えた時点で、大気には障気が多く混じる。視界も環境も悪化し、互いに首都との連絡が不可能になる。キムラスカ・マルクト両軍の指揮官は戦闘続行よりも、部下の統率や巻き込まれた民間人の安全を第一に図るはずだ。
 この場合問題となるのはモースやヴァンの部下である神託の盾騎士団だろうが、さすがの彼らも常態復帰には時間がかかるだろう。その前にキムラスカの上層部を説得し、停戦に持ち込むことが出来れば良い。

 ま、モースはナタリア王女の素性をぶちかまして戦闘継続を図るでしょうけどね。
 あのデブガエル、今からとっちめる算段を考えておきますか。

 思わず脳裏に大詠師の顔を描いてしまい、表情を歪めたサフィール。その表情変化には気づくこと無く、ナタリアはアクゼリュスでの体験を思い出しながら彼に尋ねる。

「セフィロト……大佐が操作をしてくださったのですか?」
「多分ルークだと思いますよ。ジェイドには創世暦時代の音機関は動かせませんから。私も出来ませんけど」
「当時の音機関の多くは……セフィロトを封じていた3種の封咒もそうなんですが、発見されて間も無い第七音素を主な動力源として使用していたようなんです。ですから、第七音譜術士で無ければ操作は出来ません」

 肩をすくめて王女の疑問に答えたサフィールの言葉を引き取り、イオンが説明する。「まあ」とたおやかな手で口元を押さえたナタリアの視線は、名が出た少年の元となった青年に自然と向けられた。

「ティアも第七音譜術士だが、それよりはあいつの方が相性が良いだろう。いざとなればローレライを引きずり出して手伝わせれば良いことだ」
「そうですわね。ティアには、ユリア式封咒の解除もありますものね……」

 アッシュの言葉に、王女は納得したようにゆっくりと頷いた。それから科学者に視線を戻し、その真意を問うように視線を強める。

「それで、ザオ遺跡に行った後はどうするんですの?」
「あすこのセフィロトを、シュレーの丘のセフィロトと接続させます。アクゼリュスと違って広大なエリアが崩落の危機ですからね、複数のセフィロトの動作を同調させてあの辺を一気に降ろします」

 外殻大地に見立てるように掲げた掌を下に向け、水平に保ったまま降ろす。にっと薄い唇を引き、サフィールは改めて同行者たちの顔を見渡した。「すごーい」と目を丸くしているアリエッタの頭を撫でてやりながら、アッシュが口を出して来る。

「しかし、ザオ遺跡はキムラスカの領土だろう。しかも砂漠の中だ」
「だから空飛んで行くんですよ」

 青年の言葉に、ずばりと一言で応えた。そこから、人差し指をくるくると回しつつ滔々と説明の言葉を紡ぎ出すのは、サフィールの得意とするところである。もっとも、その説明はいつものように一言多いのだけれど。

「今の状態じゃまだ砂漠には降りられないと思いますけど、少なくともキムラスカ軍の目はごまかせます。ま、最悪アリエッタの友達総動員でアクロバットでもやりますかね。砂漠の魔物に食われても何ですし」
「キムラスカはごまかせても、ヴァンに気づかれないとも限らんからな」

 だが、今回のサフィールの説明にはアッシュも納得したようだった。腕を組みつつ彼が頷いたのを見て、ナタリアが僅かに首を傾げる。名を出されたことで、かの男のことを今更ながらに思い出したのだろう。

「そう言えば、グランツ謡将は今何をなさっているんでしょうか? グランコクマでは、あまり情報は手に入りませんでしたし」
「私と入れ替わりでベルケンドに入りました。あの音機関研究所は拠点の1つですんで、腰を据えるには最適なんでしょう。ファブレ公爵の領地ですから、バチカルの情報もいち早く届きますし」

 金髪の王女の疑問にすら、銀髪の学者はさらりと答えを提示して見せる。もっとも、これもやはりジェイドの『記憶』の情報を得たことであらかじめヴァンの行動を予測していたからこそ。そうで無ければサフィールは今頃、ヴァンの手に落ちていたか……あるいは既に、この世の者では無かったかも知れない。
 真紅の焔が自身に向けた視線に気づき、サフィールは「何でしょう?」と青年の顔を見つめる。アッシュの表情に多少不機嫌さが漂っているのは、自身の知らぬ間にこの同僚が様々な策略を巡らせていることが気に食わないのだろう。

「まさかてめえ、見つかってねぇだろうな?」
「大丈夫だと思います。これでも、かくれんぼはそこそこ得意な方でして」
「本当ですか? 子どもの頃の経験とおっしゃるのでしたら、カーティス大佐やピオニー陛下がお相手だったのでしょう?」

 肩をそびやかせながらアッシュに答えたサフィールに、ナタリアは純粋な疑問として彼の幼馴染みの名をぶつけて来た。途端、細く整えられているサフィールの眉が露骨に釣り上がる。




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