紅瞳の秘預言43 展望

「あの2人、探し方が乱暴なんですよ。隠れてる場所を譜術で吹っ飛ばしたり木の幹を蹴り飛ばしたり、おかげで何回雪に埋もれて死にそうになったか! んもー、根性悪の腹黒コンビだったんですからー!」

 両手の拳をぶんぶん振り回し、むきーと怒りを前面に押し出してまくし立てるサフィール。その様子は改心前の『死神ディスト』そのままで、人間そう容易く変化はしないものだと一同を納得させた。そして、彼の幼馴染みであった2人は子どもの頃から良い性格だったのだ、と言うことも。
 ただ、ピオニーはともかく現在のジェイドは腹黒い性格か、と問われると全員が首を傾げてしまうのだが。

「それ、探す……じゃないと思う」
「……まあ、そうでもしなきゃ見つからないように隠れることは出来た、と取っておきましょう。ね?」

 その中にあってほとんど表情を変えなかったアリエッタの溜息混じりの言葉と、冷や汗をかきつつ彼女に続いたイオンの言葉でその場は収まった。サフィール自身、さすがに大人げないと思ったのか腕を降ろしている。

 と、そこへ老技術者たちが早足で戻って来た。3人ともが、やり遂げた感のある良い笑顔を浮かべている。少し汚れの増えた作業服が、彼らの手がけた仕事を物語っていた。

「イオン様、ディスト様、譜石の取り付け終了しましたよ」
「ありがとうございます。さすがに早かったですね」

 微笑みながら礼を言うイオンの横で、アリエッタもぴょこんと頭を下げる。サフィールは眼鏡の奥の目を細めると、3人に向き直った。

「これで2機体制、と。念のため伺いますが、操縦士は2人いますよね?」
「ああ、うちの孫どもが訓練をしておるが。まとめて飛ばすのか?」

 技術者の孫2人が操縦技術を持っているはずです。ギンジとノエルと言う兄妹ですが。

 イエモンの返答にジェイドの言葉を思い出し、満足げに頷く。それからサフィールは、同行者たちにした説明を簡略化して老人たちにも伝えることにした。

「片方はセントビナーに向かっていただきたいんですよ。地盤沈下が酷くなってまして、そろそろ避難を完了させないとえらいことになりますから」
「ホドやアクゼリュスのようになる、と言うのか?」

 アストンが渋い顔で問うのに、サフィールは「ええ」とどこかつまらなそうな表情で答える。この銀髪の男にしてみれば、親友やその同行者たちの努力によりアクゼリュスは今も魔界で健在なのだ。大地ごと既に存在しないホドと一緒にされては面白くない。
 それを口に出すほど、子どもでは無いけれど。

「戦場になる可能性もあったんで女性や子どもたちは前もってケセドニアに脱出したようですけど、まだ住民が結構残ってまして」

 だからサフィールは、目的となる街の状況を説明するに止めた。今優先すべきは、その街に住まう住民たちの被害を最小限に抑えることなのだ。

 だって、被害が大きくなればなるほどジェイドは悲しむんですから。

「なるほどねぇ。もう片方はどうなさるんで?」
「そんなに離れて無いんですけど、ジェイドや彼の同行者がシュレーの丘にいます。キムラスカ戦の巻き添え食わせる訳にも行きませんし、早めに迎えに行きたいんですよねぇ」

 タマラの問いにも用意してあった答えを述べる。肩を揺すりながら微笑んだサフィールの表情を見て、しばし考え込んだ後イエモンが大きく、覚悟を決めたように頷いた。

「ふむ……分かった。お前さんの好きに選んでくれ、ギンジもノエルも、立派に操縦士としての務めを果たすはずじゃ」
「お預かりします。で、私シュレーの丘に行きますけど、皆さんはどちらを選びますか?」

 当たり前のように友人がいるはずの場所を選んだサフィールに、技術者たちも含め全員が苦笑を浮かべた。


 ほんの少し時間を遡った、ベルケンドの第一音機関研究所。
 しんと静まりかえった研究室の中、スピノザは操作盤を叩き続けていた。モニターに浮かび上がるグラフや表に素早く目を通しながら、いくつものキーを押し込んで行く。
 暫しの間動き回っていた老人の指が、ぴたりと停止した。じっと画面を睨み付けている彼の目が、険しく細められる。

「……むう……わしでは、ここまでが精一杯かの……」

 ぎりと握りしめた拳が、小刻みに震える。自身の専門では無い研究は、どうしてもその専門分野を極めた研究者で無ければ越えられない壁にぶつかっていた。
 一瞬、ふわりと流れた空気が背後の扉が開いたことを彼に教えた。するり、と入り込んできたのは宙に浮かぶ譜業椅子。その上で、銀髪の科学者が薄い笑みを浮かべながら細い足を組んでいる。膝の上には何の書類であろうか、ブリーフケースが1つ載せられていた。

「失礼しますよ。スピノザ、お久しぶりです」
「なっ……ディ、ディスト様!?」

 研究者の顔色がざっと変化する。慌ててモニターのスイッチを切ろうと伸ばした腕を、ひょいと椅子の上から伸びた手が捕まえた。点灯したままの画面に素早く視線を走らせて、サフィールはにんまりと笑みを浮かべる。『サフィール』が浮かべる落ち着いた笑みでは無く、『死神ディスト』の冷ややかな笑みを。

「ふうむ、研究は進んでいるようですね」
「な、何のことですかな? わしは……」
「ジェイドに頼まれてるんでしょう? 知ってますよ。私も頼まれていますからね」

 だからごまかす必要は無い、と言うことを言外に含ませる。スピノザの腕を放すと、サフィールは肘掛けで頬杖を突きながら傲慢な態度で命じた。その方がヴァンの恐怖に怯えているこの男は動かし易い、そう考えて。

「スピノザ、レプリカルークの身体検査データがありますね? 出しなさい」
「む……こ、これじゃ」
「ありがとうございます」

 冷たい視線に怯みながらも老科学者が差し出した数枚の書類をやや乱暴に奪い、素早く目を通す。最初は鋭かった視線がさほどの時間を経ずに柔らかく変化する様に、スピノザは声も無く立ち尽くしていた。
 やがて書類から目を離し、サフィールが顔を上げた。その表情は六神将のディストから、ジェイドの親友であるサフィールのものに戻っている。

「……良かった。ジェイドに、吉報を届けられそうですね」

 ほっと一息つきながらそんな言葉を口にして、サフィールは自分の膝に置いてあったブリーフケースを取り上げた。中から概要を記したと思しき数枚の紙を取り出し、ケースごとスピノザに押し付ける。

「これは、同じ事象における私の研究結果です。念のため、データ検証をして貰えますか?」
「わ、わしがか?」
「他に誰がいるんですか」

 思わずケースを受け取ったスピノザだったが、サフィールの意図を理解できずその顔を伺う。薄い笑みを浮かべているその表情は、科学者に有無を言わせぬほど鋭い。

「さっさと検証してください。概略ならすぐ見当が付くでしょう」
「……わ、分かった」

 急かされるままに、概要に目を通すスピノザ。しばらく視線を走らせていたところで、何かに気づいたようにはっと目を見張った。紙を持つ手に、思わず力が入る。

「む、これは……なるほど、そうじゃったか!」
「──どうです?」

 一通り概要に目を通し終わったと見て、サフィールが声を掛ける。それでやっと意識を現実に引き戻したスピノザは、書類を操作盤の上で揃えながら大きく頷いた。

「精密な検証には時間が掛かるが、概ねこの線で進めれば問題は無いはずじゃ。やはり、専門家のディスト様ならではじゃな」
「途中まではジェイドの研究結果なんですよ。ま、それはともかく助かりました。どうにかなりそうですね」

 結果報告を受け、心底嬉しそうな笑顔を見せるサフィール。組んだ手の上に顎を乗せて、すっかり上機嫌である。その表情のままで眼を細めながら、スピノザに依頼と言う形の命令を下した。

「詳細検証は貴方にお任せします。やっていただけますよね?」
「うむ、承知した。終了次第、データをまとめておこう」
「お願いしますよ。隙を見て受け取りに伺いますんで」

 スピノザの方も、進まなかった研究が前進すると言う点においてその命令を拒否する理由は無い。故に頷き、渡されたブリーフケースをぽんと叩いた。その仕草を見て、サフィールは譜業椅子の高度を少し上げる。

「さて、私は忙しいんでそろそろおいとまします……ああ、そうそう」

 ふと何かを思い出したかのように、その動きが止まる。何事かと視線を向けたスピノザを見下ろして、どこか彼らしくもない言葉を吐き出した。

「い組のヘンケンとキャシーが、貴方と話をしたいようですよ。主席総長が街を離れてからで構いません、会いにお行きなさい」
「な……」


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