紅瞳の秘預言43 展望

 ベルケンドのい組。
 シェリダンのめ組と並び立つ、オールドラント屈指の技術者集団である。かつてはスピノザもその一員であったのだが、フォミクリーに興味を持ったことで彼は友人たちと袂を分かつこととなってしまった。それは今でも、スピノザの心に傷を残している。

「貴方が長年の友人を取るか、主席総長を取るか……それは貴方次第です。ですが、友情を取り戻したいのであれば少しくらい、力を貸しますよ。私もかつては貴方と同じように、友人と道を違えていましたからね」

 興味深げな視線が、老科学者を射抜いている。それなりに長く生きているとは言え、スピノザと比べればまだまだ若い自分に出来たことをこの老人が出来るのであろうか、と探りを入れているようだ。
 それに気づかぬふりをしてスピノザは、サフィールに問いを投げかけた。

「……ディスト様。何でわしに、そのようなことを? バルフォア博士が望んでおるからか?」
「ええ、当然です」

 あっさりと返された答え。それがオールドラントの真理である、と言わんばかりにサフィールは胸を張り、言葉を紡ぐ。

「レプリカルークを長らえさせるのも、貴方の身の安全を図るのも、全てはジェイドが喜ぶからです。ジェイドを悲しませたく無いからです」

 友と道を違えたのも、自身の研究を完成させることでその友を喜ばせることが出来るのでは無いかと考えたため。その考えが間違いであることに気づかされたからこそサフィールはダアトを離れ、かつて捨てた祖国に死を覚悟で舞い戻った。

「世界が滅べばジェイドも死にます。私はジェイドに幸せに生きて欲しいんですよ。そのためにはスピノザ、貴方の裏切りは許しません。貴方の考えなんか知ったこっちゃありませんが、もし貴方がジェイドを裏切るようなことをしたら……そうですね、死んだ方がマシだって人生を送らせて差し上げます」

 それほどの覚悟を決めたサフィールだからこそ、スピノザに対しても同じく覚悟を決めるよう迫った。以前この街を訪れたジェイドが彼に投げかけた願いを、砕かせるわけにはいかないから。

「…………それは脅迫、と取って良いかの?」

 対してスピノザが口に出来たのは、重苦しい口調で吐き出されたこの一言だけだった。その苦悩には目をつぶり、銀髪の科学者はにんまりと笑みを浮かべた。
 後は、当人の意思ひとつで全ては決まるのだから。

「主席総長に従わない理由になるのでしたら、解釈はご自由に。では、私はこれで」

 ひらひらと手を振るサフィールを乗せた椅子が、音も無く動き出す。あっと言う間に部屋を出て行く姿を見送り、スピノザはぽつりと呟いた。

「……ヴァン様と、ディスト様……か」

 ヴァン・グランツ。
 死神ディストこと、サフィール・ワイヨン・ネイス。
 2人の人物像を脳裏に描き、比較しながらスピノザは、サフィールから手渡された資料をどこにしまおうかと考えていた。この資料の存在がヴァンに知られてしまっては、あの朱赤の焔に余計な危害が加えられないとも限らない。研究一辺倒の人生を送って来たスピノザではあったが、ルークと言う名を与えられたあの少年にはどこか自身の孫に対するような感情を持っている。
 もう一度会いたいものだ、と老学者はそんなことを考えながら鍵付きの引き出しに手を伸ばした。


 結局のところ、シュレーの丘にサフィールと共にジェイドを迎えに来たのはアッシュとナタリアだった。イオンはアリエッタを伴い、一足先にセントビナーに降りてマクガヴァン翁に説明をすることになっている。キムラスカの王族よりも、ダアトの導師の方が信用されやすいだろうと言うのがその理由だ。
 アニスはトクナガの調子を見て貰うべく、「私はジェイドと一緒が良いんです!」とわめき散らすサフィールを「時間が惜しいんじゃ、ボケェ!」とばかりに倉庫に引きずって行った。ガイはちゃっかりギンジの隣に席を取り、彼の操縦と音機関の数々を食い入るように見つめている。ティアは席に座り、外の光景をまじまじと眺めていた。ジェイドもまた『久しぶり』に見る光景を、ぼんやりと真紅の瞳に映し出している。
 倉庫に移ったアッシュから「一度、空から世界を見ておけ」と押し付けられた席に腰を落ち着けて、ルークもまた暫しの間初めての空中旅行を楽しんでいた。が、しばらくして立ち上がると側の席に座っているジェイドに「なあなあ」と話しかけた。珍しい光景に飽きた訳でも無いだろうが、少年にしてみればそれよりも気になることがあったから。

「何でティアに障気フィルター付けさせたのか、その説明してくれる約束だったよな? ジェイド」

 アルビオールの起動音はさほど大きくは無いが、少し離れると通常の会話は聞き取りにくくなる。それを知ってか知らずか、ルークはティアの方をちらちらと気に掛けつつも彼女に声を掛ける気は無いようだ。彼は彼なりに、ティアを気遣っているのかも知れない。

「ああ、そうでしたね。少し難しい話ですが、ついてきてくださいよ」
「うぐ……努力する」

 少年のその様子に気づいたのか苦笑を浮かべるジェイドの言葉に、露骨にげんなりした顔をしながらそれでもルークは頷いた。
 少年の言葉を伴わない返答を確認し、ジェイドは一度瞼を閉じた。再び覗かせた真紅の瞳でルークを見つめ、言葉を紡ぎ始める。

「……アクゼリュスで確認が取れたのですが、ユリア式封咒を解除する時にティアの体内に、セフィロトから放出されている第七音素の一部が取り込まれます。恐らくは生体認証の類だと思うのですが……その第七音素に、障気が吸着しているものが含まれているんですよ」
「え?」

 障気と言う単語に、少年は敏感に反応した。
 現在はまだあまり知られていないことだが、障気と言うものは震動する地核から記憶粒子と結びつきつつ噴出している。セフィロトから吹き出しているプラネットストームにもそれは含まれているのだが、その事実を知らぬまま創世暦時代の人々は外殻大地を構築し、障気をその地下である本来の大地……即ち魔界に封じ込めた。
 プラネットストームはともかくとして、魔界に充満している障気は外殻大地を支える力の1つとなっているディバイディングラインの圧力により、外殻大地へ漏れ出すことは無かった……16年前、ホドセフィロトの機能停止によってその力のバランスに狂いが生じるまでは。
 そう言った説明をしてやると、ルークは腕を組んで「なるほど」と頷いた。小難しい理屈は理解出来ずとも、これまでの経験が彼には知識となって積み重ねられている。それを元に思考を巡らせるのは、幼い故に柔軟な頭脳を持つ少年にはさほど難しいことでは無い。

「で、ホドが落っこちてその圧力が弱くなったから、こっちにも障気が出て来るようになっちまった……ってことか」
「ええ。そう言うこともありますので、念のためティアには障気フィルターを付けて貰ったんです。譜歌を歌うことで、セフィロトツリーから放出される記憶粒子を取り込む可能性がありましたからね」

 言葉を一度切り、ポケットからジェイドが取り出したのは、シュレーの丘のセフィロトでティアが使用した小型の音機関。既に稼働限界を越え、停止しているそれを両の手で弄びながらジェイドは説明の言葉を繋げた。

「このフィルターは、第七音素をフィールドバリアとして装着者の周囲に形成します。装着者の身体に取り込まれようとする第七音素のうち、障気を吸着したものはフィールドを形成している第七音素と共に昇華する、と言う仕組みになっています」

 淡々と説明を続けるジェイドの端正な顔から、表情が消える。ぼんやりと『思い出される』のは、火山の中で光になって消えた少年の最後の姿。

「ティア。ジェイドのくれた障気フィルター、効果あったのか?」

 だが、その『記憶』を持つ者はジェイドのみ。自身の腕の中で死に行くイオンを看取った朱赤の焔と同じ姿をした少年は、会話している自分たちを不思議そうに前の席から覗き込んで来た少女に問うた。さすがに大の男が2人顔を突き合わせてひそひそ話をしている様子は、彼女にも奇異な光景として映ったのであろう。

「え?」

 真正面からの問いにティアは、少し首を傾げるようにした。自身の体調を探っていたのだろう、暫しの思考の後に彼女はふわりと笑みを浮かべ、穏やかに頷いてみせる。

「そうね……少なくとも、アクゼリュスでは体調が悪くなることは無かったわ。今も平気だから、効いてるんだと思う」
「そっか。それなら良かった」

 ほっとしたように頷いた少年の笑顔を見て、ジェイドもまた胸を撫で下ろしていた。
 『記憶』の世界で、障気の体内汚染を防ぐことの出来なかったティアは障気蝕害に苦しめられた。だが彼女で無ければユリア式封咒を解除出来ず、引いては世界の破滅が待ちかまえていると言う状況下にあって、誰も彼女を止めることはままならない。代替物にすらなれないままジェイドは、苦しむティアと彼女を心配するルークを見ていることしか出来なかった。
 そうして、イオンもまたティアの身とルークの心を案じていた。だからこそ彼は、自身が力尽きたその時にティアの体内を汚染していた障気を全て引き受け、共に昇華して消えて行った。
 もう、あんな光景は見たくない。故にジェイドは、『戻って』から障気を防ぐ装置の開発を進めた。『記憶』の世界で死んだイオンの思い出を、研究のための資料にして。

 ティアは死なせません。イオン様も、ルークも。
 私は……貴方たちの悲しむ顔をもう見たくないんです。

 貴方たちが、幸せに暮らしてくれるなら、私は。

 最後の言葉をジェイドは、己の中ですら形にすることは出来なかった。
 もしこの場にサフィールがいればきっと、馬鹿なことを考えるなと叱咤されただろう。だが銀髪の友は倉庫の隅で譜業人形の調整に精を出しており、ジェイドの心を伺うことは出来ないでいる。


PREV BACK NEXT