紅瞳の秘預言44 開戦

「……ううむ、やっぱ愛の力ってすごいねぇ」

 彼らから少しだけ距離を離し、アニスは呆れたように唸った。彼女にしてみればアッシュとナタリアの熱いシーンを生で見せつけられているのだから、当然と言えば当然だろうか。

「あの2人の場合、7年越し……いや、それ以上だからな。思いもひとしおってものさ」

 頬を指先でかりかり掻きながら、ガイが肩をすくめる。2人の幼い頃を知っている青年は、拉致される前のアッシュがナタリアに純粋に好意を抱いていたことに薄々気づいていた。当時はその度に殺意を抱いていたものだが、こうやって見ていると応援したくなる自分の感情に苦笑するしか無い。

「でも、それだけじゃ無いんでしょうね。ねえ、ルーク」
「そだな。ナタリアはキムラスカの王女でさ、キムラスカの国のこと大好きなんだよな。……多分、アッシュもそうなんだと思う」

 ほう、と見とれていたティアの言葉に頷いて、ルークは無邪気に微笑んだ。ナタリアの婚約者が自分で無かったことにほっとした節もあるのかも知れないが、それよりも2人の仲睦まじさが嬉しくて仕方が無いのだろう。
 既にルークにして見れば、アッシュは自身の兄とも言える存在なのだから。

「じゃあ、お前はどうなんだ? ルーク。キムラスカのことは……好きか?」
「俺か?」

 ガイにそう問われ、少年はアッシュよりも少し幼い碧の瞳を瞬かせた。それから少し目を伏せて、考えを巡らせる。ルークが自分の思いを口にするには、ほんの僅か時間が掛かった。

「……あんまり良く知らないけどさ、俺はキムラスカもマルクトも、どっちも大好きだよ。だから、今の状況は……正直、嫌だ」

 偏った知識しか与えられないまま、7年の時間を屋敷の中だけで過ごして来た少年。だがそれ故にか、ルークはキムラスカ・ランバルディア王国、そしてマルクト帝国と言う2つの国に対し、祖国と敵国と言うよりは並び立つ二大国家と言う程度の感情しか持ち得ていない。国と言う形の無い組織を見るよりも先にルークが目にしたのは、それぞれの国でそれぞれに生きている住民たちの姿だったから。

「ん、そだな」

 だから、そのルークの答えをガイはある程度予測していたのかも知れない。青年は嬉しそうに頷いて、養い子の肩をぽんと叩いてやった。

 ふっと、ナタリアが顔を上げた。アッシュの言葉を受けるまでの不安げな表情は完全に消えてはいないが、それ以上に力強い光が青い瞳に宿っている。

「あの、カーティス大佐」
「はい」
「私は、私に出来るのであれば、戦争を止めたく思います」

 彼女の決意もまた、『記憶』の中に刻み込まれたものと同じ。だがそれは、単なる義務感から出たものでは無いだろう。長く旅をする中で彼女が積み上げて来た経験が、金の髪の王女にその言葉を紡がせる。

「ルグニカ平野で戦が行われているのであれば、キムラスカ側の本陣はカイツールに置かれているはずです。ならば、そこに向かって総指揮官の方にお話をすれば何とかなるかも知れません。いえ、何とかして見せます」

 ナタリアの毅然とした言葉に、サフィールが軽く眉をひそめた。彼がジェイドやピオニーから聞いた『記憶』の中で、彼女がこの後どういった経験をするのかを知っているから。

「……どうします?」

 故にサフィールは、ジェイドの耳元でそう囁いた。彼をちらりと伺った真紅の瞳には、答えの感情は含まれていない。だがそれで銀髪の彼は、くすんだ金髪の幼馴染みの考えを理解した。
 この後どうなるにせよ、彼女の思いを無碍にすることは出来ないのだ、と。

「ナタリア。既にキムラスカからマルクトに対し宣戦が布告されています。そうして、戦闘も始まってしまっている。私闘や小競り合いとは違うのですよ」

 そして、ジェイドは事実を金髪の少女に突きつけた。サフィールも同調するように頷いて、言葉を繋ぐ。
 この程度の事実で心を折るようでは、彼女が知るであろう己の出自に耐えられない。

「正式な開戦ですからね、互いに己の面子を賭けているんです。……これもモースや主席総長の目論見かと思うと腹が立ちますけどね」
「指揮官の方に話をしたとしても、そう簡単に止まるものではありません。それは分かっていますか?」
「……ええ、分かっておりますわ。戦争と言うものの難しさを、知識のみとは言え知っているつもりです」

 ジェイドの問いに一瞬逡巡したものの、ナタリアはそうはっきりと答える。赤の髪を持たずに生まれて来た彼女は、王族たるべく学習を重ね経験を積み、そして今バチカル市民の圧倒的な支持を得ていた。その努力を否定するつもりは、ジェイドにもサフィールにも無い。

「けれど、この戦は私とルークの仇討ちと言う名目で始まったはず。その2人が共に生きている以上、少なくとも戦の意味が無いことだけは理解していただきたいのです」

 ぐっと胸元で拳を握り、真剣な眼差しでジェイドを見つめるナタリア。しばしの間彼女を見つめ返していた彼は、やがてふっと目元を綻ばせた。
 彼女なら、きっと大丈夫。
 頼れる人が側にいるならば。

「……分かりました」
「ジェイド!」

 ゆったりと頷いたジェイドの言葉に、サフィールが声を上げる。その彼を軽く手で抑え、ジェイドはなおも言葉を紡いだ。

「確かに、キムラスカからしてみればナタリアの言う通りでしょう。ですが、この戦争の裏には大詠師モースがいます。彼は彼の信じるユリアの預言を叶えるべく動いている訳ですから、そう簡単に折れることは無いでしょう。最悪、ルークや貴方の生命が危機に晒されます」

 はっきりと断言出来るのは、『未来の記憶』が彼にこの先の展開を教えているから。
 秘預言とモースに依存しきっているキムラスカ上層部は、レプリカでありアクゼリュスを『消滅』させたルークとインゴベルト王の娘では無いナタリアの死を望んだ。その上でマルクトを滅ぼし、『預言された未来』を知らぬまま未曾有の栄華へと突き進もうとしている。

「そ、それは……ですけれど、私は!」
「分かっていますよ。ですから、少し作戦があります」

 そうしてナタリアの言葉をも抑えてジェイドは、2人の焔たちを振り返った。

「アッシュ、ルーク。少し協力してください」
「へ? 俺?」
「何だ? 死霊使い」

 目を丸くして自身を指差すルークに対し、腕を組んでいるアッシュは当たり前のように答える。ことがナタリアに関係するからなのだろうが、彼の返答にジェイドはふわりと笑みを浮かべた。

「これだけ人数がいますから、もう一度二手に分かれましょう。その際に、ちょっとね」

 小さく首を傾げながら、ジェイドはウインクをして見せる。
 少しばかりあの大詠師やキムラスカ上層部の鼻を明かしてやらねば、こちらの気が済まない。


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