紅瞳の秘預言45 偽者

 海上を滑るように、船が走る。内部にある客室の1つには、外側から厳重に施錠がされていた。入口の扉を挟むように神託の盾兵士が2人、見張りに立っている。
 室内に設置されている簡素なベッドに座り込んで、ナタリアはじっと黙り込んだままだった。寄り添うように座っているアニスが何度もその顔を覗き込むが、その度に彼女は唇を噛む。
 赤の焔は腕を組んだまま、椅子にどっかりと腰を下ろし無言で何事かを考えているようだ。それは、壁にもたれかかっているガイも同じこと。
 そうしてジェイドは1人、少し離れた場所に佇んでいた。無意識のうちに左腕を抱えている右の手には、ずっと力が入っている。

 彼らは今、キムラスカを謀った罪人とその共犯者として裁かれるために、王都バチカルへと護送されている。
 ジェイドが『覚えて』いる記憶の通りに。

「……ルーク、ナタリア」

 感情を抑えた声で、2人の名を呼ぶ。赤い髪の青年は不機嫌そうな顔を、金髪の少女は不安げな顔をそれぞれ、自分の名を呼ばわった青い服の軍人に向けた。

「バチカルに到着次第、貴方がた2人は我々と引き離されることになると思います。事実はどうあれ、対外的にはキムラスカの王族である貴方がたに、庶民である我々と同じ扱いをされることは無いでしょう」

 『思い出し』ながら、声量を抑えつつジェイドは言葉を紡ぐ。思わず視線を逸らしてしまった王女とは対照的に、彼はきっとジェイドを睨み付けた。

「……俺たちはどうなる。はっきり言え」
「はっきり、ですか……死を賜ることになるかと」
「シヲタマワル? どゆこと?」

 ジェイドが赤の焔への答えとして口にした言葉を理解出来なかったのか、アニスがきょとんと目を丸くした。彼女が視線を向けたのは、王族と呼ばれた2人とは幼馴染みに当たる金の髪の青年。
 ガイは少し思考を巡らせていたが、ややあって小さく溜息をつくとアニスの疑問に答えた。

「自殺しろ、って命令されるってことさ。王族が下々の手によって処刑されるのは不名誉なことだからな」

 これでも言葉を選んだのだろう、重い彼の声に黒髪の少女はほんの僅か目を瞬かせる。やっと全ての言葉の意味を飲み込んで、アニスは口をぱくぱくさせた。

「じょ、じょーだんじゃ無いよっ。ルークもナタリアも、悪いことしてないじゃん」
「ええ。全てはモースが、ユリアの預言を成就させるためにキムラスカの上層部を抱き込んだ、その結果です」

 ほんの僅か2人の王族から視線を逸らし、ジェイドはアニスの言葉に同意する。思わず力をこめてしまった手が、左の腕に痛みを伝えた。
 膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめ、ナタリアは小刻みに肩を震わせていた。涙こそ流してはいないけれど、それでも彼女は『泣いている』と言って間違いでは無いだろう。

「わたくしは……お父様の娘では、無いのでしょうか」
「だが、お前はお前だ」

 並んで座る彼が、そう言いながらナタリアの小さな拳をそっと上から自身の手で包み込んだ。少女の身体の震えが、ほんの少しだけ和らぐ。

「ですが……」

 おずおずと顔を上げ、ナタリアは幼馴染みである彼に視線を向ける。やや時間を置いて、彼女は少しだけ微笑んだ。釣られるように、彼もふっと唇の端を緩める。

「……いえ、そうですわね。ルークはルーク、アッシュはアッシュ……私は、例えナタリアと言う名で無くとも私なのですね」

 その言葉に、ジェイドははっと顔を上げた。気がつくとアニスとガイ、そして並び座る2人の視線も彼に向けられている。彼らの表情は一様に柔らかく、自身らが虜囚であることすら一瞬忘れさせられた。
 オリジナルであるアッシュとレプリカであるルーク、彼らが同じ姿形をしているとしても2人は別人。
 オリジナルの身代わりとして誕生したイオンも、アリエッタの仕えていたイオンとは別人。
 そのことを何度も彼らに言い聞かせて来たのは、この青い服を纏う軍人だったから。

「いけませんわ。ルークとアッシュのことでそれが分かっていたはずですのにね……大佐、申し訳ありません」
「いえ……私は、当たり前のことを言っただけですから」

 一番気落ちしているはずのナタリアにそんな言葉を掛けられて、ジェイドは小さく首を振った。
 『記憶』の旅を経なければ理解することも無かったその言葉を、子どもたちに対し偉そうにぶつける自分が愚かしくてならない。

「ナタリアを、お願いします」

 だから、赤い髪の彼にそれを言うことだけしかジェイドには出来なかった。「ああ」と頷いた彼にふわりと和らいだ真紅の瞳を、アニスはトクナガを手の中で遊ばせながらじっと見つめている。

 大佐はしっかりしてるようでしっかりしてないから、あたしが何とかしなくちゃ。
 イオン様にも言われたもんね。よし、頑張ろ。

 そう心に決めた少女は、母の手作り人形にガッツポーズをさせて見せた。


 ここまでに至る経緯は、ジェイドたちがザオ遺跡のセフィロトを操作しなかったことを除けばほぼ彼の『記憶』にあるままだった。
 セフィロトの操作こそはしないまでも、ダアト式封咒だけはイオンに依頼し開放して貰った。そのため、ジェイドたちもザオ遺跡には立ち寄っている。
 砂漠の手前まではアルビオールで移動して来たものの、現在の飛晃艇は砂漠に着陸出来る仕様では無いために辿り着くまで少々時間を消費した。が、『前回』と比較すればこれでもかなり前倒しのスケジュールになっているはずだ。

「ふう。……これで良いですか?」

 開放された扉にぽんと手を置いて、青白い顔をしながらもイオンはにっこり微笑んだ。ずっと彼に寄り添っていたアニスに肩を借り、ゆっくりと立ち上がる。

「はい、ありがとうございます。大丈夫ですか?」
「ええ。立て続けに解放していれば結構きついと思いますが、今は大丈夫です」

 問うたジェイドに微笑んで答え、少年は自身の守り役である少女に体重を任せる。赤の焔はそれと注意していなければ分からないほど微かに頷いて、自分の横に立ち位置を固定している少女に視線を向けた。

「なら、後は向こうに任せよう」
「ええ、そうですわね。私たちがここで出来ることは、もう終わりましたから」

 周囲の警戒に目を走らせていたナタリアも、用件が終了したことでほっとして番えていた矢を外した。ガイもまた鞘に剣を収め、全員の顔を見渡す。

「そうだな。急ぐぞ、みんな」
「ええ」

 ナタリアの返答を合図として、彼らは地上へと戻り始めた。

 その後、アルビオールは一度カイツールに向かった。ナタリアの意思により、キムラスカ軍の総司令官であるアルマンダイン伯爵に話を通すためだったが、これもまた『記憶』の通りカイツールにいたのはジョゼットだった。彼女も将軍であるから、恐らくはアルマンダインの副官的役割を担っていたのだろう。
 彼女の家であるセシル家は、ホド戦争においてガイの母ユージェニーがキムラスカ軍への内通を断ったことで売国奴と見なされ、権威を失墜した。故にジョゼットはキムラスカのために身を粉にして働き、かつての権勢を取り戻そうとしている。多分、今回ジョゼットが前線指揮を執っているのも、そのために彼女自身が志願したことなのだろう。

「今作戦は大詠師モースより仇討ちとお認め頂き、大義を得ます。そのための手続きです」

 ジョゼットの知るアルマンダイン伯がカイツールを離れケセドニアに向かった理由も、ジェイドの『知って』いる同じ理由だ。
 『仇討ち』される対象であるルーク、そしてナタリアが存命しているにも関わらず。
 その話を聞き、ナタリアがケセドニアに向かうと主張するのは当然の成り行きだった。

「私とルークはここにこうやって生きています。ですから、『仇討ち』の必要はありません。これ以上、民を苦しめる戦を引き起こす意味など無いのです」

 それが、民を愛する彼女の主張だった。
 『記憶』によりこの先の展開を知るジェイドにも、ナタリアの思いを止めることは出来なかった。


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