紅瞳の秘預言46 親子

 バチカル王城内にある、ナタリアの私室。その部屋に、ナタリアと赤の焔はいた。扉は外部から急造の鍵で閉ざされており、その両側にはキムラスカの兵士が2人門番として立っている。
 主のいない間も丁寧に整えられ続けていた室内をくるりと見回して、赤い髪の青年は小さく溜息をついた。

「こんな形で招かれたくは無かったな」
「私も、このような形で貴方をお招きしたくはありませんでした」

 窓際のソファに腰を下ろし、やや俯き加減でナタリアが呟く。ふっと顔を上げると、長く伸ばされた赤い髪が彼女の視界に入る。そしてもうひとつ、王族の血を示す色である碧の瞳が優しく、力強く少女を見つめていた。

「まあ、過ぎたことは仕方が無い。覚悟は決まったか? ナタリア」
「……その名も、私の名では無いのかも知れませんのよ」

 名を呼ばれたことに一瞬顔を綻ばせ、だが次の瞬間ナタリアは表情を強張らせた。膝の上に乗せていた手をぐっと握りしめ、きりと奥歯を噛みしめる。

「俺がお前を呼んだ。それが分かれば良い」
「……そうですわね。名前など、どうだって構いません。私は私、ですもの」

 厚手の絨毯を敷き詰めた床に、ナタリアの言葉がぽとりと落ちる。赤の焔が自身を見つめ続けていることを意識の端に置きつつ、彼女はどこか思い詰めたように言葉を続けた。

「私は、あの時のルークの気持ちを理解出来てはいなかったのですわ。自身がレプリカだと言うことを知らされた、あの時の」

 打ち棄てられた街外れの廃工場。青を纏う軍人の口から紡がれた言葉は、朱赤の髪の少年が自身の幼馴染み本人ではなく彼の複製体であったと言う事実。
 自分が、『自分』では無かったと言う事実。
 今のナタリアには、やっとあの時のルークの気持ちが理解出来たような気がしている。自分もまた、ずっと信じていた『キムラスカ王の娘』では無いと言う『事実』を突きつけられているのだから。

「……む」

 顔を伏せていた赤の焔が、物音に気づき視線を扉の方に向ける。釣られてナタリアも視線を移すと、程無く扉はゆっくりと開かれた。
 そこから姿を現したのは、兵士を2人従えたアルバイン内務大臣。兵士の1人は、銀の盆にワインボトルとグラスを恭しく捧げ持っている。それを認め、2人は眼を細めた。ナタリアはゆっくり立ち上がり、赤の髪の青年にそっと寄り添う。

 死を賜ることになるかと。

 ジェイドの言葉が正しいとすれば、あのワインには毒が投入されている。内務大臣を見届け人として、それを呷りこの場で死ねと言うことなのだろう。
 恐らくは、インゴベルト王の命によって。

「大臣……」

 きりと歯を噛みしめるナタリアには気づく様子も無く、内務大臣は静かに歩み寄って来た。感情を抑えた表情で2人を見つめ、淡々とその名を呼ばわった。

「キムラスカ王女の名を騙りしメリル。並びに、ファブレ公爵の子息の名を騙りしルーク」
「……私が生まれたときに付けられた名は、メリルと言うのですね」

 ナタリアは、本来の自分の名であった言葉を口の中で繰り返した。赤の焔はつまらなそうな目で、アルバインを見つめ返しているのみ。
 青年と少女の反応の薄さに、内務大臣は訝しげに眉をひそめた。だがすぐにその感情を奥底へと沈め、命じられたままに言葉を紡ぐ。

「王国は、そなたらから王位継承権を剥奪する。キムラスカの王位を簒奪せんと企んだその罪、許されるものでは無い」

 そこまで言い切ったところでじろりと赤の焔に睨み付けられ、一瞬だけ大臣の足が引き下がる。だが、この男にはあくまでも自身の方が強い立場であると言う意識しか存在していない。何しろ、自身は武装こそしてはいないものの背後には完全武装した兵士が控えており、対して目の前にいる2人の『偽王族』はこの部屋に幽閉される前に武装を全て剥奪されているのだから。金の髪の少女は譜術を会得してはいるが、詠唱よりも剣の一閃の方が早いだろう。
 故に内務大臣は、あくまでも強い口調で死を宣告した。

「偽りの存在とは言え、そなたらは王族として育てられた。せめて最後は潔く自決なさい……苦しまぬようにとの、陛下のご配慮だ」
「……ああ、そういやそんな権利もあったな。すっかり忘れていたぜ」

 だから、赤い髪の青年からそんな言葉が返って来ることは大臣にとって想定外であったに違いない。そして、相手がつまらなそうに前髪を掻き上げるその不敵とも言える態度も。

「む……?」
「王位簒奪だ? そんな罪を犯そうとした輩は、どこにも存在しない。故に、自決なぞする必要もねえ」

 碧色の瞳で大臣を睨み付け、青年はそう言ってのけた。目の前に差し出された毒杯を、無造作に腕を振って払いのける。

「何を!」

 慌てた兵士たちが鞘から剣を抜く。赤の焔も重心を軽く落とし、素手ながら攻撃態勢に入った。
 だが、勝負は剣が振られる前に決していた。

「──トゥエ・レィ・ズェ・クロア・リュオ・トゥエ・ズェ」
「……っ、く……」

 指向性を持たされたユリアの譜歌は、内務大臣と兵士のみを眠りの淵へと引きずり込む。ぐらり、と揺れた身体から力が抜け、絨毯の厚い毛並みに受け止められるように倒れ込んだ。その向こう、扉を抜けた廊下の方から複数の足音がこの部屋へと近づいて来る。

「お迎えに上がりました」
「2人とも、無事?」

 戸口に最初に現れたのは、抜けるように鮮やかな青の軍服を纏った軍人。ほんの僅か遅れて、歌を奏でた本人である音律士の少女が姿を見せた。

「お待たせー。だいじょぶだった?」
「間に合ったようだな。良かった良かった」

 足音も軽く駆け込んで来る人形士の少女を追うように、この部屋に囚われていた2人の幼馴染みである金髪の青年が最後に部屋へと入って来た。

「無事だ。もう少しで一戦交えるところだったがな」
「城内で超振動はやめておいた方がいいですよ?」

 自身の足元に倒れ臥す大臣にちらりとだけ視線を向けて、赤の焔はふんと鼻を鳴らした。苦笑を浮かべたジェイドの言葉に「まあな」と小さく頷きながら、彼の手から剣を受け取る。と、その視界の端にワインの瓶に手を伸ばそうとしているアニスの姿が入った。

「それに触るな。毒だ」
「うわ、マジぃ?」

 指摘され、慌てて手を引っ込めるアニス。まじまじと瓶のラベルを眺めているのは、どれくらいの価値があるものなのか値踏みをしているのだろうか。
 ややあって、納得したのか少女は顔を上げる。不満げに頬を膨らませ、靴の爪先で瓶をつんつんとつついた。

「安物かあ。それにしても、えげつなー」
「向こうさんとしてはスマートなつもりなんだろうけどなあ、確かにえげつないよな」

 アニスの言葉に首肯しつつ、ガイは慎重に廊下側を視線で探っている。彼らにとって現在のバチカル王城は敵中枢と言っても良い。赤の焔やナタリアだけで無く、同行者である彼らもいわば生命の危機にある。あまり長居をしている訳にはいかないのだ。

「脱出するのなら、今のうちよ。……ナタリア、どうするの?」

 ナタリアのものである弓矢を手渡しながら、ティアが尋ねた。矢筒を背負い、愛用の弓を握りしめてナタリアは、自分に視線を向けている同行者たちの顔を見渡す。

「……お父様に……いえ、国王陛下にもう一度、会わせてください。私は、陛下の真意を知りたいのです」


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