紅瞳の秘預言46 親子

 ジェイドが『覚えて』いるのと同じ言葉を、ナタリアは口にした。『知って』いる以上、彼女がそう発言することはジェイドの計算の内にある。
 そうして、同行者たちがすぐには賛成しないであろうことも。

「えー!? だってだって、今行ったら危ないよ! モース来てるっぽいしぃ!」
「そうだな。最悪全員その場でばっさり、ってこともあり得る」

 アニスがばたばた足を踏み鳴らして反対した。ガイは腕を組み、難しい表情を浮かべて彼女に同意する。……それから青の瞳は、ちらりと真紅の瞳を伺った。

「旦那、仕込みは上手く行ったんだろ?」

 青年の言葉に、ジェイドは眼を細めた。それを肯定と受け取ってガイは、「やれやれ」と肩をすくめる。彼が視線を向けたのは、不機嫌そうに眉間にしわを寄せている赤い髪の青年。

「で、どうする?」
「……危険は承知なんだな? ナタリア」

 ガイの問いを、ナタリアに別の問いをぶつけることで赤の焔は答えとする。そして金の髪の少女は碧の瞳を見つめ、しっかりと頷いて見せた。

「ええ」
「……ってことだ。良いな?」

 焔の視線は、死霊使いの二つ名を持つ軍人に向けられている。彼は少しだけ考えてから、ゆっくりと頷いた。彼の『記憶』の中でも、彼女は同様に『父』に会うことを望んでいたのだから。

「分かりました。皆さんも良いですね」
「……んまー最悪、トクナガで暴れちゃうつもりはありますけど」

 諦めたようにアニスが、背負っているトクナガを遊ばせるように軽く肩を揺すった。彼女に「大丈夫よ」と少しだけ微笑んで見せて、ティアは廊下へと続く戸口に鋭い視線を向けた。

「もう一度、私が歌えば済むことだわ」


 譜歌ナイトメアの効力は、謁見の間へと通じる扉の前で終わっていた。眠っている見張りの兵士の横を通り扉を開けて、ジェイドは『記憶』とほとんど変わらない光景を目の当たりにした。

「ナタリア……」
「逆賊め、まだ生きておったか!」

 謁見の間では、疲れ切った表情のインゴベルト王が玉座に腰を下ろしている。その前にはモース、そして彼の脇を固めるようにシンクとラルゴ。そしてナタリアの乳母……つまり『メリル』の祖母に当たる女性もまた、その場に引き出されていた。
 亡き妻の母を前にして、ラルゴは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。乳母の方は別れてからかなり時間が経ったせいもあるのだろうが、ラルゴが娘婿バダックであることに気づいた様子は無い。『前回』、彼女は「シルヴィアの死後バダックとは会っていない」と言っていたから、『今回』同様に気づいてはいなかったのだろう。

 実の親子、血の繋がらない親子。
 ……こうやって見ていると、親と子の関係に血の繋がりなど意味は無いのでしょうね。

 心の中だけで呟いて、ジェイドはレンズの奥の眼を細めた。
 ジェイドの『記憶』と異なる点は、シンクがサフィールの代わりにその場にいることだけ。そのほんの僅かなズレが、彼らを取り巻く状況に大きな相違を生み出している、はずだ。
 とは言え、ナタリアの出自までが変化している訳では無い。それは、モースが唾をまき散らしながら吐き出した言葉が証明している。

「殿下の乳母が証言したのだ。お前は王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘、メリル。女、そうだな?」
「……はい。本物のナタリア様は死産でございました。しかし、王妃様はお心が弱っておいででした……そこで私は、数日早く誕生しておりました我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」

 力無く漏れた乳母の証言にナタリアはきりと唇を噛み、拳を握りしめた。自身がインゴベルト王の娘で無いと言うことが虚言であることを願っていた彼女の思いは、ここで打ち砕かれたことになる。

「メリル。お前はアクゼリュスへ向かう途中、自分が本当の王女で無いことを知った。そして、実の両親と引き裂かれた恨みから、アクゼリュス消滅に荷担したのだ」

 勝ち誇った表情でモースは、捏造された罪状を高らかに宣う。その表情が歪んだのは、赤の焔が呆れた顔をして吐き出した一言によってだった。

「それで、ナタリアが国王陛下の娘では無いことが事実としてだ。一体、誰がそれをナタリアに教えたって言うんだ?」
「何だと?」

 ぎろりと自分を睨み付ける細い眼を、焔の青年は平然と真正面から受ける。そうして1つ1つ、ゆっくりと説明の言葉を紡いでみせた。

「国王陛下はご存じでは無かった。出産直後の話なら、大臣連中も知らなかっただろうな。乳母がナタリアの前で証言したのも、様子を見る限り今が初めてだろう。ナタリア自身は生まれて数日のうちにこちらに寄越されたんだから、当然知るわけが無い」

 婚約者の言葉に、ナタリアははっと目を見開いた。ガイがぽんと手を叩き、彼の言葉に続く。

「そうか。ナタリアが国王陛下の娘では無いと言うことを知っていて、それをナタリアに教えた誰かがいることになる」
「王女様が生まれてすぐのごたごたなんて、城に近づけもしないシモジモの者が知るわけ無いですよねー」

 頭の後ろで手を組んで、アニスがしれっと吐き捨てる。一度長い前髪を掻き上げてからティアは、顔色を失い始めたモースを軽蔑の眼差しで睨み付けた。

「大詠師モース。そこまで自信満々におっしゃるのですから、それもご存じなんですね?」
「大詠師殿のおっしゃる罪状は、ナタリアが誰かから事実を知らされたことが前提になっていますからね。ちなみにマルクトは知りませんでしたよ? 知っていればもっと早く、その事実を利用していました」

 とどめとばかりにジェイドは温度の無い笑みを浮かべ、冷ややかに告げた。『前回』はこうやって、理詰めで相手を追い込む余裕すら無かった。それに比べれば、『今回』はジェイドの『記憶』もあり余裕がかなりあると言えよう。
 一方、モースは顔を真っ赤にしてぶんぶんと腕を振り回す。理屈で相手を打ちのめすことが出来ないと分かった人間の取る方法と言えば、力を以て押し潰そうとするか感情で無理を押し通すか。
 モースが選んだのは、後者だった。

「だ、黙れ黙れ黙れ! 貴公らはどのみち、この場で死ぬのだ!」
「……モース。彼らの言うことにも一理あるのでは無いか」

 疲れ切ったインゴベルト王の言葉が、一瞬だけ大詠師の動きを止める。ジェイドはそれと分からぬように顔を上げ、玉座に着いている王の顔を伺った。
 彼は、こちらの話を聞こうとしてくれている。『前回』はモースに言われるがまま、ルークとナタリアを処刑することで戦を再開させようとしていた彼が。

「インゴベルト陛下! 逆賊どもの讒言に惑わされてはなりませんぞ!」

 『記憶』と違い、国王はこの状況にあってもナタリアの言葉を聞こうとしている。それを妨げているのは、感情に任せたモースの戯れ言だ。こちらに背を向けているラルゴも、呆れたように室内の状況を見つめているシンクも、モースに荷担する気は無いようだ。もっとも彼らはモースに対して忠誠を誓っている訳では無いから、まるで道化の所作を見物している心境なのだろう。


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