紅瞳の秘預言47 母性

 時間はほんの少しだけ遡る。
 ルークの姿をしたアッシュがナタリアと共に彼女の私室に囚われ、同行者たちがバチカル城の地下牢に幽閉された直後になるだろうか。
 バチカル近郊の草原に、譜業の翼がふわりと舞い降りた。その翼を守るように魔物が2頭、ゆったりと空を旋回している。
 降ろされたタラップを一番に駆け下りて来たのは、桜色の髪の少女だった。ぬいぐるみをしっかりと両手で抱きしめ、大地にとんと両足を着けるとタラップの上を見上げて叫ぶ。

「はやくー! 早く行こうー!」
「あーはいはい、落ち着きなさいアリエッタ」

 少女の名を呼びながら、サフィールがのんびりとタラップを降りて来る。その後ろを、黒の詠師服を纏った朱赤の髪の少年がティアを伴って続いた。少年の肩には、当たり前のように空色のチーグルがちょこんと腰を据えている。

「よく落ち着いてられるよなぁ、ディスト。って言うか、俺この服早く脱ぎてえし、前髪がねえのも何か落ち着かねえし」

 『鮮血のアッシュ』の姿をしたルークは、居心地の悪そうな顔をして肩を軽く揺する。普段着用している愛用の白いコートよりも重い衣装を纏っているせいで、肩が凝って仕方が無いのだろう。さらに、アッシュ同様に前髪を上げているために顔全体が外気に晒される形になり、普段は長い前髪が被さっている額に風が当たるのがルークとしては落ち着かないと言う感覚になっているようだ。

「もう少し待ってくださいな。アッシュと合流出来たら髪は下ろして良いですよ」

 肩越しに少年を振り返りながら答えるサフィールの視線は、急を要する状況であるにもかかわらず落ち着いたものだ。少年たちの後ろ、コクピットから顔を覗かせている操縦士の少女に気づき、眼を細めるとサフィールは声を張り上げた。

「ノエル、ここまでありがとうございました。もしキムラスカ軍や神託の盾がやって来るようなことがあれば、我々のことは無視してお飛びなさい」
「大丈夫なんですか?」
「危なくなったら、フレスやグリフがいる。大丈夫」

 ルークたちのことを案じてか少しばかり暗い表情のノエルに、アリエッタが無邪気に微笑みながら答える。少女の言葉に賛同するかのように、空を舞う2組の翼がばさり、と風を切る音を立てた。その音に促されるかのように、ノエルはしっかりと頷く。

「……はい、分かりました。くれぐれもお気を付けて」
「ええ。では行って来ます」

 ひらひらと小さく手を閃かせるサフィール。アリエッタの笑顔に、ノエルも思わず顔を綻ばせた。

「ありがとう、ノエル」

 ルークとティアが同時に同じ言葉を口にして、手を振った。ノエルはぴしりと敬礼をすると、すぐにタラップを上げて扉を閉めた。彼女は飛晃艇の操縦技術と知識では兄ギンジに並ぶ能力を持っているが、それ以外はごく普通の少女だ。戦闘訓練を重ねた軍人相手に戦うことはどう考えても無謀だが、アルビオールの能力を知れば現在のキムラスカ軍や神託の盾騎士団が翼を手に入れようと襲撃してくることは十分予測出来る。
 故に、サフィールはノエルに、その時は空へ逃げることを指示していた。ジェイドの『記憶』の世界で、モース側についていた自身が彼女を人質に取りジェイドたちを拘束したことを知っているから。

 本当に、私は馬鹿だったんですね。
 ジェイドを苦しめていることも知らずに、のうのうと。

 細い指で、ぐしゃりと銀の髪を掴む。同行している子どもたちに見られないように、サフィールは一瞬だけ顔を歪めた。その歪みは、ルークが上げた声を合図に霧散する。

「さてと。ナタリアとアッシュ、やばいんだよな?」
「そうだったわね。大佐たちも大丈夫かしら」

 ティアが整えられた眉を僅かにひそめ、ぼそりと呟く。ぎゅ、とぬいぐるみを抱きしめたアリエッタを視界の端に置いて、サフィールは意図して楽天的な言葉を口にした。

「アッシュを信じましょう。何だかんだであの子は結構、ナタリア王女のことを気に掛けてましたからねえ」
「そうなんですか?」

 バチカルの街中へと足を進めながら、ティアが小さく首を傾げる。門の所にいた兵士たちがぴしりと敬礼をしたところを見ると、どうやら彼らは怪しい者とは認識されていないようだ。もっとも、サフィールとアリエッタは神託の盾六神将でありルークもその1人であるアッシュの姿を取っている。残るティアも神託の盾の一兵士としての姿をしているから、キムラスカの兵士が警戒することは無かったのだろう。
 キムラスカ・ランバルディア王国にしてみれば、今のローレライ教団は同盟国に等しい存在なのだから。

「……アッシュ、いつもバチカル、気にしてた。きっと、ナタリアがいたから」

 塔のようにそびえ立つ街を見上げ、アリエッタが呟いた。ふわりと街道を流れる風が、彼女の花色の髪をなびかせる。釣られるようにサフィールもバチカルの街を見上げ、軽く肩を揺すった。

「ええ。親族から押し付けられた婚約だとは思いますが、アッシュはアッシュなりにナタリアのことを本気で思っていますからね」
「……そだな。ナタリアも、アッシュと一緒に行動するようになってからだいぶ元気になってたし」
「みゅ。アッシュさんとナタリアさん、とっても仲良しですの」

 肩の上に座っているミュウの頭を撫でてやりながら、ルークも2人にならい自身が7年育った街に視線を向けた。初めてこの塔の街を見上げたとき、ジェイドが立ちくらみを起こしたことを思い出す。

 もしかしたらジェイド、塔に何か嫌な思い出でもあったのかな?

 ジェイドの『記憶』を知らぬルークには、彼の当時の心境を思いやることは出来ない。だから少年は、思考をそこで切ることにした。
 考えても分からないし……多分、聞いても教えてくれないだろうから。尋ねたところでいつものように困ったような笑顔になって、それで終わりなのだとルークは直感していた。

「俺、自分がレプリカだなんて知らなかった頃さ、ナタリアにプロポーズの言葉思い出してくれってしょっちゅう言われてたんだよな」

 故に、意図的に違う話題を口にする。まだ自分が何も知らなかった頃の話を。

「そう言えば、ファブレのお屋敷でナタリアに初めて会った時、そんなこと言ってたわね」

 ちょうどその場に居合わせたティアは、その時のことを思い出していた。天空客車へと乗り込んで、ふうと息をつきながら彼女は前髪を掻き上げる。

 記憶障害のことは分かっています。でも、最初に思い出す言葉があの約束だと運命的でしょう?

 ティアやアニスが見ている前で、ナタリアはルークにそんな言葉を押し付けた。ルークもナタリアも、その言葉を知る人物が朱赤の焔では無いことを知らずに。

「……思い出せるわけ、無かったんだよな。ナタリアと約束したのは俺じゃ無かったんだもん」
「ま、そりゃそうですよ。貴方はアッシュじゃ無いんですから、アッシュとナタリア王女の約束なんか知るわけ無いんです。当たり前じゃ無いですか」
「そだな。別人だったんだもんな」

 当たり前のように『自分とアッシュは別人』であることを口にするルーク。それはきっとジェイドがずっと望んでいたことで、だからサフィールは親愛の情を籠めて朱赤の頭を軽く叩いてやった。

「アッシュとナタリアの約束なら、アッシュがきっと覚えてる。だから、大丈夫」

 サフィールの言いたいことは、アリエッタがたどたどしくではあるけれど代わりに言ってくれたから。


 ルークたちは何の妨害も無く、堂々とバチカル最上層にまで辿り着いた。途中すれ違ったキムラスカ兵はルークを見て一瞬驚いた表情を浮かべたものの、サフィールが『死神』の名に相応しい笑みを浮かべてやると慌てて足を早め逃げ出した。また、モースが来ているせいでそこかしこに姿の見える神託の盾兵士たちは、当たり前のように朱赤の焔を『アッシュ師団長』と呼んだ。

「……ほんとに区別つかないんだな」
「一卵性双生児でも、外部から見れば見分けつかないこと多いですからねえ。そう言うもんだと思っちゃってください」

 あっはっは、と声を上げて笑いながらサフィールは先頭に立って進んで行く。しばらくして、ファブレの屋敷が視界に入って来た。

「匂い、違うのに」
「ですの」

 アリエッタとミュウは顔を見合わせて、それから銀の髪に目を向けた。彼らの視線に気づいたのかサフィールが足を止め、くるりと振り返る。


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