紅瞳の秘預言47 母性

 そうして一行は、ルークの案内でファブレ邸を訪れた。出迎えたラムダスは黒の詠師服を纏った少年を嫡男ルークと認識し、母と面会したいと言う彼の願いを当たり前のように受け入れた。
 自室で休んでいたシュザンヌの元を、ルークは恐る恐る尋ねた。自身がレプリカであること、本当のルークでは無いことを明かされたら……自分は果たして、どう扱われるのだろうか。
 そんなことを考えつつ小さくなっているルークの目の前で、サフィールはシュザンヌにまず自身の身分を明かした。そうして、これまでにルークが知らされたヴァンとモースの企みをも。

 朱赤の髪のルークが、本来のルークを複製して生み出されたレプリカであること。
 本来のルークを拉致したのがヴァンであること。
 拉致されたルークは、アッシュと言う名でダアトの六神将の地位にあること。
 『聖なる焔の光』……ルークと言う存在が、アクゼリュスで殺されるために生かされて来たこと。

 ナタリアがインゴベルト王の娘では無かったこと。
 今、本来のルークはナタリアと共に『偽者』として処断されようとしている、と言うこと。

 それら全てを伝えた後、サフィールは迷うこと無くシュザンヌの前に跪き、頭を垂れた。

「私もまた、ご子息の運命を弄んだ罪人でございます。今更罪を謝したところで、許されるとは思っておりません。傲慢だと思われるかも知れませんが、私も許しは望んでおりません」

 ベッドの上に半身を起こし、シュザンヌは言葉を挟むこと無くサフィールの話を聞いていた。その彼女の顔を見上げた彼の表情は、これまでにないほど真摯なもの。

「私が望むのは、生まれ出た子どもたちの明るい未来を、と言う友の願いを叶えること。そのためにどうぞ、奥方様のお力添えをいただけないでしょうか。ご不満があるのでしたら、この身をお気の済むようにしていただいて私は一向に構いません」
「……」

 じっと見つめる彼らの視線の中心で、自らも赤い髪を持つ王妹は少しの間無言だった。やがてゆっくりと顔を上げ、床に足先を降ろす。慌てて駆け寄ったルークに手を取らせる形で、シュザンヌは立ち上がると少しだけ表情を和らげた。ルークが良く知る、優しい母としての笑み。

「お話は承りました。ネイス博士、どうぞ楽になさってください」
「はっ。では、失礼いたします」

 許しを得て立ち上がったサフィールから、自分を支えてくれている朱赤の焔に視線を移す。そうして1音1音はっきりと、彼女は少年の名を口にした。

「ルーク」
「は、はい! ははう……あ、えっと、その、しゅ、シュザンヌ、さま」

 一瞬母と呼びかけて、慌ててルークは名前を呼び直した。
 シュザンヌの息子はアッシュであり、自分はあくまでも彼のデータを使用して人為的に生み出されたレプリカである。だからルークには、もう二度と母とは呼べないのだと言う覚悟は出来ていた。
 けれどシュザンヌは、一瞬目を見張った後彼の言葉を直させた。

「母と呼んでちょうだい、ルーク。貴方はもう1人の『ルーク』の弟ですもの」
「え?」

 ぱちくりと目を瞬かせるルーク。その手を優しく握りしめ、シュザンヌはゆっくりと言い聞かせるように言葉を繋いだ。

「貴方の方が後に生まれたのですから、あの子の弟になるのでしょう? それなら、当然私の息子ですよ」
「……あ」
「私には息子が2人もいたのね、嬉しいわ」

 空いている母の手が、朱赤の髪をそっと撫でる。その手が頬に柔らかく添えられた瞬間、ルークの目から涙が溢れ出た。

「……母上っ!」

 慌てて飛び降りたミュウを他所に、自分よりも小さな母の身体を抱きしめてルークは肩を震わせた。黒衣で包まれた我が子の背中を撫でてやりながら、シュザンヌはよしよしとその耳に囁きかける。

「ね。アッシュとルークのママ、優しいママだった」
「本当ですの。ご主人様、良かったですの! やっぱりママさんは、ご主人様のママさんですの!」

 満面の笑みを浮かべたアリエッタと視線を交わし、ミュウは床の上でくるくると回った。大きな耳をふるふると震わせて、泣きじゃくる主をじっと見上げる。
 数分ほど泣き続けた後、やっとルークは落ち着いたのかシュザンヌの身体を離すと顔を擦った。腫れぼったい目と赤く染まった顔には、吹っ切れたような笑みが浮かんでいる。

「……ごめん、みんな。泣いてる場合じゃ無かったのにな」
「いえ、構いませんよ」

 かりかりと髪を掻くルークに、サフィールは苦笑しつつもそう答えてやる。実際のところ、ティアが王城の地下牢からジェイドたちを救い出しその後ナタリアの私室へ向かうためには相応の時間が必要であり、サフィールはそれなりに時間の余裕を見ていたのだから。
 だが、無論サフィール以外の人物はそれを知らない。特に、ここで初めて事情を知らされたシュザンヌは。

「そうでしたわ。ネイス博士、アリエッタさん。もう1人のルークとナタリア様が今、危ないのでしたわね?」
「はい、おっしゃる通りにございます」
「本当。早く行かないと、モースのせいで酷いことになる」

 その彼女の問いに、サフィールとアリエッタは同時に頷いた。もう1人のルーク、即ちアッシュがナタリアと共に生命の危機であることに、何ら違いはないのだ。
 六神将の地位にある2人の答えに小さく頷いて、シュザンヌは扉の向こうへと声を掛けた。

「分かりました。ラムダス。これへ」
「はっ。お呼びでございましょうか、奥様」

 扉のすぐ側に控えていたのだろう、ラムダスが即座に姿を見せる。シュザンヌは彼の顔を真っ直ぐに見据え、主としての命を下した。

「白光騎士団に召集を掛けなさい。代表を1人、こちらへ寄越すように。それと、私はこれより登城します。急ぎ準備を」
「シュザンヌ様!?」
「ラムダス。返事は?」
「は、はっ! しょ、承知いたしました!」

 唐突な命に一瞬固まったラムダスだが、さすが長年ファブレ家に仕える執事と言うべきか再度のシュザンヌの言葉に素早く背筋を正し、部屋を辞した。扉が閉じるのを待ち、ルークが母に視線を向ける。

「母上?」
「我が子とナタリア様の危機です。親として、ナタリア様の叔母に当たる者として黙って座っているわけには参りません」

 ファブレの家名を出さずに、シュザンヌはその決意を表に出す。それから銀髪の六神将と視線を合わせると、彼女は不敵に微笑んで見せた。

「ネイス博士、アリエッタさん。当然、同行していただけるのでしょう?」
「無論。シュザンヌ様のお力添えをいただけなくとも、参るつもりでしたから」
「アッシュとナタリア、アリエッタの大事なお友達。アリエッタ、助けに行く」

 ほんの僅か首を縦に振ったサフィールと、大きく頷いたアリエッタ。彼らを経由したシュザンヌの視線は最後に、『2人目の息子』に向けられて止まった。

「俺が先導するよ、母上。俺の存在が事態をややこしくしたのは事実だし、捕まってるのは俺の大事な仲間だもん。行かなきゃな」

 ルークは胸に拳をぶつけるようにして、はっきりと自身の意見を口にした。『初めて』この屋敷を離れた頃とは比べものにならないほど成長を遂げた我が子に、シュザンヌは嬉しそうに顔を綻ばせる。

「私の息子は、良い友人に巡り会えたのですね。そのことには感謝いたしますわ、ネイス博士」
「ありがとうございます、奥方様」

 深く腰を折ったサフィールが顔を上げると同時に、入口の扉が再び開く。そこから入って来たのはラムダスと、そして独特の白い鎧を纏った騎士だった。ファブレ公爵家を専属で守る、白光騎士団。

「シュザンヌ様。白光騎士団代表、参上いたしました」

 ルークの手を借りて、シュザンヌは膝を折る騎士の前に進み出た。凛とした表情を浮かべると、さすが王族の1人であるとサフィールが感心するほどの威厳がある。

「ファブレ公爵夫人シュザンヌの名において、白光騎士団に命を下します。冤罪により裁かれようとしている我が子たちと、そしてそのご友人がたを守りなさい」
「生命に代えても」

 がしゃり、と金属のぶつかり合う音がした。騎士は主の命を受け、ゆるりと立ち上がる。一礼をして身を翻した白い鎧は、すぐに扉の向こうへと消えた。


 そうしてシュザンヌはサフィールとアリエッタ、そしてルークを引きつれて謁見の間にその姿を見せていた。普段ルークが愛用している白いコートを纏った『もう1人のルーク』……即ちオリジナルルークであるアッシュの姿を、母は眩しそうに見つめている。

「お帰りなさい、ルーク。ダアトにいたのだそうですね」
「母上……、はい」

 かすれた声でぽつりと呟いて、アッシュは僅かにシュザンヌから目を逸らした。その真紅の髪へと、母の細く白い手が伸ばされる。

「見つけてあげられなくてごめんなさい。謝って済む話では無いのだけれど……でも、生きていてくれてありがとう」
「いえ……母上は、何も悪くはありません」

 濃い赤の髪を一房シュザンヌの手に預けたままアッシュは、それでも目を合わせることは出来ぬまま途切れがちに言葉を紡ぐ。ナタリアとの再会とはまた違った気恥ずかしさが、そうさせているのだろう。

「シュザンヌ叔母様……」

 アッシュと、そしてジェイドの背に守られる形になっているナタリアが、不安げな表情を浮かべたままシュザンヌの顔を見る。血が繋がっていないと分かった姪にも、彼女は穏やかな笑みで頷いた。

「ナタリア様。私やキムラスカの民にとっては、キムラスカの王女は今ここにおわす貴方ですよ。例え血の繋がりがあろうと無かろうと、民はそのようなことで貴方を評価するわけではありません」

 その言葉に、サフィールはちらりとジェイドに視線を向ける。肩越しに自分を見ている真紅の瞳には、安堵の光が浮かび上がっていた。その表情にサフィールは、ほっと一息をつく。

 ああ、良かった。
 ジェイドが喜んでくれるだけで、私は頑張った甲斐がありましたよ。

 だから、ずっと笑っていてくださいね。ジェイド。

 聞こえないように、胸の中だけでサフィールはジェイドに呼びかけた。


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