紅瞳の秘預言48 王女

 暫しの間、インゴベルト王は呆然とシュザンヌの顔を見つめていた。
 アッシュを、そしてナタリアを見つめていた時には穏やかに笑みを浮かべていた妹は、静かな怒りの形相で兄である国王の顔を真正面から睨み付けている。それはまるで、この場に存在する最大の犯罪者が国王自身であるとでも言うように。

「シュザンヌ……」

 ナタリアが実の娘で無かったことに心理的ダメージを受けたせいか気弱になってしまっている国王の言葉を遮るように、モースがシュザンヌに向かって一歩踏み出した。

「シュザンヌ様、そのような者どもを庇われるなど、お気は確かか! その娘は己の出生を知り、キムラスカに反旗を翻そうとした大罪人ですぞ!」
「それを貴方以外に証明する者がおりますか? いるのならば今ここに、その証人を引き出しなさい」

 逆上した感情そのままに叫びを吐き出すモースに対し、シュザンヌは落ち着き払って言葉を返す。一度ぎりと歯を噛みしめて、モースは隅で大人しく縮こまっていたナタリアの乳母を肩を掴んで引きずり出そうとした。

「だ、だからこの乳母が、真のナタリア様の代わりに孫を差し出したと証言しております!」
「モースさまぁ、おばーちゃんに乱暴はやめましょうよー。ローレライ教団の大詠師がそんな根性悪だなんて、わざわざ宣伝することありませんよねー」

 あからさまなイヤミにしか聞こえないアニスのたしなめに、周囲からくすくすと失笑の声が漏れる。ジト目で睨み付ける黒髪の少女の視線の強さに、モースはちっと舌を打つと乳母から手を離した。乳母が服を直しながら身を引くのを待ち、シュザンヌは1度目を閉じて平然とした態度のまま言葉を続ける。

「その方の証言で分かることは、ナタリア様が兄上の血の繋がった娘では無いと言うことだけです。皆さんも、そのくらいはお分かりになりますわよね?」
「……なるほど。それでは王位簒奪を図ったと言う問題についての証言にはなりませんよね。王侯貴族でも、養子縁組の例が無いわけでは無いでしょうし」
「ふむ。よもや、大詠師ともあろうお方が証拠も無しに、無辜の人物に罪を被せようとしたわけですかねぇ」

 彼女の言葉を受けてティアとジェイドが視線を軽く交わし、呆れた口調で言葉を紡ぐ。慌てて口を開こうとしたモースの機先を制したのは、うっそりと笑みを浮かべたサフィールだった。

「どうやらそのようですよ、いやですねえ。キムラスカの法がどうなっているかは知りませんが、これがマルクトなら国家内乱罪に問われてもおかしくないですよ。何しろ、確たる理由も無く王位継承者に罪を着せて混乱に陥れようとしているわけですからね」

 あっはっは、と言う笑い声を言葉の最後に付け足して、サフィールは細い指で自分の顎を撫でた。ジェイドの紅い瞳と視線が合うと、銀の髪を揺らしながら自信に満ちた笑みを浮かべて見せる。
 そうしてサフィールは苦笑しつつ肩をすくめた親友の隣に並び、狼狽え続けるモースに視線を戻した。同じように大詠師をその視界の中心に捉え、シュザンヌは再び口を開いた。

「さて。ナタリア様がこのキムラスカに弓を引こうとした、などと言う戯れ言を口にしたのはどなたです? その証拠は、どこにあるのかしら」
「え。モースの奴、そんな馬鹿なこと言ったのか?」
「ああ。ここが陛下の御前で無ければ斬っていた」

 シュザンヌが口にした言葉の元の発言者に気づき、ルークが目を丸くする。その隣でアッシュがふんと鼻を鳴らし、殺意を隠そうともせずにモースを睨み付けた。腕を固く組んでいるのは、そうで無ければ今すぐにでも剣を抜きかねない己を制しているからだろうか。
 アッシュの剥き出しの殺気にびくり、と身体を震わせるモースを見つめていたティアが、呆れたように視線を逸らした。ふうと1つ息をつき、決然と顔を上げる。

「モース様にはほとほと呆れました。これを限りに、命じられた任務からは手を引かせていただきます。第七譜石を例え発見したとしても、今のローレライ教団に渡すべきではありません」
「な、ななな……ティア! まさか貴様、第七譜石を見つけたか!」

 ティアの言葉にモース、そしてじっと押し黙ったままだったラルゴとシンクの表情が変化した。
 第七譜石。
 ユリア・ジュエが残した、膨大な預言を刻み込んだ最後の結晶。
 そこにキムラスカの未曾有の繁栄のみが記されていると信じて止まないこの大詠師は、ティアに命じその在処を捜索させていた。実際には既に彼女は第七譜石を発見しているのだが、そのことを未だモースには報告していない。報告したとして、それが真の第七譜石であると理解されることは無いだろう。
 最後の譜石に刻まれていたのはモースが期待していた栄華でも何でも無く、惑星オールドラントそのものが滅び去る未来だったのだから。

「誰もそんなこと言ってない。今のモースに渡したら、悪いことにしか使わないもん」
「だよなあ。もしキムラスカがすぐにでも破滅しますよー、なんて書いてあったりしたらどうなることやら」

 ぷうと頬を膨らませるアリエッタの言葉に頷いて、ガイが自身の顔を指先で軽く掻く。その言葉を耳にして、モースはがばっと顔を上げた。シュザンヌと、彼女を囲む若者たちを憎悪の目で睨み付け、わめき散らす。

「ば、ば、馬鹿な! そのような預言が、残されているはずが無い……! これまでユリアの預言には、そんな未来が記されていることは無かった!」
「だから今まで発見されなかった、と考えれば辻褄は合う。いくらユリアでも、破滅の未来など公にしたくは無いだろう……特に、てめえのように預言を絶対のものと信じ込む輩にはな」

 だが、モースの言葉を弾くようにアッシュが口を開いた。碧の瞳で冷たく見つめる青年の視線に、大詠師は恰幅の良い身体をぞくりと震わせる。
 ジェイドは、アッシュと同じように冷たい光を宿す真紅の眼を細めた。指先で眼鏡の位置を直し、長い髪を背に流しながら一歩踏み出す。一瞬ずれた視線は、緑の髪を持つ仮面で顔を隠した少年に向けられた。

「未来は変えられるんです。ユリア・ジュエはそれを信じていたからこそ、破滅を記した譜石を封印した。そうで無ければ、封じる意味すらもありませんからね」

 低く抑えられた男の声が、謁見の間に響き渡る。はっと顔を上げたインゴベルトや大臣、そしてモースの視線は、青い衣装を纏った軍人に吸い寄せられた。左の腕を抱え込むように掴み、自身を見つめるジェイドの目に耐えられなかったのかモースがだんと床に靴底を叩きつける。

「だ、黙れ黙れだまれ! ユリアの預言を蔑ろにしようとする、マルクトの『死霊使い』ごときが何を……!」
「未来が固定された道しか存在しないのであれば、そもそも預言を詠む意味などありません。示されるか否かに関わらず、人はその固定された道を進んで行くしか無いのですから。違いますか?」

 預言に詠まれたものとは違う『未来』を見てきたジェイド。彼の言葉は、その『事実』を知らぬ者にも相応の説得力を以て刻み込まれて行く。インゴベルト王も大臣たちも、その言葉を聞いて互いに顔を見合わせた。重臣の護衛としてこの場にいる兵士たちは、おろおろと狼狽えながらその場の状況を見守るだけだ。たった1人モースだけが、あくまでユリアの預言だけを信じ「その男の話を聞いてはなりません!」と焦りの声を張り上げる。

「……もう良い。モース、そなたも口を収めよ」

 疲れ切ったように玉座に身体を預けたまま、インゴベルト王が言葉を紡いだ。はっと王の顔を振り仰ぎ、モースは露骨に表情を歪めたがそれでも渋々身を引く。

「この場は預言の是非を問う場では無い。ルーク、そしてメリルの罪を問う場でも無い」

 額に手を当てながらぼそり、ぼそりと告げる国王。その中で今使っているものでは無い名を呼ばれ、ナタリアは僅かに唇を噛んだ。生まれたときに実の親からつけられたとは言え、彼女にとっては全く馴染みのない名前なのだから。

 お父様にとって、もう私は娘では無いのですね。

 胸の内でぽつりと呟き、少女は俯いた。そのために金の髪で表情を隠してしまったナタリアに寄り添い、アッシュはその肩を抱き寄せる。
 そんな2人を見ているのかいないのかは分からないが、国王は再び言葉を紡いだ。普段は張りのあるその声からはすっかり力が失われており、この数時間で何年も年を重ねたように見える。

「今のわしには、判断するための材料が少ない。しばし城下に留まり、時間を与えてはくれぬか」


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