紅瞳の秘預言48 王女

「それはやめた方がよろしいですわね」

 彼にとっては精一杯の妥協案だったのであろう提案は、妹であるシュザンヌの毅然とした言葉であっさりと却下された。

「今この子たちをバチカルに留めていては、いつ刺客に襲われるか分かったものでは無いでしょうに。それなら街の外に送り出してあげた方が、何倍も安全です」

 平然とその理由を告げ、シュザンヌは2人の息子たちを振り返った。招かざる客人をもてあましている大臣たちや完全に敵意を持ってこちらを睨み付けているモースとは違い、彼女の表情には慈愛が溢れている。

「ここは私に任せて、しばし街を離れなさい。兄上にも貴方たちにも、時間が必要なのは事実です」
「……母上」

 朱赤の髪のルークが、おずおずと母の顔を見つめる。シュザンヌの手が、何の躊躇いも無くその量の多い髪をゆっくりと撫でた。彼と、並んでいるアッシュの顔を見比べながら彼女は、穏やかに微笑んで見せる。

「ルーク。貴方たちには、為すべきことがあるのでしょう? 子を護るのは、親として当然の役目です」

 そこまでを口にして、ふとシュザンヌは軽く目を見開いた。少し首を傾げる叔母の気配に、ナタリアも思わず顔を上げる。

「あら、困ったわね。2人とも『ルーク』では、どちらを呼んだのか分からなくなってしまうわ」
「母上。7年の間、俺はアッシュと言う名を使っております。……許されるならば、今後ともこの名で」

 母の言葉にルークが口を開こうとするのを制し、アッシュが答えた。
 『ルーク』の名を失って7年。既にアッシュの名は彼自身の名前として定着しており、ナタリアを初めとする同行者たちにもその名で認識されている。故にアッシュは、母にもその名を己の名として申し出た。『聖なる焔の燃え滓』と言う意味合いで着けられた名ではあるが、それなりに愛着のある名前だから。
 無論、その意味合いはシュザンヌにも分かっていたのだろう。僅かに気遣う表情を浮かべ、母は息子に念を押した。『弟』であるルークに気を使っているのでは無いか、と。

「良いのですね?」
「はい」

 だが、頷いた我が子の顔にその感情はまるで存在していない。自身を示している『アッシュ』と言う名に彼は誇りを持ち、胸を張りその名を名乗っていると言うことをシュザンヌは確信した。
 故に、母もまたその名で我が子を呼ぶことに決めた。

「分かりました、アッシュ」
「ありがとうございます、母上」

 軽く頭を下げ礼を言う息子を、シュザンヌは満足そうに微笑んで見つめる。その視線は、アッシュが頭を上げて間も無くゆっくりと移ろった。止まったのは、くすんだ金髪と僅かに赤みがかった銀髪を持つ2人の上。

「カーティス大佐、ネイス博士。息子たちやナタリア様をよろしくお願いいたします」
「仰せのままに。シュザンヌ様」
「お任せを」

 まずサフィールが、続いてジェイドが胸に手を当て、頭を下げた。頃合いを見て取ったのか、ガイが周囲に視線を巡らせる。アニスとアリエッタ、そしてティアは互いに目配せを交わし、兵士たちを睨み付けた。

「六神将のアリエッタがお願い。邪魔しないで」
「道を空けてください。通してくださるのでしたら、こちらから危害を加えることはありません」
「『妖獣のアリエッタ』にぃ、『死神ディスト』にぃ、『鮮血のアッシュ』。あと大佐もいるからねー、素直に通した方が良いと思うよ?」

 舌足らずな声で紡がれた命令、ティアの凛とした声、そしてアニスの意地悪な笑みに、兵士たちは慌てて道を開いた。神託の盾六神将のうちの3名とマルクトの『死霊使い』が揃っているこの状況、下手な抵抗をすればキムラスカの上層部やローレライ教団の大詠師に危害が及ぶであろうことは誰にでも理解出来る。
 周囲の視線が集中する一点に立ち、シュザンヌはあくまでも母としての落ち着いた笑みを浮かべている。そうして、2人の息子たちに大きく頷いて見せた。

「行ってらっしゃい、アッシュ、ルーク。必ず帰って来るのですよ」
「はい!」
「はい」

 朱赤の焔は元気良く、真紅の焔は落ち着いて答えた。扉に向かってまず足を踏み出したジェイドの後を追い、ルークが駆け出して行く。ガイとティアが彼を守るように両脇を固める。アッシュはその背を見送って足を踏み出そうとしたが、ふと気づいて金髪の少女の肩を軽く揺すった。

「行くぞ、ナタリア」
「あ、はい。では……ひとまず、御前を失礼いたしますわ。国王陛下」

 18年の間に身についた優雅な仕草で礼をして、ナタリアはアッシュと肩を並べ謁見の間を後にした。アニスとサフィールに背を守られ進んで行くその瞳に、もう迷いの色は浮かんでいない。
 名が何であろうと、己の中に流れる血がどうであろうと、自分は自分なのだから。


 ばたん、と音がして、開かれたままであった扉がようやっと閉じられた。その音が引き金となり、謁見の間は止まっていた時間を進め始める。
 まず声を張り上げたのは、たった今までこの場で起きていたことを未だに事実だと理解出来ていない内務大臣だった。彼にしてみれば扉の向こうに消えた一団は未だに、キムラスカ・ランバルディア王国に対し謀反の恐れがある集団なのだろう。

「守備隊に連絡! きゃつらを街から出すな!」

 その認識が正しいとするのであれば、彼のこの命令も誤りでは無いと言える。彼は彼なりに、国を案じているのだから。
 バラバラと駆け出して行く伝令には目もくれず、シュザンヌは再び兄王のおわす玉座を振り返った。さすがに王妹であるからか、ルークたちを送り出した彼女を取り押さえるような無礼な兵士はいない。ただ、やっと常態復帰したモースが噛みつくように詰め寄る。

「シュザンヌ殿……これはキムラスカ王室とローレライ教団に対する冒涜ですぞ!」
「黙りなさい。貴方の言動こそ、キムラスカ王室を蔑ろにしているではありませんか」

 だが、シュザンヌも負けてはいなかった。じろりと睨み付ける眼力の強さに、一瞬モースが怯む。その隙を見過ごすこと無く、彼女はサフィールから知らされた神託の盾騎士団の悪行を洗いざらい吐き出してみせた。

「聞くところによれば我が子アッシュは、ヴァン・グランツ謡将に攫われダアトで洗脳教育を受けていたとか。王族の拉致監禁、虚偽の証言。さらには我がファブレ家の別荘であるコーラル城無断占拠、そして禁忌である生体フォミクリーの使用……これを神託の盾騎士団は何と説明するおつもり? 首謀者はグランツ謡将だとお聞きしていますが、その上司であり教団の実権を握っている貴方にも監督責任があるのではありませんか?」
「な、な……」

 ぱくぱくと、酸素不足の魚のように口を動かすモース。その彼に、インゴベルト王の言葉少なな疑問がぶつけられる。

「それは……真か? モースよ」
「あれはヴァンと……そ、そうだ、ディストが独断で為したこと。私に責任があるはずがございません!」

 大詠師の返答には焦りの色が見えている。自身を守ろうと護衛でもあるはずの六神将に視線を向けたところで、当の2人が己を冷たい表情で見つめていることにやっとモースは気づいた。

「ヴァンとディストに押し付けちゃあ駄目だろ、モース。あんただってちゃっかり荷担してるじゃん」
「シンク、貴様!」
「少なくとも、大詠師が生体フォミクリーの使用について内部予算を融通していたのは事実だ。リグレットがぼやいていたことがあるからな」
「ラルゴ……!」

 ここで、やっとモースは気づいた。
 この2人の六神将は自身を護衛するためでは無く、自身を監視するためにこの場にいるのだと。
 そして、彼らにそれを命じたのが恐らくはヴァン・グランツであることも。

「ヴァンめ……っ!」

 ぎりり、と音を立てるように歯ぎしりをするモースの顔を、シンクは仮面の下から感情も無く見つめていた。

 今頃になって気づいたの?
 ほんとに馬鹿だよね、こいつ。

 死霊使い、あんたはどこまで知ってるの?


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