紅瞳の秘預言49 民心

 かつかつと固い靴音を立てながら歩み出てきたカンタビレは、艶やかな黒髪を手で軽く背に流す。髪と同じ色の隻眼が、ゴールドバーグを真っ直ぐに睨み付けた。その鋭い眼光と背後に並ぶ白き鎧に、さしもの将軍も一瞬怯む。

「あたしが動く理由なんて、1つしかないだろ。あたしはこれでも、神託の盾騎士団の師団長さね」

 腰に携えている剣には手を添えることも無く、漆黒の詠師は悠然と微笑む。その視線が、己に問いを投げかけたジェイドの上に注がれた。

「導師イオンの勅命で来たんだよ。ルグニカ一帯の降下とモースの暴走でバチカルが混乱してるだろうから、鎮めて来いってさ」
「なるほど」

 彼女の言葉に、ジェイドも納得して頷く。ケセドニアで別れた後、イオンはヴァンの陰謀に対抗するためと称してダアトに戻った。そこでカンタビレに勅命を出し、こちらの援護に寄越してくれたのだろう。
 事態の収拾のために、ダアトに1人残るイオン。『前回』のこの時期、アッシュを除く六神将は未だヴァン側についていた。故にアリエッタも向こう側におり……彼女はイオンの安全をヴァンの命令よりも優先させている部分があったため、ある意味イオンはかなり安全と言えた。それでも、惑星預言を詠まされたことでその生命は昇華してしまったのだけれど。
 だが、『今回』の世界ではアリエッタはアニスと和解し、ルークやジェイドたちに同行している。それはつまり、今イオンの身近に彼を守る者がいないと言うことだ。無論、詠師トリトハイムを初めとした信者たちはイオンを敬愛し守ろうとしている。だが、モースやヴァンがイオン確保のために動こうとしたならばそれを止められる存在はいない。

「……イオン様はご無事でしょうか」

 つい口から出たらしいその言葉を、カンタビレの耳は鋭く捉えた。にいと不敵な笑みを浮かべ、青い肩に軽く手を置く。空いた手はせわしなく動き、部下の兵士たちにナタリアたちや市民を守るための指示を与えている。白い鎧の兵士は、赤い武装のキムラスカ兵が暴走するのを防ぐように市民の前に立ち、更にルークたちが街の外へと出て行くための道を造る壁となっていた。

「この状況で、世界のために動かれている導師に危害加えるほどモースも馬鹿じゃ無い……とは思いたいねぇ。奴の行動原理はユリアの預言で、ユリアの預言を譜石からきっちり詠み出せるのは導師だけなんだしさ。それでも心配なら、誰かを迎えにやれば良いだけだ」
「まあ、確かに」

 ゴールドバーグとバチカル守備隊の面前で、声高に宣って見せるカンタビレ。それと無くイオンの現況を知らしめることで、モースの動きを牽制するつもりなのだろう。それでも彼の身を案じるのであれば、彼女の言う通り『誰かを迎えにやれば良い』のだから。
 と、カンタビレの部下であろう神託の盾兵の1人が、民間人らしき青年を連れて来た。

「……ギンジ」

 その顔を見て、ジェイドだけでなく同行者たちが目を見張る。少し赤みがかった銀髪の青年は、ケセドニアで緑の髪の六神将に身柄を囚われていたはずだ。

「ど、ども」
「この子と……何だい、アルビオールっつったっけ? あれをシンクから預かって来たよ。うちの部下に護衛させてるから引き取りよろしく」

 小さく頭を下げたギンジの様子とにやにやと笑みを浮かべているカンタビレの言葉に、ジェイドはレンズの奥の目を瞬かせた。あの少年が、こちらの目的をうすうすは知りつつも飛晃艇とその操縦士を素直に返してくれるとは思わなかったから。
 神託の盾兵士からサフィールに身柄を引き渡されたギンジは、髪をかりかりと掻きながら「ご迷惑をお掛けしました」と僅かに頭を下げた。少なくとも外見上怪我などは無いようだったが、アッシュは軽く眉をひそめながらそのことを問い質す。

「大丈夫だったか? 手荒な扱いはされてないだろうな?」
「はあ、大丈夫です。手は縛られてましたけど、別に罵倒されたり殴られたりとかはしませんでしたし」
「それは良かったですわ。安心しました」

 アッシュとは当たり前のように肩を並べているナタリアも、手首をさすりながらではあるが微笑んだ青年の様子にほっと胸を撫で下ろした。彼女にしてみれば、自分の存在が神託の盾にギンジを捕縛させた一因である。故に、彼女は心の片隅でずっと彼を気にしていたのだろう。

「えーとノエルだったよね、妹さんは先に帰らせた。ここはあたしが何とかしとくから、行きな」

 ひらと手を振り、漆黒の詠師は赤の部隊からルークたちを護るように立つ。その視線が一瞬、教え子であるティアと交わった。

「ありがとうございます、カンタビレ教官」
「ティアも、気をしっかり持つんだよ」
「はい」

 短い言葉だが、感情ははっきりと籠められていた。道を開いてくれた教官に感謝する教え子と、実兄と道を違えることになった生徒を案じる恩師。小さくティアが頷いたことと遠くから響いてきた魔物の雄叫びで、会話は終焉を迎えた。アリエッタが顔を上げ、同行者たちを振り返る。

「アルビオールのところ、フレスがいてくれてる。行こう、みんな」
「みゅ。行くですのー!」
「よっしゃ、急ごー」

 ミュウとアニスが、同じタイミングで右手を振り上げる。『友』の声を聞いたことでアリエッタが先頭に立ち、同行者たちは2人の焔とナタリアを守るように駆け出して行く。その中で、ルークがふとカンタビレと視線を合わせた。

「来てくれてありがとう、カンタビレ」
「うん、あたしも来て良かったよ。行ってらっしゃい、気をつけて」

 朱赤の髪の子どもは、その実年齢にこそ相応しい無邪気な笑みを浮かべる。そうして、『兄』である真紅の髪を追いかけるように地面を蹴った。最後に残った青い軍服の背中を、カンタビレは軽く押しやる。手の先に触れたくすんだ金髪が、ほんの僅かさらりと流れた。

「ほら。行きな、死霊使い」
「はい。済みませんが、後はお願いします」
「任せとき」

 泣きそうな笑みを浮かべながら軽く頭を下げ、ジェイドは子どもたちの背を守るように最後尾を駆ける。その背中を見送ってカンタビレは、改めてゴールドバーグの顔を振り返った。

 彼女の手の一振りで、白い鎧は市民たちと共にジェイド一行をバチカル守備隊から守るための壁となる。1人漆黒の装いを纏っているカンタビレがくっきりと浮かび上がる形になり、それがキムラスカの守備隊にとっては無言の威圧とも受け取れた。足を引くことこそ無いものの内心たじろいでいる守備隊の中にあって、ゴールドバーグだけは自身の任務を妨害した黒の詠師を恫喝する。

「カンタビレ殿……これは紛れも無く内政干渉ですぞ!」
「はん。あたしはね、導師勅命に従ってあんたらの馬鹿を止めに来ただけだ。緊急時の治安維持活動は、キムラスカ・マルクト両国内において認められてるはずさ。内政干渉って言うなら、あたしよりも大詠師だろ」

 が、威圧感のある将軍の言葉にもカンタビレが身を震わせることは無い。理論武装ならば、大詠師モースの反感を買っているがために数多の戦場を自力で渡り歩いてきた彼女の方に分がある。それに、今カンタビレの味方は神託の盾だけでは無い。

「軍ってのは国民を守るために剣を取るもんじゃないか? それを何だい、民に向かって抜刀とはね。キムラスカ軍も地に落ちたもんだ」
「そうだそうだ! あんたらは、危険から俺たちを守ってくれるんじゃないのか!」
「あたしたちを守ってくれてもねえ、姫様を危ない目に遭わせるような守備隊なんか要らないよ!」

 地を這うようなカンタビレの言葉に、ナタリアを守るために飛び出して来た市民たちの言葉が重なった。一瞬怯んだゴールドバーグだったが、必死で虚勢を張る。謁見の間で交わされた会話、そして真実を知らぬ彼にしてみれば、上からの命令が全てなのだ。

「だ、黙れ! 我々はナタリア王女の名を騙る大罪人を……!」
「あんたこそその口を閉じなよ。第一、本人が物心ついたときにはナタリアって名前で王女だったんだ。騙るも何も無いだろ? 王女自身、それが自分の名前で地位だって信じてたんだから」

 カンタビレがナタリアについて語った言葉は、レプリカのルークにも当てはまる。外見上10歳とは言え全くの無垢で生まれたルークは、何も知らぬ者たちにより『ファブレ公爵家嫡男ルーク』と言う地位と名前を与えられた。そのまま7年の歳月を過ごした彼が自身の真実を知ったのは、生まれて初めての長旅の中途でのこと。
 黒の詠師は、無論ルークがアッシュのレプリカであることも知っている。だが彼女は、今この場ではそのことを口にするべきでは無いと考えていた。ただでさえナタリアがインゴベルト王の娘では無いと言う事実が判明し混乱しているであろうゴールドバーグに、さらに追い打ちを掛ける事態になりかねないからだ。
 国王を中心としたキムラスカ上層部は、既にルークについても知っている。故に同時に彼をも消すことでモースの語る『戦乱の後の繁栄』を招こうとしていた。預言にしがみつく老害どもの考えそうなことだ、とカンタビレは思う。
 だが。

「あんたたち。あの姫さんが、王位簒奪とか考えるようなお方かい?」
「冗談じゃ無いですよ。姫様はそんな大それたことをお考えになんてなるはずが無い」
「わしらの生活を良くしてくれて、仕事もくださった。その姫様を侮辱するなんて、信じられません」

 モースの預言に凝り固まった思考は、こうやって示される民の思いを踏みにじるものでしか無い。それをイオンは厭い、故に自身がダアトに戻り事態の収拾に当たると共にカンタビレをバチカルに派遣した。カンタビレもイオンの思いを理解しているからこそ、アルビオールを利用してまでキムラスカ王都に急行したのだ。


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