紅瞳の秘預言49 民心

「いいかい、ゴールドバーグ将軍。ナタリア王女を馬鹿にするってことは、このバチカルの民を……引いてはキムラスカそのものを馬鹿にすることなんだよ。あの姫様を育てたのは、間違い無くキムラスカなんだからね」

 彼女はあくまでも剣を抜かず、言葉で彼らを諭す。キムラスカの軍人とて、モースの……その裏で動くヴァンの言葉に目先を惑わされているだけだ。繁栄の幻から目を覚まさせるために、流れる血は少しでも少なくしておきたい。それはイオンの願いであり、カンタビレは知らないが『未来』を見て来たジェイドの願いでもある。

「あーあ……何でそんな当たり前のこと、キムラスカのあんたらよりマルクトの『ケテルブルクの双璧』の方が分かってるんだい?」

 カンタビレの口から漏れ出た通称を耳にして、ゴールドバーグは顔をしかめた。その名はキムラスカ軍にとって、おぞましき敵の名であるから。
 『死霊使い』の名で恐れられる譜術の権威でありマルクト皇帝の懐刀である、ジェイド・カーティス。
 『死神』と呼ばれ譜業において並び立つ者の無い、サフィール・ワイヨン・ネイス。
 雪の街で生まれ育った2人の天才を、世は故郷の名を取り『ケテルブルクの双璧』と呼称する。そしてキムラスカは、彼らが己の前に立ちはだかることを恐れた。サフィールがダアトに出奔した後でも、『死霊使い』の存在はキムラスカにとって脅威でしか無い。故に彼らは、ピオニー皇帝の名代としてバチカルを訪れたジェイドに封印術の枷を掛け城内に軟禁したのだ。
 その2人がキムラスカの上層部よりもナタリアのことを理解し、護ろうとしている。そのような『戯言』を、バチカルを守る要を自負しているゴールドバーグが受け入れる訳には行かなかった。

「そろそろ、王女様たちも安全圏まで移動出来た頃かね。さ、あんたたちも家に戻りな」

 だが、カンタビレはそんな将軍には視線を向けること無く市民たちを振り返る。軍人を睨み付けていた時とは違いその端正な顔には穏やかな、女性らしい笑みが浮かんでいた。

「で、ですが……また姫様たちが」
「安心しな。次この兵士たちが馬鹿やるつもりなら、あたしが本気で相手になるさね」

 どこか不安げなままの市民たちに、しっかりと頷いて見せるカンタビレ。自信に溢れた彼女の笑顔に、市民たちは納得したように三々五々散り始めた。彼らはナタリアに対して持っている敬意と同様、イオンにも尊敬の念を抱いている。そのイオンの勅命を受けた彼女の言葉を、素直に受け入れる気になったのだ。
 妄言に惑わされたとは言え民に刃を向けようとした将軍の言葉よりも、素直に。

「カンタビレ殿!」

 未だ興奮を抑えることの出来ないゴールドバーグの顔を、カンタビレの隻眼がぎろりと睨み付ける。剣の切っ先よりも鋭い視線は、ほんの一瞬だけ将軍の目を貫いて消えた。詠師は黒い髪を掻き上げて、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「キムラスカ軍が、そこまで馬鹿じゃ無いことを期待してるよ? あたしの行動は導師イオンのお墨付きだ。分かってるね?」

 ふん、と小さく鼻を鳴らし、彼女は平然と敵に背中を見せた。背後から刃も譜術も飛んで来ないことを分かった上での、悠然とした態度。
 何しろ、彼女の行動はイオンに認められているものなのだから。
 つまり、今のカンタビレを敵に回すと言うことは即ち、ローレライ教団の最高権威を敵に回すと言うこと。
 それに気づきぎりと歯を噛みしめたゴールドバーグに、もうカンタビレの視線が注がれることは無かった。

 街の入口まで戻ったところで、建物の影に隠れるように寄りかかっている女性の姿をカンタビレは認めた。何気ない振りをして立ち止まり、視線と共に言葉を投げかける。

「お疲れさん」
「まあ、このくらいなら造作も無いさ。ナタリア姫様の評判は聞いてるし」

 ひらひらと手を振る彼女に、カンタビレはほんの僅か唇の端を引いた。小さく肩をすくめると、相手の女性も同じように肩をそびやかせる。ルークたちと違い柔らかな桃色に近い髪が、僅かな風に揺れた。

「それにしても、あんたもなかなかの啖呵だったねぇ」
「いや、あそこまで馬鹿だとは思わなくてさ。これで少しでも、頭冷やしてくれると良いんだけどね」

 がりがりと無造作に黒髪を掻き回すカンタビレに、女性はぷっと吹き出した。露出度の少ない詠師服とは対照的に胸元や腹をひけらかしている衣装は、客の目を引くためのものだろうか。

「師団長。アルビオール、離陸した模様です」

 部下の1人がそう知らせて来た。「そうかい」と胸を撫で下ろしてからカンタビレは、女性の名を呼ばわる。

「ノワール。あんたら、次はどこで興行の予定だい?」
「戦の間はなかなか予定がつかなくてね。ちと寒いけど、ケテルブルクから話が来てる」

 サーカス団『暗闇の夢』を率い、その裏で義賊団『漆黒の翼』の頭領を務める彼女は、前者の顔をしてにっこりと微笑んだ。
 任務の性質上、カンタビレはオールドラント中を飛び回っている。各地の情報収拾や物資調達は彼女にとって必須事項であり、アスターと顔なじみなのもその関係からである。そして、ノワールたち『漆黒の翼』が興行のたびに入手しカンタビレに流して来る市井の情報は大変に重宝していた。『漆黒の翼』は権力者や預言を好いてはいないが、神託の盾騎士団に所属しながら預言からは一歩離れた立ち位置を保っているカンタビレとは相応の関係を築いている。
 今回、戦火を逃れて来た『漆黒の翼』とバチカル近郊で接触することの出来たカンタビレは、『ナタリアとルークが冤罪により処刑される』と言う情報をノワールに渡した。王女と言う権力者であるとは言え市民のために活動しているナタリアのことを悪からず思っていたノワールは、その情報をバチカル城下に流布すると言う『仕事』を相応の報酬を以て引き受けてくれた。ジェイドのみが知る『前の世界』でアッシュが演じた役割を、この世界ではカンタビレがほぼ全て引き受けたことになる。
 もっとも、彼女たちは当然そんなことは知らない。知らないまま、軽口を叩き合う。

「あー、あそこ。戦争嫌がってる金持ちが溜まってるからねえ」
「親はどうでも良いんだけどね。子どもたちの娯楽があそこは少ないからさ、たまには楽しませてやらなきゃ可哀想じゃ無いかい」
「ま、毎日雪合戦じゃ飽きるか。元気で行って来なさいな。ウルシーとヨークにもよろしくね」
「ありがと。何かお土産要るかしら?」
「別に。けど、ロニール雪山には気をつけなよ。六神将が行くかも知れないからね」
「了解」

 会話が途切れたところで、ひらりとノワールの身体が裏道の奥へと消えた。この混乱に乗じて、少しばかり裏の仕事を働いてくるつもりだろうか。それを見送ること無く、カンタビレはバチカルの門を通り抜ける。
 とにもかくにも、イオンの望んだ目的は一応達成された。今後もしキムラスカがナタリアを迫害するようなことがあれば、カンタビレはイオンの勅命を後ろ盾に彼らを保護する心づもりがある。

「んまあ、その前にマルクトが保護しそうだけどねえ。懐刀の可愛い息子がいるんだし」

 背後を振り返り、撤収の合図に右手を振りながらカンタビレはぼそりと呟いた。


「カンタビレさんと部下の人たちは、ルグニカ平野の戦に駆り出されてたそうなんです」

 空へと飛び立ったアルビオールの操縦席で、ギンジは自分のすぐ脇を指定席に決めているガイを初めとした一行にそう語った。彼はケセドニアからカンタビレを乗せて、バチカルまで飛行して来たのだそうだ。

「だけど、イオン様のご命令を受けて急いでバチカルに来ることになったんで、その準備をするためにケセドニアに来たんです。船で向かうにしろ馬車で向かうにしろ、あそこで手配をするのが一番手っ取り早いですから」
「イオン様の命令?」
「ルークさんたちが危ないから助けに行くように、だそうです」

 アニスの問いに、ギンジは操縦桿を握りしめたまま軽口で答えた。
 元々、カンタビレの率いる神託の盾騎士団第六師団は総数約8000と言う大所帯。その全てを率いて王都バチカルに急行するには無理があり、さらに現在はマルクト軍を向こうに回しての戦争の真っ最中である。故にカンタビレは少数の部下を選抜し、それ以外の部下には簡単な指示だけを与えて戦場に残したらしい。

「そうしたら、シンクさんからおいらとアルビオールを押し付けられたって言ってました。幸い、カンタビレさんが連れて来た人数ならアルビオールに乗せて来れたんで、お互い利害が一致しまして」
「なるほど。それであの人数だった訳か」

 アッシュが自分たちを守ってくれた第六師団員の数を思い出し、頷いた。「はい」と答えて、ギンジは飛晃艇の速度を僅かに引き上げる。

「だけど、移動の準備してる最中に、急にケセドニアが沈み始めて。びっくりしましたよ、ほんと」
「ルークがザオ遺跡のセフィロトを起動させて、あの辺りを降下させたの。先にケセドニアでアスターさんに話を通しておいて良かったわ」

 青年の苦笑混じりの言葉に、ティアもほんの僅か頬を緩める。アッシュの姿をしたルークと共にザオ遺跡へ向かったティアは、シュレーの丘と同様に障気フィルターで我が身を守りつつセフィロトのユリア式封咒を解放した。ジェイドから作業の詳細を伝えられていたサフィールの指示によりルークがセフィロトの譜陣を強引に書き換え、シュレーの丘やアクゼリュスのセフィロトと連結動作させることによりルグニカ平野を中心とする一帯は無事、魔界へと降下することが出来たのだ。
 もっとも、アスターとその配下の一部しか知らなかったであろう魔界降下という大事件に、民衆の混乱は当然のものだっただろう。それはルグニカ平野で戦闘中だったキムラスカ・マルクト両軍も。


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