紅瞳の秘預言49 民心
「ケセドニアに戻ったら、ナタリアとルークの話聞いた。アリエッタびっくりして、ノエルのアルビオールで上がって来た」
「おいらもさすがに驚きましたよ。でもまあ、空が繋がっているなら十分行けますからね」
座席の上でぬいぐるみを抱きしめながら、アリエッタがどこかふて腐れたように言葉を吐き出した。ギンジは苦笑を浮かべたまま、前方に広がるオールドラントの大地を注意深く確認する。
「みゅみゅ。そう言えばノエルさん、どこに行ったんですの?」
「カンタビレが『帰らせた』と言ってましたからね。シェリダンじゃないですか?」
ちゃっかりティアが膝に載せていたミュウの質問には、サフィールがさらりと答えた。
カンタビレが具体的な地名を口にしなかったのは、それを手がかりにキムラスカ軍やモース、そしてヴァンが動く可能性があったからだろう。会話の中で一度だけ使われた『帰る』と言う言葉の意味を理解出来るのは、ノエルの故郷を知っておりかつ彼女の言葉を注意深く聞いていた者だけ。今回の場合、他の者はどうか分からないがサフィールはそれに該当していた。
「……では、何故ベルケンドへ向かうよう指示したんですか? サフィール」
それまでじっと窓の外を見ていたジェイドから不機嫌そうな声でそう問われ、サフィールはレンズの奥で目を瞬かせた。
確かに、アルビオールに乗り込むときに行き先をベルケンドに指定したのはサフィールだ。彼にはそれなりに理由があっての指定だったのだが、ジェイドの言いたいことはサフィールにも分かっているつもりだ。
ジェイドの『記憶』によれば、この後ベルケンドに到着した一行はルークがアッシュと間違われたことをきっかけにヴァンと再会する。そこで彼らはやっとヴァンの野望を知り、彼と完全に決別することになった。
『記憶』の世界ではアルビオールが利用出来なかったため、ジェイドたち一行は徒歩でイニスタ湿原を通り抜けベルケンドまで辿り着いた。その点で『今回』はかなりの時差が生じる。もっとも、サフィールがスピノザに会うために訪れたベルケンドを離れるのと入れ替わりにヴァンが街に入っており、そこから動いたと言う話は寡聞にして耳には届いていない。つまり、『この世界』でもルークたちがベルケンドでヴァンと顔を合わせる確率は高いと言える。そして、その場でルークが彼に『劣化品』と切り捨てられるであろうことも。
そこまで私、過保護じゃありませんよ。心理的に主席総長から離れる、良いチャンスだと思いますけどね。
それに、危なくは無いはずですよ。アッシュがいますから。
ジェイドに気取られぬよう心の中だけでそう呟いて、サフィールは小さく溜息をつく。彼が『ルークたちは危なく無い』推測する根拠も、これまたジェイドの『記憶』にあった。
『レプリカ計画』を遂行するに当たり、ヴァンは手段の1つとしてアッシュの超振動を欲している。『記憶』によれば、アッシュの機嫌を取るためにヴァンは敢えてルークたちを見逃すこともあったらしい。現在アッシュはルークたちと共に行動しており、ヴァンの行動パターンが『前回』と同じであればベルケンドで発見されたとて自分たちに危害を加えることは無いだろう。
そうして、ジェイドを納得させるための別の理由が、サフィールの胸の内には存在する。
「例の件の検証を頼んであるんですよ。貴方も早いところ安心したいでしょう?」
「……あ」
意図的に、ぼかして表現する。それだけでジェイドは、旧友が何を言いたいのか理解した。
確定させるためにはスピノザが持ってるはずのルークの研究資料が欲しいところですけど。
グランコクマで、サフィールはそう言った。彼が確定させようとしていたのは、大爆発の回避策。
恐らくサフィールは、その検証をスピノザに託したのだ。それはつまり、『記憶』よりも早く彼の協力が取り付けられたと言うことでもある。スピノザにとってそれが本気であるかどうかは、ジェイドの思考の外にある。
言葉を失ったジェイドに柔らかく微笑んで見せてから、サフィールは少しだけ声量を上げた。呼びかける相手は、大爆発の一方の主体である真紅の焔。
「アッシュ。貴方、体調に変化はありませんか?」
「俺か? いや、特に問題は無いはずだが」
不意に問われ、アッシュはぽかんと目を丸くしながら答えの言葉を返す。と、その目の前に銀髪の科学者の見慣れない真剣な顔が迫って来た。
「これは大事なことなんです。本当に大丈夫ですね?」
「顔が邪魔だ。……大丈夫だと言っている。本当だ」
一瞬顔をしかめたアッシュだったが、理由はともかくサフィールが真剣に尋ねていることは理解出来たのか不承不承頷いた。その答えに満足したのか、サフィールは無邪気に微笑むと顔を離す。
「なら、良いんです。間に合ったみたいですね」
にこ、と薄い唇を引いたサフィールの表情に、ジェイドは少しだけ泣きそうに目元を緩めた。ぽん、と頭の上に置かれた旧友の細い指が、とても温かく思える。
アッシュがルークの存在を食い潰してしまう大爆発……その前兆として、オリジナルであるアッシュの身体には音素乖離が起きる。それが始まればアッシュはゆるゆると体調を崩し、傷の治りも遅くなる。
今のところ、あくまで自己申告ではあるが彼にその兆候は見られない。『間に合った』と言うサフィールの言葉はつまり、大爆発を起こさないための処置が間に合うと言うことだ。
ルークは、消えない。アッシュも、あんな辛い表情を浮かべることは無い。
目を閉じて、ジェイドは誰にも気づかれぬようほうと長い息を漏らす。
『記憶』の中でルークと別れてから5年、やっとここまで辿り着けました。
やはり、1人ではとても無理でしたね。済みません、サフィール。
「なあ、アッシュ」
サフィールに問われた意味も分からぬままぼんやりと窓の外を眺めていたアッシュの肩を、ルークが指先でつついた。視線だけを動かすと、それに気づいたようにルークは身を屈める。他人には、あまり聞かれたくない話なのだろう。
「どうした?」
「……ザオ遺跡で、また変な夢見た。今度はティアも一緒」
「死霊使いか?」
囁くように問うた真紅の焔に、朱赤の焔は小さく頷くことで答えた。それを受け、手で口元を押さえたアッシュの眉間に深いしわが刻まれる。ち、と微かに舌を打つ音も聞こえた。
アクゼリュスからユリアシティへ向かうタルタロスの中で、ルークとアッシュがそれぞれに見た夢。視点こそ違えどその夢の中で、ジェイドが消え去った。
ルークの表情は僅かに暗く、恐らくはあの時と同じような夢を見たのだろうとアッシュは理解する。
「それと、ティア、前にシュレーの丘でも見たって」
「……そうか」
続いたルークの言葉に、一瞬アッシュは顔をしかめた。だが、ティアはユリア・ジュエの血を引く者であり第七音譜術士でもある。あの悪夢が預言に似たものであるのならば、記憶粒子に刻み込まれている『未来の記憶』をティアもまた垣間見たと言うことなのだろう。
「分かった。到着までは時間があるはずだな。下の小部屋に来い、まとめて聞こう」
飛晃艇が安定していることを確認し、アッシュは立ち上がった。
アルビオールには、乗務員の仮眠などに利用される小部屋が存在する。そこならば、扉を閉じてしまえば会話が外部に漏れることはあるまい。少なくともジェイドには、彼自身が死ぬ夢の話など聞かせたくは無い。
アクゼリュス、シュレーの丘、ザオ遺跡。全てセフィロトが絡んでいるな。
残るセフィロトは両極のゲートを含め6個所。それらを訪れる度ごとに、第七音譜術士の誰かがあの無惨な光景を見せられると言うことになるのだろうか。
そこまで考えて、ふとアッシュは気がついた。このパーティに、第七音譜術士はもう1人存在することに。
「気は進まないが……ナタリアにも、先に事情を話しておくか」
ルークの姿をしていたせいでまとまらない前髪が、アッシュの顔を隠そうとする。それを掻き上げながら、真紅の焔はぽつりと呟いた。視界の端に、軽いウェーブの掛かった金の髪が映っている。
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