紅瞳の秘預言50 約束

 一通り話を聞き終わって、ナタリアはじっとアッシュの碧の瞳を見つめた。
 さほど広くない部屋の中には椅子に腰を下ろしたナタリア、その前に立っているアッシュの他に壁にもたれているルークと彼に寄り添うティア、ルークの肩に座るミュウの姿がある。ルークはミュウを連れて来るつもりは無かったのだが、アッシュの「盗み聞きされて情報を漏らされるより、先に教えて口止めをした方が良い」と言う意見を受け入れたのだ。

「そのような夢を、貴方がたがご覧になっていると言うのですか?」

 整えられた眉をひそめ、少女は真紅の焔にそう問う。訝しげな表情は、たった今聞かされた内容をすぐには受け入れることが難しいからだろう。
 恐らくは未来の光景。ジェイド・カーティスがその身を滅ぼすと言う『夢』を、彼らはそれぞれに異なった視点から見ていると言う。

「ああ。聞いての通り、今のところ俺とこいつ、ティアがそう言った夢……夢と言うか、幻と言った方が良いのか。ともかく、それを見ている」

 代表してアッシュが、訥々と説明を続けていた。ルークやティアに比べると冷静に状況を把握しており、また相手がナタリアであるためだ。金の髪の少女を納得させるための話術には、彼が一番長けている。

「みゅみゅ。ジェイドさん、死んじゃうですの?」
「夢だよ、夢。うん、夢」

 おろおろしているミュウの頭を撫でながら、ルークは『夢』と言う単語に力を入れて言葉を紡いだ。それはきっと、あくまでもそうであって欲しいと言う少年の願望。だがそれは、同様の『夢』を見た3人全員が心に持つ願いだ。

「貴方がたは皆、第七音譜術士ですわね。つまり……同じ第七音譜術士である私が、今後そう言った夢を見る可能性があるのですね」

 未だそんな夢を見たことのない少女は、恋人の言葉を真摯に受け止めつつも首を僅かに傾げる。バチカルでの騒動からさほど時間が経っていないため、思考に混乱が生じているのかも知れない。
 もっとも彼女自身の出自に関しては、今更彼女はどうこう言うつもりも無いし今のところどうしようも無いことだ、と理解出来ているのが救いだ。彼女にとって最大の心の支えとなるアッシュが、この世界ではずっと側にいるからだろう。

「ええ。ひょっとしたらイオン様もご覧になっている可能性はあるのだけど、今イオン様はダアトだから確認も取れないし」

 ナタリアに答えたティアの言葉に、ルークはその可能性があることにやっと気づいた。イオンはローレライ教団の導師……即ち強力な預言士であり、自身と同じレプリカである。その彼が、自分たちと同じような『夢』を見ていないとは限らない。むしろ、預言を詠む力を持たぬ自分たちよりも明確にあの光景を見ているのかも知れないのだ。
 もしそうならば、イオンが自分たちにこのことを話さないのはそれを『預言』として受け取ったから、だろうか。人の死を紡ぐ預言は詠んではならない、と言うことをルークはどこかで聞いた記憶がある。ティアの譜術授業を受けている合間に交わされた雑談からだろうか。

 駄目です! やめさせないと!

 それでジェイドが死んでしまうとしてもですか!

 第七音素を取り込むことによりジェイドに訪れる死と言う事実を示し、あれだけ激しく拒絶したイオン。しかし、ローレライ教団の預言士として踏み越えてはならない一線を越えることにはやはり、躊躇いがあるのかも知れない。

「……イオンには、会った時に聞いてみる。俺たちがこんな夢見てることを知れば、イオンもきっと話してくれると思うんだ」

 がりと髪を掻き、ルークが自分の考えを口にした。セフィロトを操作するためにはダアト式封咒の解除が必要であり、それが出来るのはイオンのみ。つまり、いずれ緑の髪の少年とはまた旅路を共にすることになる。
 朱赤の焔に小さく頷くことで彼の考えに肯定の意思を示し、真紅の焔は金髪の少女に向き直った。真摯な表情で、彼女にゆっくりと話しかける。

「ナタリア。疑うのであれば、この話は聞かなかったことにして欲しい。広めたい話でもねえし、何より死霊使い当人の耳には入れたくねえ」
「……いえ、疑っている訳ではありません。少し驚いただけですわ。それに」

 ナタリアは小さく頭を振った。そして、自分を見つめている友人たちの顔を見比べた。中でも、赤い髪を持つ2人の焔の顔を。
 ケテルブルクで、ネフリーに彼らを紹介したジェイドの後ろ姿をナタリアは思い出した。まるで我が子を守るように彼らの肩を抱いていた青い背中に、かつて王族の容姿を持たぬ自分を守ってくれた父王の背中を重ね合わせる。
 そうしてもう1人、ティア。彼女は祖父の援助を受けることも無くたった1人の実兄を敵に回した戦いを強いられている。そんなティアもまた、自らを守ってくれた背を失った1人。
 頼もしく思えた背を失ってしまった心細さを、これ以上仲間たちに味わわせる訳にはいかない。
 彼らが見る『夢』はその思いに対する答えなのだろう、と少女は自分の中で結論づけた。

「アッシュ、ルーク、ティア。貴方がたが、私に嘘をつく理由はありませんものね」

 胸元で白い手を軽く握り、ナタリアが顔を上げる。毅然とした表情は民を導く王女そのものであり、アッシュがダアトにいた7年の間ずっと心に刻み込んでいた姿。

「……ありがとう」

 ほっとしたように表情を緩め、アッシュが呟く。ルークは「良かった」と嬉しそうに頷いた後、自分の肩に陣取っている空色のチーグルに視線を向けた。

「ミュウ。お前、ここで聞いた話を他の連中に言うなよ? 中でもジェイドには絶対知られちゃ駄目だ」
「みゅっ」

 大きな目を見開いて首を傾げたミュウの、手入れされて艶やかな毛並みを撫でてやる。そうしてルークは、ゆっくりと言い聞かせた。

「自分が死んじゃう夢なんて、例え預言じゃないただの夢だって思っても気持ち悪いだろ?」
「みゅっ。分かったですの、内緒内緒ですの!」

 主の説明に納得したのか、小さな手で拳を握りしめ大きな耳を震わせながらミュウは頷いた。彼も、何かと青の軍服を纏う軍人のことは気になっていたのだろう。

「……それで。今回はどんな夢を見たんだ? ティアは前回の分から話せ」

 ナタリアの説得が一段落したところで、アッシュがルークとティアに視線を向ける。2人は互いに顔を見合わせて……先に、少女の方が口を開いた。


 その日、少女はいつもより早く目が覚めた。ベッドの上に身を起こし、昨夜起きた事象を脳裏に思い描く。
 バチカルで『彼』の成人の儀が執り行われた同じ日の深夜。最後に別れた地で契約の歌を奏でた彼女の前に、その青年は姿を現した。前髪を下ろし、白い服を纏い、腰の後ろに剣を携えて。
 けれど、彼女には一目で理解出来た。
 彼は彼女が待っていた『彼』では無く、同じ姿をしたもう1人の青年だったのだと。
 その彼は彼女に、目を伏せたまま謝罪の言葉を告げた。そうして、如何な姿になろうとも彼女に会わなければならない、とずっと思っていたことも。

 ──約束、頑張って守ろうとしてくれたのよね。
 分かっているわ。でも。

 帰ってこなかった『彼』の面影を振り切るように、彼女は宿の外へ出た。気がつかぬうちにその足は、街外れに停泊しているはずの飛晃艇へと向かう。ノエルの2号機と、2年前の戦いが終わった後に建造されたギンジの4号機がそこにはあるはずだった。

「あら?」

 だが、彼女が辿り着いたときそこに停められていたアルビオールは1機。そのカラーリングから、戦いの旅路で頃ずっと世話になっていた2号機だとすぐに分かる。何しろ、すぐ横で専属操縦士であるノエルが朝の整備をしていたのだから。

「あ、ティアさん。おはようございます」
「おはよう、ノエル。ギンジさんはどうしたの?」

 ティアの姿をめざとく見つけ、ノエルが声を掛けつつ歩み寄って来た。ティアも挨拶を返し、それから問いの言葉を口にする。

「兄でしたら、朝早くにジェイドさんを乗せて飛び立ちました。目的地までは聞いてないんですけれど」
「──え?」

 ずきり。
 その瞬間、ティアの胸中を嫌な予感がよぎった。


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